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守骸伝 〜転生猫娘、陰竜僵尸と出逢う〜  作者: 犬丸工事
第四章「新たな同行者の懊悩」
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第16話 『己の路を探す者』、探路(タン・ルー)

 それは、ある日の夜半の出来事であった。


 ひどく苦しげな――男の呻き声を耳にして、冽花は目を覚ました。

 明かりを落とした部屋のなかは暗い。だが、『転化』していずとも多少の夜目は利く。


 墨壺をひっくり返したような闇のなか、冽花は沙发(ソファー)から身を起こした。


 そうして、瞳を巡らせると――やはり声は部屋のすみの(ベッド)から聞こえていた。

 よく見ると牀の傍らには、すでに人影が佇んでいた。長身の人影である。冽花の視線に気づいたのか、すぐに肩ごしに振り向いた。


 賤竜。胸のうちでその名を呼ぶなり、冽花もまた立ち上がり隣へ向かう。

 賤竜に迎えられて、ともに牀を見下ろした。


 そこでは一人の男が悶え苦しんでいた。どこか、悲しげな声をもあげて。


「……っ、()不起(まない)対不起(すまない)……っ」


 しきりと詫びながら、小さく身をよじっていた。

 年のころは二十代半ばほどか。げっそりとこけた頬に落ちくぼんだ目元。


 手足は女の細腕のように細くなっており、弱々しくかぶりを振る顔と、敷き布をつかむ手以外、まともに動いてはいなかった。


 賤竜が寝返りを打たせてやり――その折に、武骨な『首輪』が露わになる。闇のなか、暗く沈んでいる、男の首にぴったりと嵌る首輪であった。


 冽花は唇を結ぶ。


「按摩してやってくれ」


『是』


 応えて賤竜が動きだす。男の体の各所へと靠垫(クッション)をはさんで安定させてから、その背に陰気の火を纏う手が触れた。


 触れられた途端に、びくりと男の身が跳ねる。


「ッ……(フー)(ラン)……っ」


 顔が歪み、泣きだしそうな声色でその言葉がつむがれた。

 否、実際、その目尻には光る涙の粒が滲みでていた。


 冽花の胸は否応なく締めつけられた。

 それぐらいに深い悲しみに満ちた姿であり、声だったからである。


 ――今日も呼んでる。


 身につまされる思いで、冽花は唇を噛みしめた。


 背を擦り続けられていくと、男の呼吸は落ち着いていき再び深い眠りに落ちていく。


 ほっと息を吐き、眉尻をさげる冽花と、賤竜の真顔とが見合わせられる。


 静寂が戻る室内。


 夜は長く、まだまだ明けそうにない。

 冽花らが新しい旅の仲間を迎えて、一週間もの歳月が流れていた。



 あの後。明鈴とあの男を連れて、場を離脱したあとのことであった。


 二人は秘密裏に明鈴の母を呼びだし、娘と再会させた。

 母親の喜びようといったらなかった。明鈴の顔にも生彩が戻り、ようやく、声をあげて泣くことができた。


 ひしと抱き合い、涙をふりしぼる姿を見て――いささか涙腺が緩くなった冽花である。


 そうして、娘と再会を果たした母親は何度も礼を告げてきた上で、男へと注目したのであった。


 同席しつつ岩のように黙しており、なにより賤竜に抱えられていたからである。

 幽閉生活の影響か、その手足はひどくやせ細っていた。いわゆる手萎え足萎えである。


 その境遇を聞いて眉を寄せた母親が教えてくれたのが、とある街の薬問屋だった。その知り合いの店であり、消耗によく効く薬を売っているのだという。


 それを聞いて、顔を見合わせた冽花たちは――とくに冽花は先だっての恩があった。


 連れていく気満々で男に確認をとった。方向的にも福峰と離れていぬ上に、旅の準備を整えなおす意味でもちょうどいい、と。


 男は何も言わずに、ただ目をつぶって頷いたのみであった。


 彼が口を開いたのは、その後、すぐさまに渡し船に乗って川をくだり――到着した村で、食事と洗身、整容の機に恵まれた後であった。

