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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第六章「『僕』は知らない『私』の事情」
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第23話 『私』が『彼』から離れた理由

 きっかけはたぶん、読んでいた『詩集』だ。


 最後に目を通したのは、鶯の詩であった気がする。


 番をもとめて囀る、夏山に響く鶯の声になぞらえ。恋しい恋しいと募る思いを文にして送った。けれど、相手からの答えはない。今日も私は一人、鶯の声を聞いている。

 そういった趣旨の詩であったはずだ。


 『悲しいものだな』と滲みでる哀切に感じ入る一方で、共感できない部分もあった。


 ――そんなに慕わしいのなら、手紙など待たずに会いにいけばいいものを。


 そう思ったからだ。


 きっとこの詩の作者は自分のように、手足が萎えているわけでもなく。まして、記憶を失くしているわけでもない。


 心赴くまま自由に手足をつかい、相手のもとへ訪ねていけばいいのに。


 そんなことを考えていると欠伸がもれた。徐々に瞼が重くなってくるのを感じた。


 そうして、その夢を見た。

 何べんと見るけれども、一度も覚えていられない夢を。


 見れば必ず、誰かも分からぬ相手へと詫びる。……涙を振りしぼりながら。

 そんな夢を見たのであった。


 『僕』は――……『私』は。

 『私』は罪人である。名を名乗る価値もない咎人(とがびと)だった。




 ――一分の乱れもない規則的な足音。今日は少々荒く土を踏みしめている。


 夕紅(ゆうぐれない)に染まる塾の一室にて。


 竹簡や巻物のつまる書架に挟まり、『私』は『彼』の訪れを知った。


 これから庭を回り、入口からはいって、他の講師に挨拶がてら『私』の居場所を聞いて。廊下を通り、我がもとへとやって来るのだろう。


 手に取るように分かる。『彼』は礼と道理を弁えている男だ。きっかり決められた道筋を通り、我がもとを訪れるに違いない。


 果たして『彼』は予想通りに動く。


 規則正しく一定の歩調を保つまま、こちらを目指し始める。


 その足音を聞きつつ、『私』は手にした竹簡と巻物の小山を片付けていた。

 だが、ふと『あること』に気づき、笑ってしまう。


 相も変わらず一定で刻まれる靴音。だが、微妙に先ほどと比べると早まっている。足音自体も大きくなっているではないか。


 変化は微細であるものの、『私』には分かった。彼が苛立っていることが。


 そして、足音は廊下へと至る。

 今や、生みだされる反響は『私』の耳に痛いほど、よく染み通っていた。

 作業の手を休め、残りの竹簡と巻物をまとめて置いた。

 耳をふさぐ。


 これから起きることは、『彼』に言わせると『耳が良すぎる』『私』にとって、酷極まりないことであったからだ。


 ほどなく。建付けの悪い扉が引かれた。

 そして間もなく、幾ばくも進まぬうちに引っかかったのであった。

 ただでさえにも苛立っている者が、面白いはずもなく。


 ガッ。……ガッ! ガンッ!


