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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第五章「素直になれない男心」
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第22話 その喧嘩の顛末は

 静寂のすきまに差されたような硬さに、一同の瞳が吸い寄せられていく。

 賤竜だ。彼が扉の傍らにある棚に歩み寄ったのである。そして手を伸ばす。


『玄関の傍らに在り、扉を向く睚眦(ヤアズ)


 骨ばった指が勇ましい置物を撫でる。くるりと振り向き、窓辺を指さす。


『窓辺に置かれて玄関をむく、麒麟(きりん)の番』


 その通り、窓辺には、一対の陶器でできた麒麟の置物が置かれていた。

 指が店の奥にある棚を指さす。


『玄関から入り、部屋のおくにて玄関がわをむく豼貅(ひきゅう)


 とつとつとその声と指で数え上げていく。


 冽花は驚いていた。この店のなかだけでも、たくさんの風水が用いられていたことを。


 そして、賤竜の言及は老婦人の寝室から厠所(はばかり)にまで及んだ。

 この家にはとても多くの風水が用いられていたのである。それこそ、厠所(はばかり)の横に植えられた桃の木にまで言及がされたのには恐れ入った。


 一同は突然の、あまりに端的であり怒涛すぎる風水講座の始まりに、目を点にして黙すことしかできない。


 だが、意を決してしびれを切らしたらしいお向かいの店東が動いた。

 というより、不思議とその顔は赤く茹で上げられたように染まっていた。


「い、いきなり何だ、お前は!?」


(これ)は風水僵尸《陰之断流》型、賤竜』


「あァ!?」


「ああ、ええーっと、こいつはあたしの連れでぇ……!」


 大慌てで駆けつけ、場を取り持とう――弁明しようとした冽花を、賤竜は見つめた。

 じっと。けれど、ふとその目が細められた。彼は冽花から瞳をはずし、向かいの店東にむけ言葉を続けた。


『――先の品々、すべて、そちらが購入したものなのではないか?』


 今までの彼ならあり得ない。一歩、他人(ひと)へと踏みこむ物言いをする。

 冽花はその反応に固まった。


 次に槍玉に挙げられたのは、老いた店東であった。


『そちらもそうだ。こちらの者に贈られた品ゆえに埃一つなく、また“言われた通りに”置いているのではないか?』


 老店東もまた、もれなく口を開け放し、酸素不足の金魚よろしく真っ赤に染まり、口を開け閉めしだす。

 が、さすがは年の功だ。ぐうっと歯噛みし、賤竜へと噛みつき返した。


「ど、どっから、ンなことが分かるんだよ。なんか証拠でもあんのか!?」


『証拠ならある。……“虎口煞(ここうさつ)”だ』


 賤竜は再び扉のまえへと行くなり、躊躇なく開け放つ。

 すると、ちょうど正面に、向かいの店の大扉が見える形になる。

 淡々と彼は告げた。


『玄関に面する建物に大きな扉があり、かつ頻回に利用されている場合、風水においては“口を開けた虎が、獲物を呑みに襲いかかっている”状態に例えられる』


 言っている間に中から扉が開き、店員らしき者が数名現れる。店の前を掃き清め、窓や卓を拭いて、と開店準備に忙しく立ち回り始める。

 そのつどに開閉される扉。


『傍から見るに、この家の家相は早急に改善すべき事案だ。とくに、玄関の正面から扉が見えているのがいけない。玄関の正面ないし右方に扉が見える場合が、最も凶相とされているからだ。つねに虎に狙われているため、重い殺気を受け続けている』


 聞いていて冽花は身震いした。


 あのひっきりなしに開けられ続ける扉が、がちがちと歯を噛み鳴らしつつこの店を狙う、虎であるかのように思えたからだ。


 だが、ふと、『殺気』という言葉に思い出した。

 つい昨日交わした賤竜とのやり取りを。



『ああ。あれは睚眦(ヤアズ)だな』


「やあず?」


『是。風水において龍は、“最も強力な吉相をもたらす瑞獣”と言われている。その龍にはさらに九匹の子どもがいるとされ、第七子が睚眦である』


「へえ。……どういうご利益があるんだ?」


『魔除け、悪霊避け、邪気避けだな。睚眦は強力な戦士である。その名は“睨む”という意味の字を二つ重ねて、ヤアズと読む。名前通り、一度睨まれたなら逃げられはしない。魔と戦い、打ちはらい、殺気を飲むのだと、そう伝えられている』


「へええ。殺気まで取っぱらってくれんのか?」


『是。睚眦を置くことは、家内平安、安全をもたらし、因祸为福(わざわいてんじてふくとなす)……凶事を吉事に変え、吉運と財運をもたらす効果がある』



 殺気を追いはらうと同時に、凶事を吉事に変える。

 招財。家内平安、安全――を、もたらす睚眦がこの店にある。しかも、お誂え向きに、しっかりと向かいの店が作りだす状況に対応するよう、扉を向いて。


 あっ、と冽花は思い至った。それと同時に賤竜は言葉を発していた。


『この凶相についての対策はすでに成されている。それも適切な方法でな。誰か有識者の手にかからなければ……これほどこの家に則した対応は取れぬに違いない。殺気や邪気を跳ね返すこととてできるのだからな、凸面八卦鏡などを利用して』


 賤竜は首を傾げる。


『その方が、あちらの“虎”が発する殺気を返しがてらに、自身らの財運を上げることが可能だ。“理に適っている”のではないか? 風水は否応なく、こういった住民間の争いが起こり得るものだ。多くの者が自身の利益を欲するがゆえ』


