その3:霊能少年のいる教室
狗尾柄市立狗尾柄中学。平凡で平和な公立学校である。
その3年2組、廊下側から2列目の1番後ろに、四方木礼祀の席がある。
礼祀は1限目が終わるや否や机に突っ伏し、貪るように仮眠を取る……傍から見れば惰眠を貪っているようにしか見えまいが。
クラスメイト達がクスクス笑いながら傍らを通り過ぎていく。
やがて、人気の消えた教室。
礼祀が1人眠る机の上に、ひょこ、と1つの人影が差した。
「四方木くん? おーい」
小輪雁夏水。同じクラスの女子。
「………………小輪雁か。どうした。何かあったんか?」
「次、理科室だよ?」
「……ああ。分かってる。あんがとさん」
礼祀は居住いを正して礼を言う。正直余計なお世話であったが、数分の微睡みを邪魔されたからと言って、気に掛けてくれた級友を素気なく遇うのも無作法に過ぎる。
そんな礼祀の、不承不承といった仏頂面を眺めて、夏水は微笑んだ。
小輪雁夏水は美少女である。
不摂生に気を付ける程度のことはしているが、特に化粧もせずに公立校の平凡な制服をそのまま着て、地毛の黒髪を適当に二つ結びにしているだけで、そりゃもう圧倒的な美少女である。
運動も勉強も鳴かず飛ばずで、魅力に全振りした女と不本意な通り名を賜っている。いつか得意の手芸を披露して器用さと根気強さをアピールしたいと常々思っているが、控え目な性格と押しの強い友人のせいでどうも上手く機会が掴めない。
そんな威圧感の無い美少女なので、そりゃあモテる。憧憬欲望嫉妬羨望下心と執拗な視線に晒される。
なので、夏水は、
この、自分に何の興味も無さそうな朴念仁と、どうでもいい遣り取りをする、濃度も頻度も低い交流を、密かに気に入っているのである。
だから、毎回時間ギリギリとは言え一度も遅刻したことの無い礼祀に、こうしてわざわざ声を掛けたのだ。
「あはは、今日もいつもの睡眠不足?」
「そう思うなら寝かせてくれ」
「ごめんごめん、夜遅くまで何してたの?」
「何でもいいだろ…… 大したことじゃねーよ」
「ふふっ、大したことじゃないのに大変だねぇ。お疲れ様」
「はぁ…… ありがとよ。そろそろ行くか」
仮眠を諦めて、礼祀は理科の教科書とノートを手に取り、万年筆を胸ポケットに突っ込んで席を立つ。
歩き出した礼祀の横に、夏水が並……
「夏水ー! こんなことで何してたの!」
……ぼうとした瞬間に、二人の間に割り込んだ女子が夏水の腕に抱きついた。
彩湖蓮由璃。小輪雁夏水と四方木礼祀のクラスメイト。
クラスメイトとは言え、礼祀と由璃には付き合いらしい付き合いは無い。悪霊の類いに狙われていたところを陰ながら助けたことは何度かあったが、由璃は知りもしないだろう。
「夏水ってば、急にいなくなるから心配したじゃん。どした? 忘れ物?」
「え、えっと……」
礼祀など其処に居ないかのように夏水に絡み付く由璃。夏水は気遣うように礼祀をチラ見するも、直ぐに視線を外して由璃に目を合わせた。
自分の方から話しかけておいて申し訳ない、と夏水は思ったが…… 夏水が礼祀に構いたくなる理由は、言ってしまえばこういう時に気を遣わなくていい相手だからだ。他のクラスメイト達のように夏水の一挙一動一言一句に舞い上がったり落ち込んだりすることなく、平気な顔で転た寝を続けてくれるのが四方木礼祀だ。
その辺りは礼祀の方も心得ている。そもそも普段から級友との交流を放棄して、休み時間の度に周囲の人間を無視するかのように仮眠を貪っているのだ。無礼を働かれたからといって文句を言える筋合いなど有るまい。
そもそも、夏水や由璃と話したかった訳でもなし。
「もー、一人でふらふらしちゃダメだよ? 夏水はカワイイんだから、また変なのに絡まれちゃうよ?」
「えっと……」
由璃は礼祀に顔も向けなかったが、『変なの』とやらが誰を指しているのかは想像に難くない。
夏水は一瞬、気不味気な視線を礼祀の方に彷徨わせたが、
「う、うん。ごめんってば、彩湖蓮ちゃん。ほら、もう行こ? 遅れちゃうよ」
結局、目を反らして、由璃に腕を取られたまま理科室へと歩き始めた。
美少女が並ぶと絵になる。由璃の美貌は夏水とはまた趣が違って、女の執念の勝利と言えようか。
ピンクブロンドのメッシュが入ったミディアムレイヤーの髪。どこのスタイリストの仕事かと思わせるメイクは、クラスメイトと言うよりアイドルかモデルのようだ。
……礼祀は興味ないねとでも言わんばかりに、見送りもせず目を閉じる。
40秒後に目を開けると、礼祀は理科室へ向かい、いつも通り本鈴ギリギリに席に着いた。