 塞いだ掌ごしにも聞こえてくるのだから、相応の力が込められているのだろう。だが、扉は最後まで滑らかに進むことはなかった。

 合間に、低い唸り声と短い悪態と舌打ちが聞こえた。


 さもありなん。こういう男だ、『彼』は。

 旦湖藍(ダン・フーラン)という男は。

 礼と道理を弁えているものの、公私の顔が著しく異なるのだった。


 そして、ようやく扉は開かれる。その向こう側から、『彼』は顔をのぞかせた。


 夕日を照りかえし、まばゆく輝く、額の白角。

 その下で、痩せぎすの顔の満面がしかめっ面になっていた。


 細い眉により峨々(がが)たる山脈が描かれ、元よりつり上がった細目がより一層、まなじりを尖らせ。口元からは薄く歯列すら剥きだしていた。


 ――嗚呼、すごく不高兴(おかんむり) だ。


 この期に及んで、『私』は笑いだしたくなった。


 なぜって、『彼』は薄い肩を上下させて、『私』を睨みすえている。


 『私』に早く会いたいがために、歩調を速め、扉にやつ当たり気味に挑みかかり。息を切らして――今、心臓を早鐘のように脈打たせているのである。


 これが嬉しくなくて何とする。これが――愛おしくなくて、何とするのだろうか。


 微笑みかけると、目尻が一層つり上がった。

 扉の縁に手をかけて、一歩大きく踏み込んできた。


「旅に出るとは、本当か?」


 唸るようにひと声。開口一番にこう告げてきたのであった。


 『私』の前で立ち止まると、たっぷりとした筒袖に包まれる腕を両方とも腰へと当てて、身を軽く乗りだしてくる。


 肩をもいからせて、『私は怒っているのだぞ』と主張がよりおこなわれる。


 だが、やはり『私』には聞こえていた。


 『彼』の心臓が、訊ねるとどうじに『ドクリ』と、ひと際大きく飛び跳ねる様が。目元、口元、肩と、より硬く筋肉がきしんで強張る音をも聞こえていた。


 示す感情は――『緊張』と『不安』か。

 告げたのは一言なのに、こんなにも多くの音を『私』へと発している。


 今日も我が友は、非常に不器用に『私』へ多くの感情を抱いて、投げかけていた。

 やはり愛おしく思いながらも、つとめて平静を保ち、『私』は応じた。


「本当だよ、湖藍」


「……っ、なぜ」


「春海にいる伯夫(おじ)に誘われてね。この塾を辞し……しばらく、あちらの土地を、ほうぼう巡ってみようと思うんだよ」


 『彼』の目が見開かれ、うろついて、息が飲まれた。

 だが、それも刹那のことであった。すぐにまた眉間のしわを深め、首を傾げてきた。


「然様な、あまりにも急なこと。……今でなくてはいかんのか? それは」


『私』を見上げる瞳がかすかに揺れていた。


 聞こえてくる心臓の音も、いぜんとして大きく脈打ち続けていた。

 すべてを分かっていて、『私』は頷いた。


「伯夫に、仕事を手伝ってくれ、とも頼まれていてね」


「……っ、そうなのか」


「うん」


 『彼』は俯いてしまった。ゆっくりと乗りだしていた身を引いていく。腰に当てていた手もずり降ろした。唇を結んで、瞳を右方へと逸らし、何事か考えている様子であった。

 そうして『彼』はまた口を開いた。挑むように『私』を見上げて。


「日延べすることはできぬのか、幾ばくかでも」


「どうして?」


「…………お前にも、参加してほしいからに決まっておろう」


 目を伏せ、『彼』は顔を少しだけ背けた。


 途端にじわりと頬と耳に朱がのぼっていき、『トクン』と心臓が跳ねる音がした。

 やさしく、綺麗な音であった。


「私と彼女の結婚式に。……他ならぬ……恩人であるお前にな」


 そうして、『彼』は上目ぎみに『私』を伺ってきた。


 『私』は――。


 そんな『彼』を見て、胸に刃物を突きこまれるような痛みを覚えていた。


 きちんと笑えているだろうか。笑えているはずだ。『彼』の顔色に変化はないのだから。

 抱えた痛みもばれてはいないはずだ。『秘密』は、ばれていないはず。


 そうして、『私』は笑ったまま口を開いたのだった。さも残念そうに眉尻をさげて。


「悪いね、湖藍。伯夫に、どうしても、と言われてるんだよ」


「……っ、……そう、か」


 『彼』にとっては一世一代の勇気を振り絞った言葉だったのだろう。

 今度こそ、項垂れた。深く俯き、唇をかみしめた。


 ……『彼』に、『私』いがいの友達はいない。


 外面はいいものの、その内実は偏屈で不愛想。癇癪もちな上に繊細な心をもち――その豊かな感性は、皆の心をうつ詩を作りあげる。


 川下りをした折に作った、碧々(あおあお)とした水面と草木を(うた)い、“翡翠(たま)のごとし”と称えた詩は、おもわず『私』も涙ぐんでしまったほどであった。


 偏屈で不愛想で、繊細な心をもち、才にあふれた湖藍。

 独りぼっちの湖藍。


 『彼』の切なる願いと、柔らかい心を切りつけてしまったと分かっていた。


 それでも、『私』は。


「…………もうよい、では」


 ふと、『彼』は呟いた。見ると、その眉間のしわが徐々に深められていた。きつくきつく寄せられていく。

 『彼』は気が長いほうではない。――嗚呼、来るな、と予感した。


 閃く雷鳴のような、鮮烈な怒りの轟きを予感したのであった。


「もう、止めぬ。……ッ、お前なぞ、どこへなりとも行くがよい!」


 『彼』は叫んだ。力なく垂らしていた右腕をも勢いよく振るって。


 室内の空気をわんと震わせる声色に、反射的に『私』の身は(すく)んだ。

 その姿を見て『彼』は目を見開き、息を飲んで――傷ついた顔をしたのであった。


 湖藍はそういうところがあった。

 唯一の友である『私』へと甘えて、時に子どものように癇癪(かんしゃく)を起こす。そして、やってしまった後で自身が傷つくのである。


 いつもの『私』ならば、そんな『彼』を愛らしく思い、折れていたのだが。


「……対不起(ごめん)


 今の『私』は。――強いた笑みすらも浮かべることができなくなっていた。目を伏せて、それ以上『彼』を見ぬことにした。


 『彼』は少しばかり黙した後に、ひと言「帰る」とだけ言い、きびすを返した。


 『私』は最後まで『彼』を見ることはなかった。見られなかったというほうが正しいか。

 湖藍の一言によって、開いた心の傷をかばうのに精一杯だったからであった。



 『私』は友たる立場にあり、また男の身でありながら、湖藍を愛していた。

 だが、湖藍には。愛してやまない女性の存在があった。


 これが、『私』が『彼』の傍から離れた理由――逃げた理由だ。

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