 要は、本当に仲が悪いのなら。いくらでも相手を蹴落とすやり方はあったということである。

 真っ赤になった店東たちは口ごもった。互いに互いを見て、やはり酸素不足の金魚のようになっている。


 そのため、賤竜はとどめを刺すことにしたようだった。


『重ねて根拠を挙げるとするのなら、こちらの麒麟の番だが。風水における効能は“家内安全・夫婦円満・人間関係の”――』


「っ、もうやめてくれ!!」


 さらなる恥の上塗りとなるだろう暴露をされかけ、向かいの店東が悲鳴をあげた。

 それに呼応し、慌てて冽花も賤竜に取りすがりにいく。


「じぇ、賤竜、もういいって! さすがにもういいよ!!」


『しかし――』


「もう解決しそうだからいいんだ!! ……っ、多謝(ありがとうな)!!」


 冽花の力いっぱいの感謝に、賤竜は目を瞬かせる。

 ほどなく、静かにまた目を細め返し、『是』と頷いたのであった。



 結局のところ、『意地の張り合い』だったのだそうだ。


 病床に伏せる妻子(つま)への思いも、もちろんある。もちろん、あるのだけれど。老いた店東には無論のこと、お向かいの店東にも思うところがあったのである。


 掻い摘んで言うと、こういう形であった。


 昔から仲のよい二人の料理人がいて、互いに切磋琢磨しながら――やがてお互いの店を持った。あまりに仲がよかったので、店まで向かい合わせにしてしまったのが運の尽きであった。


 また、片方の料理人に商才があったことも、歯車が狂うきっかけになった。

 片方の店にくらべて、みるみる大きくなっていく店。街の堅実な食堂という立ち位置を維持し続ける友人と、大金が懐に転がり込んでくる自分。


 そうして、折悪くも友の妻子(つま)が病に倒れた。

 麒麟の番の置物を贈ってまで祝福した夫婦の片割れが。


 まるで自分が友の運気を吸っているようだ、と向かいの店東は苦悩したのであった。


 そうして、ならばと援助を申し出た。


 だが、ここで納得がいかないのが年上の店東であった。


 風水、天運なぞ目に見えぬものだ。そんなもののために、これまで励ましあい、切磋琢磨しあってきた友が――その成功を、喜んでいたものを。勝手に引け目を感じて、援助をしてくるなど言語道断。


 自分たちは対等な友なのだから。まずもって、吃不了兜着走(てめえのケツはてめえでぬぐう)ものである。


 へそを曲げた年上の店東。とはいえ、友人の懸念する心も分かる。そのため、彼が差しだしてくる置物は置いて、塵一つなく掃除をしていて。


 また年を重ねるにしたがい、信心深さも芽生えてきたので――今の店内の様子になったのであった。


 老いた店東のことが心配で心配で仕方がなかった、向かいの店東。

 そんな友の心配を素直に受け入れられない、老店東。


 なんとか解決の糸口を模索し続けて、何かと理由をつけて様子を見にいっては。

 あの通り、難癖をつけざるを得ず。売り言葉に買い言葉でああなっていただけの話なのであった。


 というような旨を椅子に座り、ぽつぽつと父親らから語り聞かされた子ども達。開いた口が塞がらぬという顔をしていた。


 きっとこっぴどく叱られるんだろうな、と他人事である冽花は眺めていた。

 そうして、きっと上手く回り始めるに違いないと、分かっていた。


 風水はきちんと機能していたからである。


 人間関係に影響をおよぼす殺気は、店を守っていた睚眦(ヤアズ)が食べ続けていた。

 麒麟も豼貅(ひきゅう)もその他もおのが定位置について、ちゃんと大事にされて、店とそこに住む人々を守っていた。


 だから賤竜は首を振ったのだろう。今なら分かる。自分の出る幕はないと。この家では、最大限にもう風水が機能しているのだと、分かっていたから。


 だが、ふと、冽花は思い出すことがあった。


 あの時。そう、あの時もそうだった、と。

 賤竜は冽花の示唆(しさ)を断った上で、冽花をつかの間に見てから、青年へと按摩を申し出ていた。


 冽花は賤竜を見やった。


「なあ、賤竜」


『なんだ、冽花』


「さっき、お前が老子(おやじさん)たちに話しだしたのって……」


 言いつつ、冽花の脳は次々に該当しうる場面を思い浮かべていく。

 賤竜が先ほど垣間見せた表情。自分が止めにはいり弁明しようとしたのを、目を細めて、柔らかく受け流すかのようにし。


 話を続けた。『どうにかしてくれた』。


 思い起こすに、その前に、青年と店東らの言い合いを見ていて、探路と話していたのを彼は見ていたのだ。

 どうにかしたい。だが、どうにもできないと、自分は歯噛みしていた。


 そんな冽花に代わり、どうにかしてくれたのであった。


 胸にじわりと去来するものがある。なんだか温かくって、くすぐったい。

 同時に、やはり思い出した。昨日の昼の一件のことを。


 結局、冽花は言いかけて――首を横に振った。


「ううん。やっぱり、なんでもない」


 表に出さないだけで、思うところがないわけではない。

 痛みを感じていぬわけではなく。きっと、別の気持ちも然りであり。


 同時に表に出さない『本当のこと』を告げられた時、その口は閉ざされるのだろうから。訊ねるのをやめた。そうして、賤竜はそれに抗わなかった。


『そうか』


「うん。でも、謝謝(ありがとな)、賤竜」


『……是』


 代わりにもう一つだけ、礼を告げた。


 そんな冽花に、ぱちと瞬いた賤竜が『自分は何にもしていないのに』というような間をあけたので。冽花は小さく笑ったのであった。

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