第30話 陰陽の竜
冽花はその物言いに覚えがある。その構えに覚えがあった。
その現象に、嫌というほど覚えがあったのである。
貴竜のその挙動は。
かつて玉環が、彼と賤竜を戦わせたおりに、よく見せていたものと一致していた。
炎が晴れた先に立つ貴竜は、もう演舞のための嫋やかな姿ではない。
その手に白き卜字拐(トンファー)を握りしめた、陰陽の陽をあらわす白備えに木行の緑の差し色を入れる、武人姿に変わったのである。
皮革の甲片で編まれた皮冑に大粒の翡翠をいただき、厚手の白い衣装の上に胸背を守る部分鎧を着こんでいる。
くるりと手元で返す拐を構えて、再び貴竜は指先で招いてきた。
未だにまごつく冽花であったものの、すぐに平手で頬を張られるような衝撃を受けた。
すぐ隣から淡々としつつ、確固とした声色があがったのである。
『冽花。基本武装解禁の許可を求む。早急に』
「っ!」
弾かれるように賤竜を見ると、その瞳孔を開かせた目は、かつてないほどに爛々と光り輝いていた。あの賤竜が、感情をむきだしにしている……!?
冽花は圧倒された。そうして、おもわずと顎をひくなり。
「許す」
そう、告げていた。かつての玉環だった時のように。
次の瞬間、賤竜もまた全身を黒き炎に包みこんでいた。
そうして、陰陽の陰をあらわす黒備えに木行の緑の差し色を入れる――貴竜と対を成す、全身鎧の姿へと変わったのであった。
ずるりと炎のなかから黒き棍を引き抜き、ひと飛びで舞台へと飛び乗っていた。
飄々と口笛を鳴らし、貴竜はなおも面のにやつきを深めた。
『嬉しいぜ、哥哥。廟から連れ出されたって聞いた時にゃあ、どうなるかと思ってたんだ。いつまたこうやって“遊べる”のかって気が気じゃあなくってさ』
『此らに、もはや言葉でのやり取りは不要だ。貴竜。お前の言う通り、我らが本領を……有用性を発揮する時である』
『ふふっ、相変わらず硬いねえ。まあ、いいや。俺たちの価値の証明以上に、やんなきゃいけないことなんざ、ありやしねえからな! やろうぜ、哥哥!! ――オラァ!』
貴竜における真っ直ぐな突貫。そこから、その戦いは始まった。
場にいる人々は――冽花も含めて、ひたすらにそのやり取りに圧倒され、魅せられた。
流れるような棍と拐の応酬。
片方が突けば、すかさず片方がそれをいなし、無駄のない動きで応じる。
位置を入れ替え、跳んではねて、踊るように戯れるように、二体の竜は打ち合う。
そうして気付けば、渡り合いは十合にも達していた。
ここで飛び退った貴竜の得物に白き炎が纏われた。
『腕は鈍ってはいないようだな? なら、次はこれだ』
『冽花』
硬い声音で賤竜に呼びかけられ、我に返り、慌てて冽花は声を張った。
「だ、第一段階、『水滴石穿』の使用を――」
『ん? 一段階だけでいいのか? ……俺は第三段階まで解禁されてるぜ?』
「は!?」
何気なく冽花を見てくる貴竜に、二度見する冽花だった。
第一段階だけでもとんでもない事象を引き起こすにも関わらず、彼の契約者は第三段階まで使用を許可しているという。何を考えているのだろうか!
――第一……ッ
冽花は歯噛みをする。
自分は、第一、第二段階までしか知らない。
なぜならば、玉環の夢を垣間見ることによって『部分的』に賤竜の戦いを知っているに過ぎぬのだから。
だが、慌てる冽花を貴竜は待ってはくれない。
『呆けてる暇はないぜ! 第一段階、『水滴石穿』だ!!』
その通り、呆けている暇はなかった。
貴竜の拐が賤竜の腹部をねらい、突きこまれにかかる。応じて賤竜もまた棍に黒き炎をまとい、それをいなした。
第一段階、『水滴石穿』は、『必要最低限の気を、任意の気脈に打ちこむことによって、一時的・永続的にかかわらず断滅せしめる』技である。
だが、冽花の知るそれは陰型の話だ。
恐らく、陽型の場合は逆。察するに活性化である。断滅と活性化の技がぶつかり合った場合、いかなる事象が起きるかというと。
二つの炎が触れあった途端、どん、とその場に腹にこもる微振動が生じた。
見る間に、貴竜の拐と賤竜の棍の合わせ目を基点に、白と黒が混ざり合った。白がぐるりと右下に沈みこみ、黒がぐるりと右上に昇った。
二つの勾玉状に溶けあう炎のなかに、白黒の『目』が開かれて――太極図が完成する。
二人は勢いよく離れる。その瞬間、太極図は砕け散った。
目に見える薄灰色の衝撃波と化し――大地を駆け抜け、場にいる人々に殺到する。
その衝撃波はことのほか柔らかく、人々の体に触れて染み通り、走り抜けていった。
これは、と冽花は目を瞠らせた。
衝撃波に触れた瞬間、えも言われぬ活力が身の内から湧きあがったためである。
賤竜と貴竜は再び打ち合いを始めている。また一合二合と、その得物が噛み合うつどに衝撃波が生まれて――少しずつ、その足元に緑を生い茂らせていた。
黒一色であった土舞台は、いつしか、木行の緑一色に染め上げられようとしていた。
――これ、って……?
