その16:決まってんだろ、こんな奴らの運命なんて。ホラーなんだから
血のように赤い斜陽に照らされ、驚ろ驚ろしい陰影を浮かび上がらせた廃病院の姿に、彩湖蓮由璃は震え上がり、十字河護里は汗を滲ませた。
え? ここが目的地? ここで治療するの?
このボロボロの廃病院の中に、実は設備の整った清潔な手術室があるとでも?
どこの秘密基地だよ。闇医者のアジトにも限度があるだろ。
薄々感じていた恐怖が、怪我の痛みを上回り始める。
これ以上は自分をごまかせない。この状況は、異常だ。
「ま、待て! これはどういう事だ!? 納得のいく説明を聞かせろ! 私は鳥熊道場の十字河護里だ! 無体な扱いは互いのためにならんぞ!」
痛みを堪えて、十字河は叫んだ。
道場の名を出すのは虎の威を借るようで不本意だが、右腕がこれでは抵抗などできるはずがない。元より、個人の力など高が知れている。武道家の強さは武道を通じて培った武門の絆の強さだ。
「………………」
白衣の男たちは、また、顔を見合わせる。
また、だんまりか。そう思った矢先、
「阿呆よのう」
男の一人が口を利いた。
地獄の底から響いてくるような声だった。
「その歳で分別もつかぬとは」
「7つの子でもあるまいに」
「裳着を済ませてもよい頃合いよな」
「人の道を外せば、餓鬼畜生と同じよ」
「我らのようにな」
「違いない」
はっはっは、と、男達は笑った。
……子供だと甘く見て、まともに話をする気が無いのだろう。と、十字河は判断した。
目的は営利誘拐か? それとも、変質者が女子中学生を慰み者にしようとしているのか……
学校からケガ人を運び出すフリをして攫ったということは、状況を把握して計画的に事を起こしている。通り魔ではない。
そもそも、教室の内情をどうやって把握したのか? 内通者がいたと言うことか。考えられるのは当然、四方木礼祀だ。奴が夏水をストーキングしていたのは、個人的な劣情を満たすためではなく、犯罪者集団の手先となって獲物を物色するためだったのだ。おのれ、どこまでも卑劣な……!
歯軋りしようが、どうにもならない。右腕の靭帯を捻じ切られた少女と、右脚の靭帯を捻じ切られた少女は、担架に乗せられたまま白衣の男達に運び出されていく。
運び込まれた待合室は須く廃墟であった。朽ちた内装が爛れた皮膚のように垂れ下がり、割れたガラス片に切り裂かれた椅子から綿がはみ出ている。綿は血のように赤い夕日に照らされて赤黒く染まっていた。
ひゅうッ、と由璃の喉が鳴る。十字河でさえあまりの不気味さに固唾を呑み込んだ。
「ちょっと、あの、んギッ!!」
抗議しようにも、乱暴に運ばれる激痛で口を利くことも儘ならない。
そのまま、容赦なく手術室へと搬送される。
不気味に点滅する『手術中』の表示灯に、二人の顔が引き攣った。
「いやああああああ! いやあぁぁァァアアアッ!!」
饐えた臭い。錆びたメス、濁った注射器、見たこともない機械。変な染みのついた手術台の上に転がされ、由璃は身も世もない絶叫を上げた。
「ほほ、やはり若い娘は活きが良いのう」
「然り然り。御陵様の御達しとは言え、耄碌した老耄は食い飽きたわ」
「少子高齢化対策の一環、だったか?」
「人の世も大変よの」
「まぁ我らには預かり知らぬことよ」
「違いない」
はっはっは、と、男達は笑った。
少女達は全身の毛を逆立てた。もう痛いとか言ってる場合じゃない。このままだと変質者どもに犯されて殺される。
「護里ィィィイッ! なんとかしなさいよォオッ! なんとか流の継承者なんでしょォォオッ!?」
「言われずとも! 扱心武徳流柔術鳥熊派、十字河護里! 変態どもの好きにはさせんッッ!!」
一世一代の見得を切ってアドレナリンを迸らせた十字河は、手術台から跳び降りながら男の一人を目掛けて蹴りを放った。
高所から長身を活かして体重を落とし込むような、予備動作の無い滑らかで重い蹴り。
