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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第十五章「見えていなかったもの」
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第48話 猫娘、小さき隣人と語らう

 薄暗い室内で冽花は目を覚ました。膝を抱えて、(ベッド)に座りこんでいる。

 窓の外からは雨音が聞こえる。しばらくぼうっとしてから。


「今……」


 几点(なんじ)だっけ、と呟いた。そうして見回す。――見回せばすぐに見つかるはずの、椅子に腰をおろして休む姿がない。探路の姿もない。


「ここ……」


 どこだっけ、と呟いたところで、ふと傍らに薄紅色の光が弾けた。

 冽花の目の前に妹妹が現われる。眉尻をさげて優しく微笑みかけると、牀に手をつき、冽花を覗いた。


『ここは虎浪軒(ころうけん)の二階よ。浩然が自分たちのねぐらに使っている店を紹介してくれたの』


「……そうだっけ?」


『ええ。女将さんが部屋を用意してくれたのよ。いまはゆっくり休むように、って』


「そっ、か」


 かくりと項垂れ、冽花は膝に顎をのせた。なんだか、体に力が入らなかった。

 分厚い膜ごしに世界を見ているかのごとく、すべてが遠いのである。

 そんな冽花に、辛抱強く妹妹は言葉を続けた。


『探路も没事(だいじょうぶよ)。浩然の仲間の人たちが交代で守ってくれる、って。浩然とはまだ会ってないわ。冽花も一緒のほうが安心できるだろうから』


「……そっ……か」


 今度は少しだけ答えるのに間があいた。内容を咀嚼(そしゃく)するのに時間を要したからだ。

 頭が動かない。


『冽花』


 妹妹は牀によじ登る。冽花の隣に膝をついて、小さく丸まった身を、小さい体でそっと抱きしめた。触れられぬ手で背中を撫でる。


『あなたは頑張ったわ』


 ぴくりと、その言葉を聞くと冽花は睫毛を揺らした。奥歯をぎゅっと噛み締める。

 絞りだすように呟きかえす。


「がん……ばって、なんかねえ」


『頑張ったわ』


「ちがう。あたしはだめだった。しっぱいした」


「ダメじゃないし、失敗なんてしてない」


「っ……だったらなんで……ッ」


 冽花は顔を上げた。優しく健気な隣人を睨みつけてしまう。新たにこみ上げてきた涙で視界が歪んだ。叩きつけるように吼えていた。


「なんで賤竜はここにいないんだ!?」


 だが。言ってしまってから気付いた。その言葉がどれだけ――目の前の少女を悲しませるのかを。


 かすかに細められた妹妹の瞳が揺れる。耳が後ろにひかれて伏せられてしまう。

 ハッとし冽花は項垂れた。


「っ……対不起(ごめん)


「いいのよ。たしかに……哥哥(あにさま)は、遠くに行かれてしまった」


 妹妹の言葉は柔らかくも声は沈んでいる。それも道理であると、冽花は歯噛みした。


 三百年もの間、賤竜との再会を待ち望んでいたのだ。

 再びの離別に、胸は張り裂けんばかりの悲しみに襲われているはずだ。


 彼女にそうと言わせてしまった罪深さに、背を丸めて、より一層、膝小僧に顔を埋めた。そうして、やはり自嘲気味につむぐ。


「……ほら。やっぱり失敗してる。駄目なヤツなんだよ、あたしは。いつも……いっつも考えなしで、勢いのまま突っこんでくから。首飾りも取られたし。賤竜も……」


 鼻をすする。あふれた涙が頬を伝い落ちていく。ぎゅうっと膝を握りしめた。

 妹妹は何も言わない。黙って冽花の背を撫で続ける。


 ほどなく、冽花はその沈黙を気まずく思う。何か言わねばと思い、だが結局泣き言しか思いつかずに、そんな自分に嫌気がさしつつ口を開いた。


「こんな契約者で、賤竜も困ってるはずだ」


『そうかしら?』


 妹妹はとぼけた口ぶりで問い返す。冽花は少しだけ反感を覚える。

 今の精神状態では、「そうに決まってる!」と、子どものように反論したくなる。


 あれからどれぐらい経ったか知らぬものの――未だに覚えているのだから、鮮明に。


『冽……花……ッ!』


 そう、懸命に呼んで。縄打たれて動けなくなり、陰気を吸われて苦しい思いをしつつ。それでも冽花のもとへと来ようとしてくれた姿が。


 自分がヘマをしなければ、あんな酷い目に遭わせずに済んだのである。

 自然と――自虐的な物言いになった。俯いて頷き返す。


「そうさ。こんな契約者の面倒みなきゃいけないなんて……賤竜が可哀想だ」


『そうかしら』


「そうだよ。だって――」


 そうして、なおも後悔という心地よい泥濘(でいねい)に足を浸けて進もうとしたのだが。それを、妹妹が遮る。とんでもない言葉でもって。


『でも、哥哥は楽しそうだったわ』


「……え?」


 楽しそう? 賤竜が?


