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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第七章「探路と妹妹」
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第26話 探路と小さな姐姐(おねえさん)

 探路は笑った。どうにも、苦味が禁じ得ない笑みをうかべて。


「こう考えてみると、僕は普通の人間なんじゃないか? とも考えられるよね。……あそこにいたのは、何かの間違いなんじゃないか、って」


 そういう考えも生まれてしまうのだ。その言葉に、妹妹は目に見えて慌ててしまう。


 だが、やはり探路はすぐには彼女を慮る気持ちになれなかった。


 あの――辛く厳しい忍従の日々が思い起こされたからであった。


 自分が誰かも分からないまま、四肢を鎖に繋がれて、狭い檻のなかに座り、時おり配給される饅頭(蒸しパン)と水で永らえていた。


 さらに食事には痛みが付き物であった。食事のたびに浅いとはいえ傷をつけられ、血を絞り取られたためだ。その傷を自分で舐め、癒すために次の食事を待った。


 そうしている間に、時おり連れ込まれて連れ出されてゆく蟲人たちを、成すすべもなく見送っていた。時には自身が連れだされることもあったが、どこでも扱いは同じだった。


 人間らしい活動の一切を抑制され、劣悪な環境下で『飼育』とも言うべき扱いをうけて。

 少しずつ、人間性が死にゆくのを感じていた。


 手足は衰え、体力がなくなり、声はかすれて、思考力も鈍麻していった。

 冽花と会った頃には、半ば獣と化していたかもしれない。


 だが――あの、野の花のごとき輝きを目の当たりにした。


 花も嵐も引き連れての躍動に加えて。嫌なことは嫌だと言い、また逆に人を温かく思いやる姿があった。人間らしい心があり、生きていた。


 そんな彼女の姿に、少しだけ凝り固まっていた心が、息を吹き返したのである。


 だが。こうして平和な日々を過ごしていても思い出してしまうのだ、時おり。


 そうして、こう思うのである。


 今がもしかしたら夢であって。本当は未だにあの檻のなかにいるのかもしれない、と。


 ――そうだとしたら、僕は。


 弱々しい笑みを浮かべるまま、底なしの泥濘のごとき絶望に陥ろうとしていた、その時であった。


 ふ、と――目の前がほんの僅かに、暗くなった気がした。


 気づくと探路は妹妹に抱きしめられていた。


 小さな小さな体に抱かれて、頭を撫でられていた。


『探路』


 まろく柔らかい声が呼ぶ。仮初の名前を。

 けれど彼女が。野の花のような人が付けてくれた、『こちら側』での名前を呼んだ。


 探路は瞬く。


「妹妹……?」


『うん。探路。好孩子(いいこ)、好孩子』


「――……!」


没事(だいじょうぶよ)好啦好啦(よしよし)


