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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第六章「『僕』は知らない『私』の事情」
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第24話 『私』が思いを遺した理由

 その後。

 『私』は『彼』と会うことなく、その地を立った。


 仲間内に伝え聞いた話によると、その後つつがなく婚姻を終えたのだそうな。

 胸は軋むように痛んだものの、この身は遠く異郷の地にあった。まだ、『彼』の傍にいるよりは耐えることができた。


 遠いこの地で、彼の幸いを願いながら生きていく。そんな生活が『私』には合っている気さえしていた。

 そうして、『私』は次第に日々の喧騒のなか、『彼』のことを思い出さなくなっていった。


 そして、胸の傷の痛みも忘れかけた――ある日のことだ。


 一通の手紙が届いた。


 差出人は湖藍。途端に心臓が飛び跳ね、『私』は大いに狼狽することとなった。


 悩みに悩んだ末に手紙を開いた。


 そこには『彼』の繊細かつ神経質な文字が並んでおり、見ているだけで懐かしさと心の浮き立ちを覚えた。


 痛切に、『会いたい』という気持ちがこみ上げてきた。

 だが。文章のなかに『彼』の愛する女性の名があり、『私』の心は萎んだ。


 文末に、『いつ帰るのか』と書かれてあった。

 『私』は、その文字を見るだけで、やはり心浮き立つ思いがしたのだけれど。


 手紙を閉じた。

 それが『私』の選択であった。見ない振りをしたのである。


 『私』は湖藍が恋しかったけれど。それと同じぐらいに、秘めたる恋を押し殺す日々に疲れていたのであった。


 だが。湖藍は諦めなかった。

 手紙はそれで終わらなかった。折に触れて届くようになったのである。


 春の桜の頃には、二人で見て回った桜の話を挙げて、新作の詩を送ってきた。

 夏の暑い時分には、二人で舟で川下りした思い出を挙げて、また詩を送ってきた。


 秋の紅葉が美しい頃には、二人で歩いた秋山の鹿の声を挙げて、やはり詩を送ってきた。

 冬の寒い時期には、身を寄せ合い酒を酌んだ折を詠み、詩を送ってきたのであった。


 そうして、最後の文末には必ず、『いつ帰るのか』と書いてきた。


 『私』は――ここまで思いを寄せられながら、それでも応じることはできなかった。

 最後まで手紙に目を通し、そっと文箱にしまう。その行為を続けた。


 けれど、今にして思えば。応えなかっただけであり、『私』のなかには確かに降り積もるものがあったのだと思う。だから、あんな行いをしたに違いなかった。


 送られてきた手紙は、やがて文箱一つを満たすまでになった。


 そんな折だ。その手紙は来たのであった。


 いつもの時候の挨拶からではなく、さりとて詩が連ねられているわけでもなく。

 ただ一つきり、『いつ帰るのか』とだけ書かれていたのである。


 『私』はその異変に首をひねり――やはり今思えば、その時から、胸騒ぎめいたものを感じていたのかもしれない。


 筆を執った。そうして。


 今となっては、『嘘になってしまう』答えを書いたのであった。

 

 『次の春には戻るよ』と。


 すると、手紙はほどなく返ってきた。


 『本当だな? 本当に帰ってくるのだな? ならば待っているぞ』


 そういった旨の手紙であった。相変わらず、詩は添えられていなかった。


 『私』はその文章のなかに一種の切実さを覚え、おもわずこう書いたのである。


『もちろんだよ、湖藍。約束する』


 そう記し、送ったのであった。それに対する返事は来なかった。


 湖藍は満足したのだろうか。長年、音沙汰のなかった『私』が唯一おくった返答に対し、どんな思いを抱いたのだろう。


 初めて、『私』は、『彼』と離れた遠い異郷の地にいることを呪った。

 『彼』の傍にいることができれば、その生みだす音で『彼』の気持ちが知れただろうに。


 嗚呼、だが。『彼』の傍には彼女がいる。自分の居場所などありはしないのだ。


 かように思いつめたのがいけなかったのだろう。


 少しずつ『私』は食事が喉を通らなくなった。花が萎み、枯れゆくのにも似て、世界のすべてが色あせて見え、床に臥せるようになっていった。


 そして、次の春。約束の春には、起き上がることも難しくなっていた。


 そうして、『私』は。この頃の『私』は、『彼』に詫びの手紙を書くことすらも恐ろしく感じるようになっていて。

 黙って、約束を破ったのであった。


 そして、巡ってきた夏。


 『私』のもとに、一通の報せが届いた。

 それは。


 湖藍の訃報を告げるものであった。


 『彼』が、何を思って幾通もの手紙を書いたのか。

 『彼』が、どんな思いで『いつ帰るのか』としたためていたのか。

 『彼』が、『私』の結んだ約束にたいし、どんな思いを抱いていたのか。


 もう知ることはできない。


 その報せを読んだ瞬間、『私』は。『私』の心は。


『……ルー。――……ルー』


 魂は。


 千々に張り裂けたのであった。


『探路。起きて、探路」


 そうして、『私』は――……『僕』は。


 その呼び声にしたがい、意識を浮上させたところで。


 頭のなか、瞼の裏にまでひらめく、刹那の『赤い光』に苛まれて。

 これら記憶を失い、目を覚ましたのであった。

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