やらかした私が悪い
視線の先には、戯れる男女がいた。
「ニコロ様とこうして一緒にいられて私幸せです」
「ありがとう、ノエミ。私も君の側にいられて幸せだ」
男の方は私の恋人ニコロ=バルビエリ。金に染められた美しい髪も空のように透き通った青い瞳も好きだった。無表情でいるのが多いニコロは、微かに甘さを含んだ表情で彼女を見つめている。
女の方はノエミ=カペロ嬢。ふんわりとしたプラチナブロンドの髪といい、薄い桃色の瞳は異性の庇護欲をかなり刺激するらしく、令息達に大層な人気を誇る。
二人は私に気付くことなく庭の奥へ行ってしまう。物陰から二人を見ていた私は一つの息を吐いた後、踵を返すが動く気になれなかった。
帝国に生まれた貴族の子供は、皆十五歳を迎えると帝国魔法学園に入学することを義務付けられている。一応特別に免除される子はいるけれど、殆どの子は在籍している。理由として帝国貴族の殆どは魔力を持って生まれる。稀に平民にも魔力を持って生まれる子がおり、そんな子は特別免除制度を受けて入学が可能だ。
「はあーあ」
「でっかい溜め息」
「フィーちゃん先生」
どうしようもない鬱憤を晴らすかの如き溜め息を吐いたらいつの間にか、側にフィーちゃん先生がいた。
「ニコロとノエミ嬢がさっきまでいたの」
「見てたの? 辛いだろ」
「思ったよりダメージはないかも」
「ほんと?」
「うん。だって、私が原因なんだし」
フィーちゃん先生ことフィルミーノ=ナイトハート先生は実践魔法の先生且つ、医務室の先生も兼ねている。聖女を祖先に持つ家系の人で治癒魔法が使えるという理由が大きい。
「ジウリアは猪突猛進的なところがある。薬が完成した時止めなさいって言ったのに聞かないからだ」
「だって実際にどうなるか知りたかったの」
私の実家ジルコニス伯爵家とフィーちゃん先生とこのナイトハート公爵家は遠い親戚。子供の時からフィーちゃん先生を知っている私は、担任の先生がフィーちゃん先生で良かったと思えた。だって知らない人より知っている人の方が安心するよね。
ニコロと恋人になったのは入学して二か月後。元々、何度かお茶会で会っていて、お互い一緒にいると居心地が良くニコロの告白を受け入れた。無表情で口数は少ないけれど、ニコロと一緒にいて退屈はしなかった。よく喋る私の話をいつも真剣に聞き、私が話し終えると短いがニコロの話も聞かせてくれた。
「ジウリア、フィーちゃん先生とお茶しない? 誘いに来た」
「やったー。フィーちゃん先生の奢りね」
「君の家かなりのお金持ちなのに?」
「いいじゃんか。大人なんだから」
「はいはい」
お金がないわけじゃないけどフィーちゃん先生に奢ってもらうのが嫌いじゃないだけ。言った本人も満更でもなさそう。
私達は学食に併設されているカフェに移動し、空いている席に着くと給仕がやって来た。私はイチゴジャムパン五個にホットミルク、フィーちゃん先生はコーヒーにチョコレートケーキを頼んだ。
「五個も食べるの? 太るよ」
「一言余計! ここのイチゴジャムパン美味しいんだよ?」
焼き立てで中のジャムが熱々なせいで偶に舌を火傷するけど……。
私は目の前に座るフィーちゃん先生を眺めた。
暗い青系統の髪はちょっと癖があって、黒曜石のように光る瞳は何時見ても綺麗。顔立ちも美形の一言に尽きる。ニコロも美少年だけど、フィーちゃん先生は大人という点もあって美青年だ。
「おれの顔見てどうしたの? 見惚れてた?」
「うん。フィーちゃん先生の顔好き」
「はは、そっか。バルビエリ君のこと、どうするの?」
ニコロがノエミ嬢と親しくし始めた抑々の原因は私だ。
