最終回 敗れた初恋
千鶴子が舞を病室から出そうとすると千鶴子は着物の袖を捕まれる。
「お兄様?!」
芳子であった。芳子はゆっくりと目を開けると首を横に振る。
「お兄様、目覚めたのね。」
「心配事かけてごめんね。千鶴ちゃん、それから舞ちゃんも。お願いだから僕のことで喧嘩はしないでほしい。」
舞は千鶴子と気まずそうに互いに顔を見合わせる。
「お兄様、私看護婦さんを呼んでくるわ。」
千鶴子は病室を出ていく。
「芳子様、お大事に。」
舞も病室を出ようとしたとき
「待って。」
芳子が手を握る。
「舞ちゃんは僕の傍にいて。」
「そういうことは千鶴さんに頼んだらいいじゃないですか。」
舞は顔を真っ赤にして答える。
「千鶴ちゃんが戻ってくるまで。僕の手を握ってくれるだけでいいから。」
舞は黙って芳子に手を握られる。
「舞ちゃん」
しばらくの間沈黙が続いたが芳子が破る。
「君に会えて良かったよ。」
「でも私があんな手紙を書いたせいで芳子様が」
「僕はそんなこと思ってないよ。千鶴ちゃん何言われたか知らないけど僕は君の手紙に救われた。もう一度大陸に戻る決心がついたんだ。」
舞のような考えを持つ日本人がいれば軍の上層部も考えを改めてくれると思ったのだ。しかし舞の表情は一気に暗くなる。
「芳子様、なぜそこまで芳子様がするのですか?ずっと日本にいて下さい。大陸には戻らないで。」
大陸に戻っても居場所なんてない。日本軍と中国人の間で板挟みになる芳子様なんて見たくないと思った。それに
「このまま日本で暮らしませんか?私貴女のこと。」
芳子は手を離すと舞の唇に人差し指を当てる。それ以上は言わないでと言うように。
舞が告白を遮られると同時に千鶴子が戻ってきた。
「ありがとう。舞ちゃん。」
舞は千鶴子に一礼すると病室を後にした。
「お兄様、舞ちゃんと何話していたのですか?」
「大したことじゃないよ。それより千鶴ちゃん、退院の手続き頼めるか?明日にでも大陸に戻りたい。」
翌日芳子は千鶴子と共に横浜の港に来ていた。大陸に帰るためだ。港は船を待つ人々で溢れかえっている。千鶴子ははぐれないように芳子の手を握る。
「お兄様、あの娘にお別れ言わなくて良かったのですか?」
あの娘とは舞のことだ。
「舞ちゃんと会ったら千鶴ちゃん機嫌損ねるだろう。だから手紙を置いてきた。」
「そう。」
千鶴子は安堵した表情を見せる。
「舞ちゃんへ
君と会うと別れが辛くなりそうだから手紙だけ残して行くよ。
舞ちゃんの気持ち嬉しかった。だけど君の想いには答えられない。ごめん。
でもそれは千鶴ちゃんがいるからじゃないよ。君には僕よりももっと素晴らしい人が現れるそう思ってのことだ。日本軍からも中国からも必要とされてない僕よりも。
舞ちゃん。僕と1つ約束してほしい。日本に来て僕の想いを理解してくれたのは舞ちゃんだけだった。どうかその想い教会に来る子供達にも伝えてほしい。
短い間だったけどありがとう。
昭和8年8月10日 川島芳子」
後日談が少しあります。もう暫くお付き合い下さい。