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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第十七章「赤錆色の襲来」
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第55話 『僕』と『私』の邂逅

 カンカンカンカン、と遠く、不穏な半鐘の音が響きつづける。


 そうして、しきりと何度も通りを早馬が行き来する。馬に乗った兵士たちは声高に市民らへと繰り返し呼びかけ続ける。


 いわく、『蟲獣の群れが福峰に向かっている。到着は一刻(二時間)以内』、『家の門戸を固く閉ざし、なかに籠っているように』、とのこと。


 それらの報せは、たちまち市井に散っていた白墨党の構成員によって、探路のもとへも運ばれた。警護の数が増え、彼らは一様に武装していた。

 そうして、そんな彼らを前に、探路は牀に腰を下ろしたまま顎を撫でさすっていた。


「蟲獣の群れが、一刻以内にこの福峰に……」


「はい。正確な数は報じられていませんが、城壁に数多の兵士が集められているようです。恐らく、北門方向から到達するのではないかと」


「そうか。……冽花たちからの連絡はないのかい?」


「そちらの方は今のところ何も――、……っ!」


 そうやり取りをしていた最中であった。鋭く部屋の扉が打たれた。


 探路と、話をしていた白墨党の構成員は顔を見合わせる。扉を見ると、他の構成員が扉越しに応対していた。

 扉はほどなく開けられた。


 現れたのは、息も絶え絶えで汗みずくの兵士であった。

 兵士は牀から体を起こす探路を見るや、へたり込むように片膝をついて、汗と涙の粒を床へと滴り落とした。


「瑟郎……様……っ、よくぞご無事で……ッ」


 そう絞りだす彼を見て、探路は刹那に眉尻をさげ、わずかに複雑そうに唇を曲げる。が、口を開く。


「楽にしていいよ。誰か、彼に水を」


「っ……いいえ、先に報告をさせてください。抱水(ほうすい)様からの、火急の報せです」


「……ッ、――…………許す。話してごらん」


 『抱水』――その言葉を耳にした途端、騒めく小蛇が幾条も首筋を這いあがってくるように、頭痛の兆しが探路を襲った。だが、奥歯を噛みしめ鼻から息を抜いて、強靭な精神力によって、その恐怖を押さえつけた。


 背を伸ばし直し、せいぜい堂々としてみせる。


 探路――元は范瑟郎であったとて、今の彼には記憶がない。それでも周囲が不安がらぬように、恐らくの瑟郎らしく振る舞ってみせていたのだった。


 それに。探路の胸のおくで、突き上げるような衝動がこみ上げていた。


 抱水(ほうすい)。……抱水(バオシュ)。その名をもつ者こそが、あるいは自分が求めてきた存在ではないか。そんな予感がしていた。


 そうして、おもわずと身を乗りだす探路の前で、兵士は語りだした。


 それは。


「『迫る蟲獣の数、二百。我、力の及ぶかぎり奮戦する所存なり。我が主、范瑟郎。貴公は身の安全を第一に考え、守りを固めてくださるよう』」


 淡々としつつも哀切の滲む言葉であった。


 兵士の双眸が潤み、ぼたぼたと滂沱(ぼうだ)の涙を流す。歯の根がかち合わなくなり、それでも彼は絞りだした。


「……っ、『貴方の任せてくれた、福峰と民はお守り致します。貴方をお守り申し上げる。……お帰りを、心より』……ッ」


 『お待ち申し上げていた』と。


 かの風水僵尸の忠義、切なる思いのこもった言葉を、確かに届けたのだった。


 聞き終えた探路は口をかすかに開け放した。唇を、わななかせた。


「……っ、……抱、水……」


 そうして彼は牀に手を突くなり、足を下ろす間さえもどかしく――勢いあまり、前のめりに転げ落ちそうになったのであった。

 慌てて傍らの白墨党構成員が抱きかかえて、その身を支えた。


「瑟郎様!」


「っ、……放してくれ! 抱水……っ、抱水が――!」


 探路は。その腕のなかで不自由な身をもがかせながら、目の前が急速に滲んで、視界が歪みゆくのを感じていた。


 体が言うことを聞かない。それがこんなにももどかしい。

 今すぐにでも彼のもとへ行きたいのに!


 抱水。君は。


「こんな……こんな時になっても、お前は……!」


 我慢するのか。――『助けてくれ』とは言わないのか!