およそ腕を痛めた女子中学生の蹴りとは思えない。そこらの喧嘩自慢は勿論、腕に多少ならぬ覚えがある武術家ですら、足刀の軌跡を察することも敵わずに骨を砕かれていただろう。それは確かに、並ならぬ才能を血の滲むような努力で磨いた業だった。
「ほほ! やはり若い娘は活きが良いのう!」
十字河護里は会心の蹴りを掴まれ…… 振り上げられ、振り下ろされた。
由璃の鼻先を、身の丈2メートルの巨体が唸りを上げて通過する。
十字河は跳び降りたばかりの手術台の上に戻された。
「が、ふ」
受け身もクソもない。
棒切れのように叩きつけられた肢体から、ベシャッという湿った音とペキッという乾いた音が同時に響いた。
動かなくなった十字河に手術台を占領され、片隅に身を寄せた由璃はガタガタと震え始めた。
「よさんか、身が痛む」
「少し柔らかくした方が良かろ?」
「柔らかいのは小さい方だけで良え。大きい方は歯応えのあるままにしとこうや」
「まだ絞めるなよ。肝は生き肝に限る」
「何を通ぶっとるか、この悪食が」
「違いない」
はっはっは、と男達は笑った。
由璃は震える手で必死にスマホを掴み出す。
迷わずロック画面の緊急通報ボタンを押し、110番をタップした。
『……彩湖蓮か。どうした。何かあったんか?』
「はぁあっ!? 四方木!?」
何これ? どういうこと? なんでアドレス帳に登録してすらいない四方木に繋がるわけ!?
スマホが壊れた? 乗っ取られた?
ああ、そうだ。クラスの連中が言ってた。このあたしが悶え苦しんでるのをほったらかしにして、四方木にスマホをハッキングされたと大騒ぎしてやがった。
四方木? アイツが?
この状況はアイツのせいなの? アイツに仕返しされてんの?
あたしの足をこんなにしといて、まだ足りないの? どんだけ執念深いの?
『今さら何の用だ。さっきの戯言の説明でもする気か』
「え、えっと…… あ、あの」
由璃は震える声で四方木に話し掛ける。激痛に苛まれていたはずの右足は、凍りついているかのように感覚がない。
「こ……これ、アンタの差金よね?」
『知るか』
プツッ……
十字河護里が小さく痙攣して、こぽっと血泡を吹いた。
「ちょ…… ちょっと! ちゃんと話をしろよ! 勝手に終わらせんなよ! これじゃワケ分かんないのよ! ねぇ! 四方木!」
どんなに叫んでも、スマホは何も答えない。
男達は顔を見合わせ……
爆笑した。
「あぁ、あぁ、なんと愚かな!」
「犍陀多に通ずるものがあるな」
「真救い難い」
「多少なりとも感じぬものかや」
「心に映すものがないんじゃろ」
「違いない」
「分かるように言えよ!」
哄笑を遮って、彩湖蓮由璃は絶叫した。
「アンタら、どこの誰!? 何でこんなことすんの!? あたしをどうしたいの!? ちゃんと説明しろよ! ナメてんの!? 何様のつもりよ!」
小輪雁夏水に近寄る男どもを、何度も恫喝してきた。十字河護里を後ろに従えて睨みつければ、思い通りにならない奴などいなかった。
そのメスゴリラは今、寝転がってピクピクしているが、どうでもいい。もうワケ分かんないのだ。
男達は、また顔を見合わせ……
やはり、爆笑した。
「おう、おう、我らが何様か、見せてやろうかの」
「うむ、心は十分に食ろうた」
「そろそろ肉を食むとしよう」
「腿は我ぞ」
「肋は儂に」
「目玉を寄越せ」
「久々の若い娘じゃ。子宮を食わずには居れぬ」
「大腸を破くなよ。臓物が台無しになる」
「言うに及ばずよ」
「小さい方の娘が良えの。肉が柔い」
「硬いも柔いもあるか。どうせオヌシは丸呑みじゃろうが」
「おうよ、喉越しが肝よ」
「生き肝は譲らんぞ?」
男たちがマスクを剥ぎ、白衣を脱ぎ捨てた。
一回りも、二回りも、大きくなる人影。
ある者は剛毛を生やして角を突き出し。
またある者は、ぬらぬらと鱗を纏って牙を剥き出す。
羽を広げ爪を伸ばす者もいた。
それは、人ならぬモノどもの宴。
少女の唇から、積み上げた皿が雪崩れ落ちたような凄まじい悲鳴が上がった。
その後、彩湖蓮由璃と十字河護里の姿を見た人はいない。