 探路の胸のうちを見透かすような言葉であると同時に、子どもをあやすような物言いであり所作であった。どこか手慣れていた。


 否。あるいは。冽花たちにもこうしていたのかもしれない。彼女はずっと、ずっと長く生きてきたのだから。


 死者に『生きていた』という表現は不適当かもしれない。それでも、今の探路にとって、この表現と感覚がぴったりと当てはまると思った。


 優しい仔猫。龍脈に還ることもなく長くこの地上に残ってきた――ただ一つの、大切な心残りを果たすため、留まり続ける死者。


 探路は口を、小さく開けて。戦慄かせた。


 喉が急激に干上がるのを感じた。そして、直感的に、『まずい』と判じていた。


 この感覚、この現象は――……泣いてしまう。


 目頭がカッと熱くなり、視界がみるみるうちに歪んで、滲んでゆくのを感じていた。

 けれど抗えなかった。ひくり、と喉仏を上下させて――最初の一粒が零れ落ちるのを、他人事のように知覚していた。


 熱く、塩辛い涙が溢れだす。


「う、ぁ……ああァ……」


 抱かれている感触などはない。

 包む身の暖かさも、撫でてくれる手の柔らかさも、ありはしなかった。

 だが、確かな暖かさを感じていた。


 ずっとずうっと欲しかったものを、得られた気がした。


 ……否。少しだけ、違う。まだ少しだけ違和感があった。胸に隙間風を感じた。


 そうして。

 零れ落ちる滂沱の涙を感じながら、探路は、ただ一欠けらだけ思い出したのである。


 それは、とても――とても大切だったに違いない記憶であった。



 夕日に染まる一室。瀟洒(しょうしゃ)な調度品と執務机とに囲まれた場所で。

 窓から〇×の街並みを眺めながら、『彼』と話をしていた。


「この景色もしばらく見納めになるかと思うと、感慨深いものがあるな」


『何を大げさな。たかが三月の巡視だろうが』


「三月もだよ? ××。三月も、この街と君と離れ離れにならないといけないだなんて。涙が出そうだ」


『然様なことぐらいで泣くな。仕方なかろう。これも我らの重要な仕事の一つだ。励むがよい。……留守は任せておけ』


「うん。この街を頼んだよ」


『うむ。お前も、壮健に過ごしていろ』


「もちろんだよ、××」


 それからしばらく沈黙をおいた後、おもむろに向き直ると『彼』も振り向いてきた。

 その顔は赤い光のなか、逆光となっては判然としない。


 けれど、手を伸ばすと確かに『彼』はそこに存在した。頬の輪郭を指先でなぞる。


「三月後には必ず帰るからね。約束する」


『ああ、しっかりと務めあげてこい。……しかし、なんという顔をしているのだ、お前は』


 自分は一体、どんな顔をしていたのだろう。だが薄い肩が揺れて、困ったように『彼』が笑う気配があり。柔い衣擦れの音をたてて、たっぷりとした筒袖が寄せられた。


『しようのない奴だな』


 憎まれ口を叩きつつ、袖を寄せて背へと回し、抱きしめてくれた。


『お前は案外と、寂しがり屋なのだから』


 そう言って、甘やかしてくれる『彼』の――誰かの姿が見えたのである。確かに。



 だが、次の瞬間、激烈な痛みが頭を貫いて。


 影は一瞬で消え去ってしまった。探路のなかから。

 あっ、と探路は呻き声をもらした。ついで、あうぅ、と漏らした呻きは、痛みへのそればかりではなく。心が悲鳴をあげるがゆえであった。


 ようやく。ようやく掴めたのに少しだけ。


 ――誰? 誰なんだ、君は。一体。


 それが、何よりも追い求めているものだと判じた。直感的に理解していた。


 目を瞑ってすすり泣く。子どものようにかぶりを振って、妹妹の胸元に顔を擦り寄せて、泣いたのである。

 声にならない嗚咽(おえつ)をもらし、胸の内で、ままならない思いに慟哭(どうこく)した。


 ――誰なんだ、君は。ねえ。応えておくれ、もう一度。

 君に、会いたいんだよ。君のもとに帰りたいんだ。

 辛くても苦しくても、心がすり減っても。だから耐え続けたんだ、僕は。

 『××』……君に会いたい。


 応える声はない。それが余計に悲しくて探路は泣いた。


 ズキズキガンガンと、のたくる蛇のように頭の内側から全体を、痛みに苛まれたとて。声が枯れるまで泣き尽くして、そうして体力を使い切ったのであった。


 泣く力も失せて、眠気に苛まれだす探路から、そっと妹妹は離れた。そうして、牀から降りていく。その様子を見て、探路は口を開いていた。


「ねえ、妹妹。……どうして君は、普段あまり表に出ないんだい?」


『え? うーん……』


 急な問いかけに、妹妹は目をみはって唸りをもらした。だが、そう訊いたのにはわけがあった。きっとこの後、冽花達を呼びにいくに違いないからである。


 泣いて泣いて泣き尽くして、探路は色々なものが枯渇(こかつ)していた。

 そうして冽花たちが戻ってくれば、この時間は終わりを告げる。妹妹は――見ていると、滅多に表へ出てこないようだから。


 頭のなかにほんの少しだけ掠めた影へ、言い訳をする。


 ――そうだよ、僕は意外と寂しがり屋で……甘ったれなんだ。だから。


 気になっていたことを聞いてやろうという気になったのである。

 少しばかり悩んだ末に、妹妹は幼い顔に不似合いな大人びた苦笑を滲ませた。


『わたしの時間はもう終わってるから』


 その答えに探路は目をゆっくりと瞬かせて、「ああ」と呻きまじりに告げたのであった。


 自分の時間。自分の生は終わりを告げているから。だから。

 今生の生にくっ付いてきてしまうほどの未練があろうとも、できるだけ影響を与えないよう、出てこぬようにしているのだ、と。


 だけど、それは。


「でも、それってすごく寂しいことなんじゃないかな」


 そう、探路は告げた。率直に思った。


 先ほど彼女のことを、『生きている』と感じたのだから尚更に。


 今、こんなにも近くに大好きな哥哥(あにさま)がいるというのに。彼に記憶が残っていないとしても、もっと甘えたり、話してみたくはないのかと。


 みずから気持ちを押し殺し、表舞台に立とうとせぬのはあまりに惜しく、寂しく。痛々しく、いじらしい――そんな結末を、探路は望まなかった。


 それとなく、そっと内緒話をするかのように声を潜めて、囁きかけた。


「もっと哥哥と話したいんじゃないかい? ……甘えたいんじゃないのかい?」


 効果はてきめんだ。その声を聞いた途端、妹妹は困ったような顔をした。眉尻とともに猫耳をも伏せて、尾を垂らしたのである。


『で、でも……』


「今更と思うかい? 冽花はむしろ喜ぶと思うよ。賤竜は……戸惑いつつも受け入れると思うな」


 言いつつ、あのすこぶる内心の分かりにくい真顔を思い浮かべる。けれど、よく見ていると分かりやすい賤竜の内面に、ふふりと探路は含み笑うのだった。


 冽花と風水――自分の務めに対して忠実であると同時に、自分にたいして頑なだ。そうして最近では、冽花に関わる事柄に積極的に関わるようになりだしていた。


「まあ、僕に任せておきなよ。今日のお礼がわりだと思ってね。……ああでも、一つだけ約束してほしい。僕が、君に抱っこされて泣いちゃったことを、秘密にしておいてくれるように。……さすがにバレるのは恥ずかしいから」


 歯を覗かせて肩を揺らし、片目を瞑ってみせると。妹妹は瞬いた後、口元に手を当てた。クスクスと泡が弾けるように笑い声をこぼしたのである。


 そうして、こっくりと頷くと薄紅色の光の粒となって散った。


 ――その場に訪れるのは静寂である。遠くに、また人の営みの喧騒が聞こえ始めた。


 ふっと一つ息をこぼすと。少し前とは別種の、穏やかな心もちでもって、探路は眠りに就いたのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 第24話まで拝見しました。 とにかく世界観の作り込みが凄いですね……!キャラの特性は勿論のこと、中国語や風水、死生観、情景描写など、細かい点まで洗練されているなと感じました。 また、ヤア…
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