 その思考に思い至った途端、頭をつんざかんばかりの痛みが湧きおこった。


 頭のなかを幾条もの蛇が這い、のたうち回っているようだ。

 目の裏が明滅するほど。それほどの痛みが湧きおこり、おもわずと呻いて頭を抱えこむ。


 けれど、探路は頭をかきむしり、かぶりを振った。


閉嘴(うるさい)ッ! 閉嘴、閉嘴……ッ、こんな、痛みなんて……ッ」


 探路を抱く白墨党構成員は慌てふためき、その身を支え続けるしかできない。


 その腕のなかで探路は吼えた。喉が破れんほどに吼えたのであった。


「こんな痛みなんて……っ、『約束を守れない痛みに比べたら』……ッ!」


 そう自分で告げた瞬間、探路はハッと目を見開いた。


 約束。――そうだ、約束だ。自分は『彼』と約束していたのだ。

 いつか、確かに捕まえた記憶の欠けらのなかで、こう告げていたのである。

 『彼』にむけて。



「三月後には必ず帰るからね。約束する」



「僕は……」


 帰らなきゃいけない、『彼』のもとに。こんな言伝ごしではなく、確かに『彼』のもとに。

 帰りたいんだ。

 熱い涙が目から溢れ出て、頬を伝った。頭痛はもはや雑音に過ぎない。

 帰りたい。帰りたい。痛切に、その思いがこみ上げ、探路が俯いたその時であった。


 その涙をそっと拭うかのように頬へと添えられる、たっぷりとした筒袖があった。


 探路は、瞬いて見た。


 目の前に、ゆったりとした長衣を纏い、冠をかぶった優男が片膝ついているのを。

 その身は向こう側が透けている。幽鬼であった。


 無論、探路の涙を拭うことはできはしない。だが、後から後から零れ落ちるそれを撫で、困ったように眉尻をさげて笑っていた。


 男は告げた。


『よくぞ。そこまで、一人でたどり着いたものだ』


「……君は?」


『名乗る価値もない咎人(とがびと)だよ。けれど、一つだけ言っておくと……君の前世だね』


 僕の、前世。


「僕は……」


『私の千々に裂けた魂の名残りを受け継ぐ者。故にこそ、君の(こころ)はなおも『彼』を求めてやまぬのだろう。――ずうっとずっと、一人にしていて悪かったね。見て見ぬふりなど、もうできはしない。君の頑張りに負けた』


 優男は探路の額にみずからの額を押し当てて、目を閉じた。


『私の力を君に与えよう、瑟郎。そうして、今度こそ果たしてくれ。『彼』との約束を』


 その体が白き光の粒子と化し、散る。


 探路は。どくり、と自分の心臓が不可思議に高く脈打つのを感じた。

 体が徐々に暖かくなってくる。そうして――探路は『理解した』。

 同時に、いつかの、妹妹が言っていた言葉が頭をよぎった。



『蟲人はね、自分の手や足を使うみたいに自然と力を使えるの』



 拳をゆっくりと握りしめる。そうして目を閉じる。

 探路の体に――その握った拳を基点に、艶やかな『梔子の花』の絵図が浮かびあがった。

 梔子の痣は瞬く間に全身へと伝わり、頬へも、そして耳にも描かれていった。


 その場に匂う、澄みきった甘やかな花の香り。


「し、瑟郎様が『転化』を……!」


 それまで息を飲んで見守り続けていた者の一人が、声を押し殺し告げた。

 そんな彼の小さくも忙しない呼吸音、心音、緊張する筋肉の軋み。探路の耳にはそれらが情報の渦となって、集まり始めていた。


 けれど、探路は両耳をふさいだ。

 『耳がよくなった』ことによって、何よりも先に気になった音があったからである。


 その音は『自分の内側から』発せられていた。


 耳をふさいだことによって、他の音が失せて……聞こえる。聞こえてくる。


 自分の体が痛みに強張り、軋む音。引き攣るような呼吸音、だがそれに対して、心臓は力強く飛び跳ね続けている。体を熱くし続けている。

 それらの音に混じり――ざわざわと、ぐにゅぐにゅと、小蛇が蠢くような音がする。


 音は、自分の頭のなかから聞こえてくるではないか。


「見つけた」


 探路は息を吐いては大きく吸い始めた。呼吸は気の巡りを活性化させる上で、最も効率的な方法である。

 あの幼い幽鬼はこうも言っていた。



『『転化』する時には気の流れが盛んになるの。わたしたち魂魄の欠片や記憶が……えっと、“より原初の気に近い”わたし達が、生きてるあなた達と結びつくから、そうなるみたいなんだけど』



 『私』が合一したことにより、気の流れが盛んになっている。


 そして、あの賤竜がこうも告げていたのである。


 探路が痛みに苛まれる折には、体の気血水(きけつすい)(人の体を成り立たせている三つの要素)に急激な乱れが生じるのだと。


 首輪が『気』を発しており、その気は経絡を通り、頭に伝播しているのだと。

 そうして、この音である。――こういう風には考えられないだろうか?


 頭痛の原因は『首輪を基点』として成り立ち、『独自の気の流れ』を持っている。ゆえにこそ、場所が一定せずに、いつも『後頭部から』――『首筋から頭ぜんたいへと派生して』いっていたのではないか。


 つまり、独自の気の流れを持つ、『生き物』なのではないかと。


 生き物であるのならば、今の状況はさぞかし居心地が悪いに違いない。

 自分たちが食い物にしてきた経絡が、肉体が、燃えるように熱を発しているのである。

 煮詰められるようなものであったに違いない。


 ますますと探路は息を大きく吸っては吐き続ける。心臓を拍動させ、拳をきつく握りしめては、体に力をこめて、熱を高め続けた。


「出ていけ、僕のなかから……!」


 なかで悶えるように、ひと際強い痛みが発せられるものの。痛む箇所は徐々に頭のなかから後頭部へ、さらに首筋へと至る。


 そうしてついに金属めくものが、近くで割れるような音を聞いた。

 ぽろりと落ちる、赤錆色の首輪の欠片があった。


 急激に痛みが退いて――楽になってゆく。


 そうして、探路はふと瞬きを落とした。


 まるで貼りつけられていた紗が剥がれ落ちるかのように。どうしても思い出せなかった記憶が、みるみるうちに頭の底から湧きあがったのである。

 おもわずニッコリした。


 なによりも先に脳裏に思い描かれたのは、かの風水僵尸のしかめっ面であったから。


「やっと君を……思い出すことができたよ、抱水」


 そうして、探路は――瑟郎は、長い悪夢から目覚めたのだった。

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