その8:同じ穴ブラザーズ
先生を呼びに行くと出ていった塚井は、まだ戻って来ない。職員室はすぐ下のはずなのに、何をしているのか。
彩湖蓮と十字河は、今も苦しみに喘ぎ続けていると言うのに。
「……僕、保健室行ってくる。多分、救急車呼ばなきゃいけないと思うし」
1人の男子生徒が声を上げた。保健委員の保健。保健委員になるために生まれたかのような名前の彼は、何かを諦めたかのような顔で今年も保健委員を引き受けて、今日も熟れた段取りでシャボネットだかアルボースだか言う緑色のアレを補充していた。
礼祀に責めるような視線を向けたり、天野に胡乱気な視線を向けたりしていたクラスメイト達は、保の発言を受けて三々五々に彩湖蓮たちの容態を確認し、息を呑む。
マジか、どうしたらこうなんの、やべーやべーよおい、テーピングとかした方がよくね、バカ下手に触るな、と騒めき立つ教室。
保は深呼吸して教室を出る。保健室は1階。慌てず急いで階段へ向かった。
階段を降り、当たり前のように1階に着くと、保は足早に保健室へ向かい、扉をノックした。
「失礼します。えっと、急患です」
「あら、保くん。何があったの?」
白衣を着た人の良さそうなおばちゃん、そうとしか表現しようのない人物像。保ともすっかり顔馴染みになった養護教諭は扉を開け、人を落ち着かせるような穏やかな態度で出迎えてくれた。
「はい、えぇと、3年2組で、彩湖蓮さんと、十字河さんが大怪我を…… 腕とか足とか、折れてるかも。担架や救急車が要るんじゃないかと思います。えぇと、とにかく、ちょっと見に来てください!」
保は懸命に説明を試みる。必要なことは伝わっただろうか?
「折れた? それは……大変ねぇ。階段から転んで落ちたりしたの?」
「あ、だから。3年2組です。あの、教室の中で」
「教室の中で? あらあら、何が起きたの? ドアに挟んだ? 机が倒れたとか?」
「えっと…… なんか、ケンカ、みたいな?」
「えっ、十字河さんって、あの柔道部の十字河さんよね? 十字河さんが彩湖蓮さんの腕を折っちゃったの?」
「あっ、違くて。あの、十字河さんは、折られた方で」
「えぇっ!? 彩湖蓮さんが十字河さんの腕を折っちゃったの!?」
「ち、違います! 彩湖蓮さんも折られたんです。えっと、折ったのは四方木で」
「四方木くん!? 四方木くんが女の子の腕を折っちゃったの!? なんでそんなことに?」
「えっと、四方木が、ストーカーしてて! それで、捕まえようとした彩湖蓮さんたちに、暴力を振るって!」
「誰がストーカーだ」
「だから、よも……」
保の言葉が止まった。
状況が理解できなかったからだ。
「俺がストーカーだってのか? 保」
目の前にいるのは保健の先生ではなく、白衣を羽織った四方木礼祀だったのだから。
「あ…… え? な、なんで、ここに。先生は?」
混乱する以外、何もできない。
血のように赤い夕焼け色の日差しをバックに、逆光に染まった四方木礼祀の鬼神のような形相が見えた。
「俺はストーカーなんぞしたことねーんだが。人を変態呼ばわりしやがって、納得いくだけの説明はしてもらえるんだろうなぁ!?」
「えっ、だ、だって、彩湖蓮さんたちが……言ってて……」
「はぁ!? なんだそりゃ。保は人殺しだ、って言えば手前は人殺しになんのか!?」
「な、何言ってんの!? そんなの、誰が信じるの!?」
「俺は信じるぜ」
「君が1人で勝手なこと言ったって……」
「なんだ、1人じゃなきゃいいのか? じゃあ、俺も信じるぜ」
唐突に、ベッドの間仕切りの向こうから声がした。
「俺も信じる」
「俺も俺も」
「俺だって信じるぜ」
「俺もずっと信じてた」
出てくる。四方木礼祀が。
四方木礼祀の顔をした連中が。次々と。ぞろぞろと。
「ひいっ!?」
思わず後退る。背中が扉にバン! と衝突した。
「この人殺し」
「ひでーことするよな」
「なんで殺した?」
「被害者に悪いと思わないのか」
「謝れよ」
「謝ったって許されねーけどな」
四方木礼祀に囲まれる。
何これ? 変装? 悪ふざけ?
こいつ、こんなに友達いたの? どこの誰? 保健の先生までグル?
「黙ってんじゃねーぞコラッ!」
髪を掴まれた。
「痛っ!? や、やめてよ!」
「黙れ人殺し! 被害者と遺族の痛みはこんなもんじゃねーぞ!」
被害者って誰、と思う間もなく胸倉を掴まれて持ち上げられ、ビニール床に叩きつけられる。
ろくに受け身を知らない保は、ヘソを見ることができずに後頭部を強打した。加えて、全身への衝撃。激痛と鈍痛に内臓から悪寒が込み上げる。
ヤバい、次、踏まれる。
あれ、なんで分かった?
そうだ、これ、さっき……
「反省しろ!」
腹に容赦ない重み。
踏みつけられた。上履きのままで。
「謝れ!」
「償え!」
「悔い改めろ!」
「生まれてすみませんと言え!」
踏まれる、蹴られる。寄って集って。
苦痛と恐怖。保は理解した。ここはアウェーだ。強気に出ていい空気じゃない。
「ごっ、ごめんなさい、四方木くん! 僕が間違ってた! ストーカーだなんて言って、ごめんなさい!」
必死に叫ぶと、暴行の嵐がピタリ、と止んだ。
良かった。助かった。
と、思ったのも束の間、
「ぶはっ!」
「ぎゃはははは!」
「ゲラゲラゲラゲラ!」
「ニャガニャガ!」
「ハタハッハ!」
礼祀たちが一斉に笑い始める。奇怪で、不愉快な、悪意に満ちた嘲笑。
「謝った! コイツ、謝っちゃったよ!」
「おいおい! 正義の人じゃなかったの? 悪に屈しちゃっていいの?」
「ストーカーは証拠も無しに責めるけど、暴行傷害の現行犯にはペコペコすんのな!」
「それって、ただの弱いものイジメって言うんじゃないのぉ~?」
「クズじゃん」
「サイテー」
そして再び始まる暴虐。
殴られ、蹴られ、罵られ、保は泣きながら亀のように蹲った。
何これ、何で、僕が、こんな目に。
人殺しって、なんなの。意味分かんない。
なんで、僕が、証拠もなしに難癖付けられて、いきなり暴力振るわれた挙げ句、寄って集って悪口言われなきゃいけないの?
大勢で連んで、1人を囲んで。卑怯だと思わないのか。良心が痛まないのか!
保健は体を丸め、顔を覆って泣き続ける。
暴力と、数の暴力と、言葉の暴力に晒されて。
そんな保に、アナグマやらタヌキやらハクビシンやらが群がって、いつまでも楽しそうに叩き続けていた…… てしてし、てしてし、てしてしと。
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「こーよいこなたの にーばんくびは
ふたつふしょうの せっけんがかり
ふげんぞうせつ ながそとすれば
むじなのむれに くびつかまれて
ふへいふまんを いいながら
ふくろだたきの たこなぐり
くびふたつーめは たーこなーぐりー」