三年生になり、将来を考え始めた私とニコロはお互いの両親に付き合っている旨を話そうと相談していた。両家の関係も良好で私とニコロが婚約しても問題はないと踏んでいた。そんなある日、今のように学園のカフェで一人スイーツを食べ、席を立った私の目に一冊の本が目に入った。当時カフェを利用している人は数人で近くの席には誰も座っていなかった。私より前に利用していた生徒が落としていった本だろうと拾うと表紙に書かれたタイトルが目に入る。
本のタイトルは『あなたの恋人を素直にする方法』とあり、本の裏に学園の紋が押されていた。図書室の本を誰かが落として行ったなら、勝手に読んでもいいと判断し、飲み物のお代わりを頼んで本を開いた。内容は恋人の素直な気持ちを引き出す魔法の方法が主で、好奇心が勝った私はニコロに試すと決めてしまった。
「実行前におれに一言相談してくれていたら、バルビエリ君がカペロ君を好きになることはなかったのに」
「あはは……ホントそう……」
ニコロに好きだと言われたのは告白をされた一度だけ。私は何度かニコロが好きだと言ってきた。元々自分の気持ちを素直に言う人じゃないから不満はなかったけれど、こんな魔法があるなら試したくなるのが人の性。早速方法を頭に刻み込んだ私は、二日後ニコロに会った時、魔法で作り出した自分の気持ちに素直になる薬をニコロの飲み物に混ぜた。勿論バレずに。
ニコロが飲み物を飲む際、友人が抱えていたレポートが風に飛ばされ、私の足下に落ちたのを拾い届けに行った。席に戻った私はニコロがある方向を向いていることを知る。視線の先にいたのは、友人と談笑しているノエミ嬢で。……微かに頬を赤らめ、熱い眼差しを注ぐニコロに血の気が引いた。
『ニコロ?』
『! あ、お帰りジウリア』
私が声を掛けると頬の赤は引き、眼差しも普段と変わらないものに変わった。薬の効果が出ているか気になって席に座った途端、ニコロは席を立った。
『え? どうしたの』
『ごめん、ちょっと用事を思い出した。先に戻ってるよ』
呼び止める間もなくニコロは校舎内に戻って行った。呆然としたのをよく覚えてる。
その翌日からだ、ニコロがノエミ嬢とよくいるようになったのは。
「バルビエリ君とカペロ君が実は幼馴染って知ってた?」
「知らなかった」
一年生の時にニコロと付き合っていると知っているのはフィーちゃん先生だけ。入学してすぐフィーちゃん先生が担任の先生と知った私は、彼が医務室の先生を兼ねているのを知ると放課後とかよく突撃をかました。見目はいいし、家柄もいいフィーちゃん先生は女子生徒に大人気で最初は私以外にも医務室に突撃をかます子はよくいた。ただ、気付くと私以外誰も来なくなった。
「バルビエリ君は公爵令息、カペロ君は男爵令嬢。両家の当主が学生時代の友人で交流があったんだ」
どうしてニコロはノエミ嬢ではなく、私を恋人にしてくれたんだろう。両家の当主が仲良しなら、二人が婚約しても良かったんじゃないかな。
「ジウリアが作った魔法薬は、内に秘めた気持ちが大きい相手に程効果が強く現れる。バルビエリ君自身が気付いていなかった気持ちがジウリアの作った薬によって引き出されたんだ」
「直球で言わないでよー! これでも失恋して落ち込んでるのにー!」
薬の効果が予想外な方向にいってフィーちゃん先生に相談した。本を持って突撃し、泣いている私に呆れ果てながらもフィーちゃん先生は慰めてくれた。家族にニコロと付き合っていると話していなかった為、相談出来る身近な人というとフィーちゃん先生しかいなかった。フィーちゃん先生には付き合い始めて一か月後に打ち明けた。よくニコロとの話を聞いてもらっていたフィーちゃん先生にしか話せなかった。
「バルビエリ君とはもう全く話してないの?」
「全くという程ではないけど……前みたいには一緒にいない」
学園内じゃベタベタしないし、外でもベタベタしていた訳じゃない。私達が付き合っていると知っているのは友人くらいなもの。最近ノエミ嬢とよくいるニコロを見てよく心配はされている。友人達の心配をそろそろ取り除いてあげないとならない。