冽花は思い至る。風水僵尸の在り様……本当の在り様を間近で見ることによって。
賤竜のみなら破壊しかできず。貴竜のみなら、育むにまだ『弱い』。
陰陽和合。くるくると白と黒の武人は回り、打ち合い離れては、生命を織りなしゆく。
――これが、もしかして、本当の風水僵尸の力……なのかな。だから。
だから、二人いるのか。
そう。陰型と陽型、なにも優劣があって区別されているわけではない。
お互いのもつ陰気、陽気を補完し合うことで、陰陽を盛んに循環させる。周囲に命を、恵みをもたらしていくのだ。
その役割の名が『賤竜』であり『貴竜』というだけの話なのである。
そうして、回りだした陰陽は止まらない。
嬉々とし笑う貴竜が、次なる局面を欲しがり、声高に吼えた。
『おら、そろそろ次に行くぜ! 第二段階、『震天動地』だ!!』
「っ! だ……第二、段階……『震天動地』を許可する!」
『知道!』
なかば貴竜の勢いに引っぱられる形であったものの、冽花は湧きあがる怖気を噛み殺し、目を大きく瞠った。
どの道、『水滴石穿』では『震天動地』に敵いようがない。
第二段階、『震天動地』とは、文字通り、『大地を揺るがせるほどの強大な気を、気脈に叩きこむ』技である。これによって陰型の場合はすべからく気脈が断絶し、周辺地域への著しい破壊を可能とする。していた。
元は大軍勢へとむけて仕向けられていた、乾坤一擲の大技である。
無論、その破壊力のほどは玉環の夢から知ってはいたものの――退くことはできない。純粋な、出力を上げた殴り合いになる可能性があるからだ。
実際に、声高に賤竜も吼え応じて、より棍へと込める炎の出力を上げた。
ニヤリと笑い、貴竜は挑みかかるのだった。
先にも増し、地をどよもす揺らぎが生じる。そして、再びの薄灰色の衝撃波が弾けて、その場を走り抜ける。
場に集う観客たちは――これだけ揺れて、これだけ彼らにとって意味の分からない戦いが繰り広げられているのにも関わらず、誰一人として動くことができなかった。
冽花はその理由が分かった。本能で理解してしまった。
陰陽の風水僵尸がもたらす気の流れは、あまりに心地がよすぎるのだ。
しかし、それだけに――歯噛みせざるを得ない。
自分は、彼を。賤竜を。こんな風に『使う』のではなく、龍脈に還したいのだから!!
だが。この戦いは退くことができない。なぜならば、先の賤竜と貴竜のやり取りを思い起こすに。この戦いは。
「っ……賤竜……ッ」
千々に乱れる思いを飲みこみ、冽花は叫んだ。
「お……思いっきり、やれぇぇー!!」
この戦いは。彼が望んだものなのだから!
『是!!』
冽花の思いに呼応するかのごとく、賤竜はこれまで聞いたこともないほどに吼え猛る。みずから貴竜へと突っ込んでいった。そのことに貴竜もまた目を輝かせて笑う。
『あんたの契約者もイイ感じじゃん? なかなか』
『…………』
『ハ。相変わらず契約者やてめえのコトになるとだんまりか。ま、イイけどね。……俺も、そろそろ……自慢の契約者とヨロシクしちまおうかな?』
そう言って、ぐるりと肩ごしに振り返ると、嬉々とし笑い、拳を突き上げる宝保の姿があった。そこから――瞳をその後ろへと移す。
そこには義敢が控えていた。腕を腰の後ろへと組んで、折り目正しく待機していた。
その左目が細められるのを確かに貴竜は見た。ニッと笑い返すと賤竜に向き直った。
『もっとだ。もっと“遊ぼう”ぜ、哥哥。もっともっともっと……!』
拐を構え直しては、体を反らし、力いっぱいに吼えた。
『第三段階、『流水光底』だ!!』
その言葉を聞いた途端、冽花の緊張は極限に達した。
――来た!!
まだ見ぬ第三段階だ。どんなことが起きるのか分かりようもない。
だが。ただ一つ、分かることがあった。
ここで退いたなら、賤竜が負ける。そうして。
『逃げた』ならば、自分は二度と彼に顔向けできぬということであった。
『思いっきりやれ』という言葉に嘘偽りはない。
そうして、自分は彼に『二度と嘘をつきたくはなかった』のである。
出会った時。契約を済ませた直後に、開口一番言い放たれた言葉を思い起こした。
『嘘吐き』
三百年ごしに届けられた応え。玉環の言葉が、行動が、『嘘』になった瞬間。
泣き崩れた玉環は賤竜の靴先しか見えなかった、見なかったけれど。
あんな言葉を言わせたくはない。思いをもうさせたくはなかった。
思いを、叶えてやりたかったのである。
だから。冽花は躊躇なく、その言葉を叫んだ。
「第三段階、『流水光底』を許可する!」
『知道!!』
それが、自身の身に何をもたらすのかも知らずに。
知らぬまま、見て見ぬふりをし臨んだ。その代償を支払う時は、すぐそこまで近づいていた。




