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歴史考察  作者: 太郎太刀
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城の実態

初投稿なので生暖かい目で見てください。

 

 城とは辞書には『敵軍や盗賊の来襲を防ぐために築いた軍事的建造物。土石の築造物、都市城壁または辺地の要塞もしくは諸豪族・諸大名の居城などの壮大な構造のものから営塁、砦と呼ばれる小規模な構造のものまでの総称。古くは柵や石垣を言い、わが国では戦後時代以降、特に織豊時代に急速に発達し天険、丘陵を利用した「山城」へ発達する。専ら戦闘用であったが戦国時代以降は防御だけでなく領国統治・住居・権威表示を兼ねる建造物へと発達する。時が経つにつれ多くは小高い丘や平地に築かれ、二重・三重の堀をめぐらせ天守が設けられるなど平山城・平城へと発達し、いわゆる城郭が完成する。』とある。


 城には軍事的要素が多いが、その城が実際に合戦や攻城戦を経験しているかは別の問題のように思う。日本には大雑把に4~5万程度の城が存在していると考えられている(余談として全国の交番と駐在所の数を調べると14,101か所となっており城の数の異常さが分かる)が、そのすべてが戦いのために存在していたのかは謎だ。何故なら多くの城は簡易な規模の「城」と呼べないようなものでも当時の文献には「城」「砦」「館」などと様々な呼び名で呼ばれその規模や用途は分かっていないものも城として現在は考えているからだ。そのため記録に残っていない「城」がどう使われていたかは分かっていない。そのため純粋な軍事基地というよりも警察機関などの治安維持や地域の行政施設、裁判施設など地域支配の為のさまざまな利用がされていたと予想できる。その例としてよく有名武将が3日で数十の城を落としたなどとされたりするが、城の実態がせいぜい数十人を収容できる程度の土の堤防のようなモノであるなら納得がいくだろう。そういった逸話のすべてがそうではないだろうが、そういった面もあると考えると戦国期の実態少し近づけるのではないだろうか。

次回ももう少し城について考えていきます。

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