 冽花は瞬いた。おもわずと穴が開くほどに妹妹を見てしまうのだが、彼女は笑って頷き返した。ゆっくりと冽花の背を撫でさすりながら。


『ええ。哥哥は楽しそうだったわ。例えば……ふふっ、覚えているでしょ? 哥哥たちの素晴らしい演武。仰っていたじゃない、『“思いっきりやっちまえ”と命じられて、“思いっきりやっちまった”』って。初めてよ? あんな仰り方したの』


 妹妹はころころと笑い声を漏らす。


『あとにも先にもあの時だけ。哥哥が風水僵尸になられて以降は』


「嘘」


『嘘じゃないわ。それからもっとある。漣建(れんけん)のお店で、店東(てんしゅ)さん達のひみつを告げる時。やりすぎてしまいそうになった哥哥を、大慌てで冽花止めたじゃない? 『多謝(ありがとうな)!』って言った時の、哥哥のお顔を覚えてる?』


「…………」


 覚えている。


 賤竜は目を瞬かせてから細めて、静かに『是』と呟いたのであった。

 あの微かながらも柔らかく『人間らしい』表情を覚えている。


 妹妹はなおも告げた。歌うように告げていくのである。


『それ以外にもあるわ。たくさんたくさん、ある。冽花は頑張っていたわ。哥哥のことを知れるように、哥哥が三百年後の世界でも不自由しないように。たくさん、心を砕いていたわ。哥哥はご覧になってたのよ』


「そんな……でも……」


『誰にでもできることじゃあないわ。少なくとも、玉環(ユーホン)だったら。ここまで哥哥はお心を開かれなかったでしょうね』


 玉環。もう一つの前世を引き合いに出され、冽花は瞬きを落とした。


「玉環でも?」


『ええ。彼女も、彼女なりに懸命だったけれど。哥哥を対等には見なかった。見られなかった、というのが正しいのだけれど。……でも。哥哥にだって心はあるわ。あまりに見えない、見えづらい。お見せしようと、なさらないだけで』


 少しだけ妹妹は寂しげに笑った。けれど、次の瞬間には穏やかで、晴れやかな笑みに変わるのである。


 体を離すと、まっすぐに冽花を見つめた。優しく甘い蜂蜜色の眼差しで。

 真っ直ぐに心を込めて告げるのであった。

 ずっとずうっと二人の旅路を見てきた者として。


『冽花だから。冽花だからこそ、哥哥は動かれたのよ。助けようとした。冽花が“そうとしたい”と思うことを叶えるために。――まずもって冽花。どうして、あの首飾りをそんなに取り戻したいと思ったの?』


「そりゃあ……」


 あの首飾りは賤竜が勧めてくれたものだから。

 無鉄砲で、事件に巻き込まれてしまいがちな自分を心配して。


「……あ」


 冽花は思い出した。視野狭窄(しやきょうさく)に陥り、当時は見えなかったことを。


 賤竜は――見ていたのであった。何にも言わなかったけれど、傍らで見ていた。ずっと。

 自分の勧めた首飾りを奪われ、懊悩する冽花の姿を。


 『あたしにとっては……大事なものだった』。そう、迷わずに言い切る姿を。

 賤竜にだって心はあるのだ。


「……ああ……」


 冽花は息を漏らした。狭まっていた視界が、少しずつ開けていくような思いがした。

 どうじに新たな涙が込み上げるのを感じた。それまでと異なり、温かな涙であった。


「賤竜」


 彼に会いたい。そう、心から願った。

 話したいことがたくさんある。


 見えてなかったこと、見ていてくれたことへの感謝。たくさん、たくさん。


 拓かれた冽花の目。磨かれたかのように澄んだ瞳を見て、妹妹は満足そうに頷いた。そうして一度だけ、冽花の頭を撫ぜては消えていく。


 冽花はくすぐったくて首を縮めたものの。すぐに涙を拭いて、真っ直ぐな目をして立ち上がったのだった。

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