その18:3回目の二階子ちゃん
矢追文花は、夜の校舎を屋上に向かって歩いていた。
所詮は地方の公立校、セキュリティなんてスカスカだ。靴でブン殴って扉のカギを開け、フェンスを攀じ登って越える。
死のう。
あんなものを見られては、生きていけない。クラスのみんなの冷た過ぎる視線が忘れられない。
出演者たちには汚物を見るような目で見られた。吐き気を堪えるような顔で睨んできた男子もいた。
女子もドン引きだった。当たり前のようにキモがられた。ホモが嫌いな女子なんていません、なんて、同好の士だけで簡単に集まることができるネット社会の戯言にすぎないことも思い知らされた。
府玉田の浮気が暴露されて話の矛先が変わらなかったら、あの場で死んでた。
分かってる。多様性ってのは苦手な人も多いマイナーな性癖を大手を振って見せびらかす権利じゃない。
分かってるから、誰にも見せるつもりなんてなかったのに。
『ナマモノの製造責任と管理責任は果てしなく重い』
業界の先達の言葉が痛いほど……激痛が走るほど身に染みる。
魂を込めた渾身の力作で、他人を不愉快にさせてしまった事実が、物書きの端くれとしての矜持をグシャグシャに痛めつけた。
保健がどんな目で自分を見るのか、それを想像すると、この世界から消えてなくなりたいという願望がどうしても抑えきれない。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、ごめんなさい。でも、ホントにもうムリなんです。おじいちゃん、来るのが早すぎるって怒らないでね。
中学生の少女は、絶望と激情に身を任せて夜風に身を躍らせた。
「お疲れ様です、御陵様」
「ああ、お疲れさん。今日は多かったなぁ」
なんだこれ。
いつまでたっても、最後の時は来なかった。近付いたと思った地面が気がついたら遠ざかっていて、また近付いてくる。
走馬灯みたいなものなんだろうか? 跳び下りなんて始めてだから分からない…… そう思っていたら、いきなり腕を引かれて学校の廊下に転がされた。
旧制服を着ている女の子と、四方木礼祀がいる。意味が分からない。どういう状況?
ほんとに、今日は意味が分からないことばっかりだ。
「……これもあんたの仕業なの? 四方木」
意味が分からないことばかりだが、それくらいはなんとなく分かる。
四方木は…… こういう世界の人間だったのだ。
「も、って何だ。なんでもかんでも俺のせいにするんじゃねーよ。ムカつくな」
「……悪かったよ」
クラスの空気に逆らえず四方木をストーカー呼ばわりした文花だ。当然、この場の空気にも逆らえるワケがない。
「助けてくれたんでしょ? 余計なお世話だけど、一応お礼は言っとくわ」
「俺が助けたのはお前じゃねーよ。『二階の窓辺に佇む美少女』だ」
「びしょっ…… ど、どうも。二階の窓辺に佇むび、美少女、です」
旧制服を着た女の子がぎこちなく会釈した。自分で美少女って言って照れてる姿は確かに美しく愛らしい。小輪雁夏水ちゃんには流石に及ばないが、アレと比べても仕方ない。
「跳び下りるんなら他人様に迷惑かけないようにやれよ。じゃーな」
そう言って、四方木礼祀はあっさりと去って行った。二階の窓辺に佇む美少女さんは深々と頭を下げてそれを見送った。
嫌われたもんだ。そりゃそうか。まぁ、出演させたクラスメイトの態度に比べればよっぽどマシだった。文句は言うまい。
「君も早く帰ったら?」
頭を上げた美少女さんは、愛想の無い声で文花にそう言った。
「親御さんに迎えに来てもらった方がいいよ。狗尾柄なんて当て字で誤魔化してるけど、ここは首塚。御陵様の御加護なくして暖気に夜道を歩ける場所じゃないよ」
「……ゴリョウ様って、四方木のこと?」