「別れ話をしなきゃね……」
「してなかったの?」
意外そうなフィーちゃん先生に頷く。
ニコロはノエミ嬢といながらも私に別れを切り出してない。
「多分、私が別れてほしいって言うのを待ってるのかも。そうしたら、ニコロは堂々とノエミ嬢と交際できるじゃん」
「既に堂々と交際しているように見えるけど」
「うっ」
自分自身で蒔いてしまった種だ。最後は自分でケリをつける。
「あ」
「どしたの」
不意に声を漏らしたフィーちゃん先生の視線の先には、隙間なくくっ付いているニコロとノエミ嬢がいた。二人もカフェに来たんだ。
ああやってくっ付いてはいなかったけど、ちょっと前まではニコロの隣には私がいた。
もう隣にはいられない……。
「あ」
ニコロの目と合った。
ニコロはノエミ嬢と言葉を交わすと彼女を離し此方へと近付いて来る。ノエミ嬢の方は、私やフィーちゃん先生がいると気付くと会釈をし、不思議そうにニコロを見つめていたが軈て行ってしまった。
「ジウリア」
目の前まで近付いたニコロの青い瞳には、嘗てのような親しい人を見る色は消え、他人を見る色へと変わっていた。
「君と話したい。場所を移してほしい」
「此処でいい。私の方もニコロに話したいことがある」
一緒にいるフィーちゃん先生を気にしつつも私の台詞を受け入れたニコロは、単刀直入に言うと前置きし、私に別れを切り出した。
「ジウリアのことを嫌いになったわけじゃない。ただ、ノエミを君以上に好きになってしまったんだ」
「……それって何時から?」
ニコロが語った時期は、私が彼に素直になる薬を飲ませた時期と合致している。
更に。
「ジウリアにこんなことを言うのは筋違いだと分かっている。私は子供の頃ノエミが好きだった」
「……」
「ただ、その頃は女性として好きというより、身内に対する親愛の好きだと思っていた。ジウリアを好きだと思った気持ち以上に、ノエミを好きになってしまったのは悪かったと思っている」
……あの薬の効果ってこんなにもすごかったんだ。自分の魔法薬を作る才能も良かったんだ、と思わなければ今すぐにも泣いてしまいそうだった。
ノエミ嬢への気持ちを伝え満足したニコロに、私が言いたかった言葉はもう消え去った。
お幸せに、と縋らず、潔く身を引いた私を……何故かニコロは酷く傷付いたような面持ちをしながらも、ノエミ嬢の許へ行ってしまう。
「なんでニコロが傷付いてんの……意味不明」
「縋ってほしかったんじゃない? 三年間付き合っていたのに、潔く身を引いた君にショックを受けたんだと思う」
「勝手過ぎ。……って、私が言う台詞じゃないか」
抑々の発端は私の好奇心によって作った魔法薬をニコロに飲ませてしまったのが原因。私にとやかく言う資格はない。
給仕がそれぞれの食べ物と飲み物を運んだ。早速焼き立てイチゴジャムパンを食べ、熱々のジャムにあっつー! って悲鳴を上げたのは言うまでもない。呆れ果てているフィーちゃん先生の冷たいコーヒーを分けてもらうとちょっとだけマシになった。
「いきなりがっつくからそうなるんだよ」
「やけ食いしなきゃおさまらない!」
「君が招いた結果だけどね」
「傷口を抉ること言わないでよ!」
私自身がやらかしてしまった結果だ。受け入れるしかないと頭では理解しても、心まではまだ整理がつかない。
あっという間に一個目を食べ終えると続けて二個目に手を伸ばした。今度は慎重に食べる。
「やれやれ」と苦笑するフィーちゃん先生もチョコレートケーキにフォークを入れた。
「ねえ、ジウリア。バルビエリ君と別れてしまってすぐにこんな話をするのはあれだけど、おれの婚約者にならない?」
「へ」
舌を火傷したままだとホットミルクを飲めないだろうと治癒魔法で治してもらい、ホットミルクの美味しさに失恋した心が癒されている最中に出されたフィーちゃん先生の提案に驚く。
この話の流れでいきなりそんな話する?
