第51話 翡翠園での戦い
太陰に照らされるその園林は、風光明媚な、水と調和する園であった。
六割がきらめく水面で占められており、今の時期は睡蓮が咲き乱れている。
そこかしこに樹木や亭が配され、見事な太湖石(竜涎太湖産の穴ぼこだらけの石)をも見ることができる。
そうして、池に浮かぶようにして建つ亭のたもと。朱塗りの橋が差し渡された先に――抱水と賤竜の姿があった。
鎖で縛められ座りこんで、首を項垂れさせる賤竜。その前に抱水は佇んでおり、緩慢に冽花らを振り返ってきた。
驚いた様子はなかった。賤竜もそうだが、『気』である程度、周囲の様子を判別できるのだろう。周りに兵を配し、待ち構えなかったのは、驕りかはたまた。
静かに抱水は告げた。
『自ら敵の巣窟にくるとは蛮勇なのか愚かなのか』
「そっちこそ。来るのが分かってたんなら、またぞろたくさん待ち構えさせてるもんだと思ってたぜ」
『巻き添えを喰らわせるわけにもいかんのでな。今度こそは火に入る虫を捕えねばならん』
火に入る虫――そう告げて、冽花を見る。ついで、傍らの賤竜を見やるなり、
『今はこうして邪魔者も捕えているゆえな』
そうと言ってのけて、うっすら嗤った。
そんな抱水に、冽花は緩く両手を握りしめる。
だが、――思うところあって、小さく鼻から息を抜いた。
ここで横から視線を感じて瞳をむけると、浩然が出方を伺っていた。『もうやるか?』と訊ねてくる視線に小さくかぶりを振るう。冽花はもう一度だけ抱水を見返した。
低く、静かな声で訊ねかけた。
「同じこと、あたしらがもう敵対する意味がないとしても言えるか?」
『なに?』
「あんたの取り巻きにも言ってきたけども。……あんたの契約者、范瑟郎。色々あって、今、あたしらのところに――」
言い終えるか否かのうちに扇が突きつけられていた。冽花は口をつぐむ。
抱水は――賤竜と同じ、瞳孔の開ききった硝子球のごとき目をすがめて、それはそれは不愉快そうに、憎らしげに眉をひそめていた。唸るように告げてくる。
『何を言うかと思えば。よくもまあ、さような世迷言を』
「嘘じゃない」
『閉嘴。……この小娘が。福峰が全精力をかたむけて探している者が、お前ごときの手で見つかるはずもなかろう』
その爛々と輝く瞳、うっすらと歯列をも剥きだす形相を見て、冽花は取りつく島がないことを悟った。
あまりに頑なであった。否……先ほど別れた青年の言葉通りならば、致し方ない部分もあるのかもしれないが。
ずっと一人で侵略者の手から福峰を守り、己が契約者を探し続けていたのなら。かほどにまで契約者の進退に関し、激してみせるのも頷けよう。
冽花は溜息まじりに紡がざるを得なかった。
「……言ったからな、あたしは」
『抜かせ。然様な譫言、二度と口にできぬようにこの場で思い知らせてくれる』
吐き捨てるように告げられることで、否が応でも交渉が決裂したことを思い知らされた。
冽花は一度は開き直した手を、もう一度緩やかに握りしめていく。
彼女にも、思うところはあった。じわりと剣呑に瞳を燃えたたせた。
「いいぜ。もともとお前には、二回もしてやられたんだからな。この場で借り、返させてもらうわ。まずもって、あたしの――」
燃える瞳で抱水を、そして、その傍らの賤竜を見やる。
賤竜を見つめて、つかの間に考える。
探していた『答え』はすぐに見つかり、やおら言葉を繋げていた。
「あたしの好友を返してもらう」
力強い宣言とどうじに、瞳を肥大・縮小させていた。
女性らしく丸みを帯びた頬から首筋にかけ、また首筋からしなやかな四肢にかけてまで、色鮮やかな『杏の花』の痣を浮かびあがらせた。
艶めく花香をまとい、猫耳と尾を顕現させる。
その隣に並んで、浩然もまた『牡丹の花』の絵図をその身に浮かべる。毛深く長い尾を尻から生やし、ぐっと拳を握りしめてみせた。
二人の蟲人を前にしても、抱水は小動ともしない。
どころか、白き鉄扇に炎をともし、低く二人を呼ばわった。
『来るがよい。纏めて相手をしてくれる』
その言葉を合図に、冽花と浩然は駆けだしていった。
二手に分かれて、庭石や樹を飛び渡りつつ抱水の周りをまわる。気を引いて、隙あらば攻め立てる算段であった。
対する抱水は扇をひらき、白炎を纏わせてひと振るいする。
すると、彼の背後から長大なる水蛇が生じて、池から身を引きずりだしつつ、中央から二つの頭に分かれる。二人めがけて圧縮した水流を発射した。
その精度は驚くほど高い。抱水は配下においた水を通して感じ、視ることができるのだ。水の風水僵尸ならではの強みであった。
二人は――冽花は避けるのに集中し、浩然がより前へと出て、水蛇を翻弄し駆け回る。はしっこいその動きは猿のようだ。抱水は眉を寄せる。
その超感覚が仇となる。誰だって視界の端を小うるさい蠅にチラつかれたら苛立つものである。こと気が長いほうではない抱水。次第に眉間のしわが深まり、水蛇の操作精度も落ち始めた。
浩然はあえて口を開く。
「おら、どうしたァ!? 抱水。蛇の動きにキレがねえぜ?」
『閉嘴! お前はいつも私を笨蛋にしよって!!』
「だあっておめえ、面白ぇんだもん! この真面目チャンがよぉ!」
「……っ、っ……!」
抱水は水蛇を引き上げると、上空で旋回させた。そうして、その身を幾条もの水の槍に変え、地上へと降らせだす。狙いは浩然に集中している。
浩然はなおも走り回る。庭石伝いに跳びわたり、その庭石が破壊され、樹木が掘削されゆくのを見て、大げさに騒ぎたてた。少しずつ庭のすみに追いつめられていく――振りをする。
元より、『幾条もの水槍』という複数攻撃である。抱水の処理能力は著しく割かれていく。また『水を通して感じ、視る』能力はかく乱される。
結果、反応が遅れた。
上空から俯瞰して見る映像に、急速に亭へと走りこんでくる人影があった。
冽花だった。
気付いた時には、すでに冽花は攻撃姿勢に移っていた。
助走をつけての――両足飛び蹴り(ストンピング)。
猫の蟲人特有のはしっこさ、膂力に、自身の体重をのせる一撃であった。
『ッぐゥ……うッ!』
とっさに鉄扇を割りこませて防ぐものの、勢いと重みは殺しきれない。
よろめき、抱水は大きく後ずさる。その隙をついて、冽花は降り立つなり身を翻した。捻らせる腰をばねに――練りに練った回し蹴りを、横腹へとお見舞いする!
鈍い衝撃音がその場に巻きおこった。
『ぐっ、ぁあ……ッ!!』
抱水は腹をおさえ、なおも後ずさり、柵をこえて水面へと没する。
再び降り立つ冽花は重たく吐息を一つ落とした後に、賤竜のもとへと転じた。