「薄々なりとも勘付いちゃったなら、もう気軽に口にしない方がいいよ。畏れ多すぎて記紀や聖典にも載せられなかった名前だそうだから」
すげーな。情報は濃いのに具体的なことは何も分からねー。文花は投げ遣りに嘆息する。
「あんた、ゴリョウ様の子分かなんか?」
「そんな凄いものじゃないよ」
「メリーさんは?」
「私は電話持ってないからよく知らないけど、違うんじゃないかな」
「手鞠ちゃん……天野手鞠は?」
「無関係でしょ」
「サキってのは?」
「御身内のことペラペラ喋る訳ないでしょ」
なるほどだいたい分かった。コイツの間抜けっぷり、あざといな。カースト上位の女子を怒らせてイジメられそうなタイプだ。
手鞠ちゃんは無罪のようだ。文花はほんの少しだけ気が楽になる。
「ゴリョウ様はあたし達を、あのクソメリーみたいな化物から護ってくれてた。そんな人に楯突いたから、あたし達はみんな化物に襲われる…… そう言うこと?」
「馴れ馴れしいなぁもう。私も君のこと嫌いなんだよ?」
「……悪かったよ。あたしだって、あんな一方的な証言だけで決め付けるのは無いと思ってた。ゴリラとその飼い主には逆らえなかっただけで」
「ふぅん、寄って集って一人を責めて、連帯感を感じるのは楽しかった?」
「……それは」
「自分は清濁併せ呑んで上手くやってるんだ、こいつとは違うんだって、他人を見下すのは気持ち良かった?」
「あぁもう、悪かったって!」
「弱いのは仕方ないけど、他人を生贄にしといて被害者面するのは、ただの恥知らずだと思うよ?」
「ひっ!?」
美少女さんの頭が、いきなりグシャグシャに潰れ、中身がドロリと飛び散る。
文花が悲鳴を上げて腰を抜かした次の瞬間には、もう元の美少女に戻っていたけれど。
「ごっ、ごごごっ、ごめんなさい! 正直貴女のことナメてました! ごめんなさいごめんなさい!」
「……はぁ、取って食べたりはしないよ。ちょっと脅かしただけ。食べなくてもいい私が食べるのは、勿体無いもの」
美少女さんは溜め息を吐くと、へたりこんだ文花に手を差し出した。
「欲と気分に任せて人を襲っていたら、無闇に人間を貪り食わないと生きられないモノになってしまう。そう言うのは、御陵様も望まない」
「……あたしじゃなくて、あんたを助けたって言ってたもんね、アイツ」
美少女さんの手を取って立ち上がると、文花は笑った。
「あーあ…… あの時、四方木を庇ってたら、伝奇物語のヒロインになれたかも知れなかったのに」
自嘲の笑みだった。
「いやぁ、ヒロインとまではいかなくても、自分は主人公サイドの脇役、せめてモブだって思ってたんだけどなぁ…… 実際には、主人公を迫害する系の悪役サイドのザコでしかなかったよ、あたし」
せっかく、小説みたいな非日常の世界がすぐ側にあったのに。自分は良い役回りを貰えるほど優秀でも賢明でもなく、勇敢でも、善良ですらなかった。
ああクソ。ダメだ。ますます死にてぇ。
「君の人生の役回りを決めるのは、君だと思うけどね」
そう言って、
二階の窓辺に佇む美少女は、3年2組の教室のドアを開けた。
「ひいぃぃぃぃぃいいッ!?」
文花は絶叫した。
宵闇に沈む教室の中で、学生服を着た中年の群れが、陰気な顔で啜り泣いている。
「言っとくけど、死ぬだけで楽になれるなんて思わない方がいいよ?」
その後、
『夜道は怖いから学校まで迎えに来て』と、矢追家のグルチャにメッセージが届いた。
反抗期かと思っていたが、まだまだ可愛い盛りじゃないか。『帰りに拾う』と返信した矢追淳二氏は、残業を切り上げると、嬉しさ半分心配半分で娘を迎えに中学の校舎へと車を走らせた。
まさか、涙目の娘が7年振りに抱き付いてくるとは夢にも思わずに。