半眼で睨むとフィーちゃん先生は人の好い笑みを浮かべたまま、現在ナイトハート公爵に婚約者どころか恋人もいないのを心配され、勝手に婚約者を作らされそうになっていると語った。
「ジウリアは子供の頃からの付き合いもあって為人も知ってる。歳は七つ離れているけれど、貴族ならよくある年齢差だろう?」
「そうだけど」
「ジルコニス伯爵夫妻は君がバルビエリ君と付き合っているのを知っているよ。おれが伝えていたからね」
「嘘」
「ほんと。おれが君の担任になったのを知って、君の学園生活を聞かせてほしいと頼まれて時々伯爵夫妻に会いに行っていたんだ」
私が不在の時を狙って来ていたので当然私は知らない。
「バルビエリ君と付き合っているなら、このまま彼の婚約者にしてもらおうと近々バルビエリ公爵に話をする予定でもあったんだ」
でも、私の作った薬のせいでニコロがノエミ嬢と親密にし出した事も両親はフィーちゃん先生経由で知り、破局も時間の問題だろうと危惧。そこでフィーちゃん先生が私を自分の婚約者にすると言い出したのだとか。勿論私の意思を確認後、正式に婚約を申し込むつもりだったとも。
「無理強いはしない。ジウリアが決めていい」
フィーちゃん先生は優しくて大人な分頼りがいがある。子供の頃からの付き合いもあってどんな人かもよく知ってる。ナイトハート家はフィーちゃん先生のお兄さんが継ぐ予定で、フィーちゃん先生自身はナイトハート公爵の持つ伯爵位を譲られる。
「君に不自由な生活をさせないって約束するよ」
「まるで私が浪費家みたいな言い方する」
「ジウリアの好きなイチゴジャムパンを毎朝出すっていうのはどう?」
「私が好きなのは、此処のイチゴジャムパンだよ?」
「同じ味になるよう作らせる」
イチゴジャムパンで釣られるのはアレだけど、フィーちゃん先生なら一緒にいても退屈はしなさそう。
席を立った私はフィーちゃん先生の側に行って座ったままの彼に抱き付いた。
「こらこら、誰かに見られたらどうするの」
「小さい時は、よくこうやって抱き付いてたもん」
「はいはい」
小言を言いながら私の背に腕を回してポンポンと撫でる手の優しさはちっとも変わらない。
「可哀想な私をお嫁さんにしてくれるのはフィーちゃん先生みたいな物好きだけだね」
「君の場合は可哀想よりも自業自得がお似合いだよ」
「ひどっ!」
事実だけど。
「まあでも……ニコロは、私への未練は全然ないみたいだし、これはこれでいいよ」
「ジウリアのやらかしが原因だけどね」
「何度も言わなくていいよ……!」
「あはは。はいはい、失恋をした可哀想なジウリアを優しいフィーちゃん先生がちゃんと幸せにするよ」
「はーい!」
やらかしてしまったのは私でニコロは悪くない。最後に見たあの表情が気になるけれどノエミ嬢といるニコロは幸せそのものだ。私は不幸になってもいいけれど、ニコロが不幸になってしまうのは駄目。ノエミ嬢とならニコロは幸せなままでいられるだろう。
ニコロが幸せなままなら、私は自分の不幸を喜んで受け入れる。
「フィーちゃん先生のこと男の人として好きになれるかな?」
「そこは大人のおれがしっかり頑張らせてもらうよ。ほら、残りのイチゴジャムパン食べちゃいなさい。冷めるよ」
「うわ、そうだった!」
慌ててフィーちゃん先生を離し、自分の席に戻った私は熱々な内にイチゴジャムパンを食べるべく手を伸ばした。「後でお代わりしていい?」と聞いたら、呆れられたけど好きなだけ食べていいと言われ、遠慮なく食べることにした。
口ではああ言ったけれど、ちゃんと男の人としてフィーちゃん先生のことは好きになれる気がする。
夢中でイチゴジャムパンを食べる私は、私を眺めながらチョコレートケーキやコーヒーを飲むフィーちゃん先生の紡いだ声に気付くも何を言ったかまでは分からず、聞き返しても「何でもないよ」とはぐらかされてしまった。
「……可哀想なバルビエリ君の幸せをこれからも願ってやってね、リア」
「? やっぱり何か言った?」
「いいや、なんでも」
「そっか」
イチゴジャムパンを全て食べ終えた私は給仕を呼んでイチゴジャムパンのお代わりを注文したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
フィルミーノの零した独り言については御想像にお任せします。