 食事をへた上で賤竜に連れられ、その溜まりに溜まった垢を落とし、髪と髭を整えられ。ようやく本来の姿に近づいて人心地ついたのだろう。


 おもむろに、掠れていつつも柔くよく通る声で礼を告げてきた。

 そして、休み休みに話してくれた身の上話に、冽花は驚愕を受けたのであった。


「ほ、ほとんど何も覚えてないって……真的(ほんとうに)?」


「本当だよ。名前はもちろん、家族のことも……どこで何をして生活していたのだとかも分からないんだ。気付いたらあそこに捕らえられていた」


真的卧槽(めちゃくちゃやべえ)じゃねえか」


「うん。我ながら真的卧槽と、思ってるよ」


 そう言って目を細める男は、消耗の色が濃くも、穏やかで理知的な光を目に宿していた。


 結構気さくであった。また長い幽閉生活を送ったとは思えぬほどに、その精神は頑強であり健全だった。

 冽花は瞬きを落としながら、おそるおそるとその首を指した。


「なら、その首輪についてはどうだ? それも、あいつらに着けられたのか? あそこにあった鍵のなかに、それらしきものは見当たらなかったけれど」


「ん? ああ、うーん……対不起(ごめん)、それも覚えてないんだ」


 長い髪を切り、梳いたことで露わになった、武骨な首輪。


 赤錆色の、おそらく鉄の首輪である。賤竜に言わせると、指すらも入らぬほど密着している。

 言われて男は見下ろしたものの、首を振った。そうして、ひどく硬く冷たく窮屈であるだろうに、冽花の瞳を見て、より目を細め返した。


「心配してくれるんだね、多謝(ありがとう)。でも大丈夫だよ。息が詰まるということもないし。ちょっと悪目立ちはするけど、それだって隠していればバレやしない」


 あるかなしかに口角を引く。

 おどけるような声色に瞬いた後に、冽花も少しだけ笑い返した。「服を買わないとな」と言い返していると――ここで、男の顔色が少しだけ変わった。


 その顔から柔和な色が消え、真剣な顔つきになった。


「でもね、『ほとんど覚えてない』と言ったろう? 一つだけ、覚えてることがあるんだ」


「お?」


「『帰らなきゃいけない』んだ、僕は。それだけは覚えてる。……どこに帰ればいいのか、分からないんだけどね」


 それまで強い意思の力でもって生彩を保っていた顔が、光を失くしたように悄然(しょうぜん)としてしまう。


 冽花は慌てて口を開き――なにも言えずにただ開け閉めした。


 自分は医者でもない。人の記憶について、どうこう言えるはずがなかった。


 まして、彼はあの場にいた以上、蟲人である可能性が高い。現状、その兆しは見られぬけれど。記憶にしても、独自の形態をもっている可能性があった。


 契約者の懊悩を見かねてか、賤竜が口を開いた。


『ひとまず今は、身の回復に専念すべきである。“病打心上起(やまいはきから)”という言葉もあるように、身と心は密接に結びついている。身が足り得てこそ、心が満ち足りもしよう』


「っ、良いこと言うな!」


 弾かれたように顔をむけて、おもわず賞賛の目を向ける冽花だった。


 そんな二人を目を丸めて眺めていて――ふと男が、目を和ませて笑ったようなのには、その時は気付かなかったが。少しだけ眉尻がさがり、切なげな顔をしたことも。


 冽花が顧みた時には、元の表情に戻っていた。

 悄然とした気色が薄れたのに安堵して、冽花は言葉を継いでいた。


「じゃあさ、ちゃんとした名前が思い出せるまで、アンタを『(タン)』って呼んでもいいか? 帰り道を探す意味で『探路(タン・ルー)』ってさ。呼べる名がなきゃ不便だし」


「ああ……いい名前だね。気に入ったよ。じゃあ、今から僕は探路だ。よろしくね?」


 そう言って、目尻をさげる探路に、ほっと胸を撫で下ろす冽花であった。

 その後は妹妹を紹介したり、賤竜に話したように蟲人について教えるなどして、穏やかな時を過ごした。


 そうして、まさかにその夜。問題が生じるなどとは、思ってもみなかったのであった。

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