噺まくら
新連載
一噺ごとに進めていきます
時代は1969年11月、東京の保谷市(現西東京市)。その年、アポロ11号が人類を月へと運び、日本では東名高速道路が全線開通し、テレビでは「サザエさん」の放送が始まった。
世界が、そして日本が、大きな変化のうねりの中にいた頃、ある男の子がこの世に生を受けた。
高度経済成長の波に乗り、都心で働く人々が住まいを求めた郊外の街、保谷。
かつては畑が広がっていたこの地にも、新しい住宅や団地が次々と建ち並び始めていた。
そんな活気と少しの慌ただしさが混在する街で、男の子はごく平均的なサラリーマンの家庭に生まれた。体格も、学校の成績も、どこをとっても「並」。絵に描いたような普通の子供だった。
家庭には、当時「三種の神器」と呼ばれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫が揃い、食卓にはハンバーグやスパゲッティといった洋食が並ぶ日も増えていた。[
男の子の家も例外ではなく、時代の波に乗り、ささやかながらも平和で穏やかな毎日が流れていた。
ただ、一つだけ、その子には際立った特徴があった。
まだ幼いその口から紡ぎ出される言葉は、まるで長年寄席の舞台に立ち続けてきた落語家のようだったのだ。
「さて、お立ち会い。今日のおかずは、まことに見事な卵焼きでございます。母上の手によるこの逸品、口に含めば、たちまち笑みがこぼれること請け合いで」
学校から帰るなり、彼はそんな調子でランドセルを放り出す。
抑揚のついた口調、小気味よいリズム、そして話の合間に絶妙な「間」を取るその話し方は、どこで覚えたものか、家族の誰もが首をかしげた。
嬉しいことがあれば、扇子代わりの定規を片手に、身振り手振りを交えてその喜びを語り、悲しいことがあれば、うなだれて、今にも泣き出しそうな声色でその一部始終を物語る。
彼の周りには、いつも笑いと、少しばかりの驚きがあった。
この、どこにでもいるようで、どこにもいない少年。
彼の物語は、この落語家のような不思議な語り口と共に、ゆっくりと幕を開けるのである。