第14話 戦争なんてろくなもんじゃない
すみません。オミクロン関係で忙しくなってしまい。次の投稿は2月7日(月)の予定です。また、次の7日の投稿で第1章が終了します。
大変申し訳ありませんが、波の花の如くは、暫くお休みさせて頂きます。
えっ?!見えて来たけど、どう見ても砦だよな。少し離れて道沿いに小屋が並んでいるけど、あれが街?おいおい、一体いつの時代だよ。天守閣が無いのは分かるけど、石垣も無い、オール木製だ。物見櫓らしきものが建っているけどさあ。
更に近づくと雑な橋が見えてきた。この川の名が分かればはっきりするかな?
「彦三郎よう。この川の名は分かるかあ?」
「竹よ。村から出てお上りさんなのは分かるけどよ。偉い人の前では気を付けねえと殺されるぞ。以前、他の村の奴で態度が悪いという理由で手打ちにされた奴がいた。お前もそうならねえよう気を付けろ」
「分かった。分かったから、川の名を教えてくれ」
「お前は昔から変わっていたが、変わらねえなあ。川の名は夷灊川だ」
そんな川の名前も聞いた事が無い。サッパリ分からない。もう少し歩くと砦の旗印が見えそうだな。橋を渡り、街?に入った。
遠くから見えたのは店だった。しかし、人が住む家と店がバラバラに混ざっていて商店街と言う訳でもないし、道に沿ってパラパラと家が建っている感じだ。俺の家よりみすぼらしい。しかも、商品が展示されている訳でもなく、ただ店の看板が掛かっているだけだ。
治安が悪いのかな?今は、俺達みたいのがぞろぞろ砦に向かっているから人通りが多いように思うが、大した数の住民もいないんじゃあないか。
ドンドン進むと段々と坂が増えて来た。砦を丘の上に作れば確かに防御という事では向上するけど、歩くには疲れる。彦三郎の奴、遅参したら大変だとか言って、碌に休まないで半日も歩いて来てるんだよ、全く。
「ほら、みんな!城の門が見えてきたぞ!!」
なんか曲輪も中途半端だな。いいのかこれ。あれは?!・・・武田菱だ。という事はここは甲斐だ。それで、あの砦が躑躅ヶ崎館かあ。
武田氏の本拠地だな。やっぱり、館というだけあって城とは違うんだな。でも、彦三郎が小田喜城とかいっていたが、多分、躑躅ヶ崎館に名称が変わる前か。クソ―、生の信虎さんとか晴信さんが見られない。
大河ドラマの人物が本物で見られると思ったが、残念だ。
門の外で受付?筆を持ち墨壺を腰にぶら下げた小者が彦三郎に近づいて来て、上川耳村、浅利彦三郎以下18名とか汚い字で紙に書いてる。
「向こうで今日の兵糧がある。支給を受けてよし!」
小者の癖に偉そうだな。兵糧?米だろうか。配給場所に近付くと、小さな升で米?を配っていた。列が進み近くから見ると、一人枡に半分だった。それも、稗と粟のみだ。米がない。俺は握り飯があるから昼は足りるな。あっ、忘れていた。他の連中は朝と夕の一日二食だったな。俺の家だけ三食だったの忘れていた。
しょうがないな。俺独りだけ食べる訳にも行かないから夕飯にしよう。あの小さい枡の雑穀が今日の夕飯と明日の朝飯だよな。あれじゃあ、薄い粥しか作れない。
でも、俺と彦三郎と与四郎以外は喜んでいた。それを見て俺の小さい頃を思い出した。
門を潜り、クネクネ歩いて行くと、広い所が合って他の村の百姓もいた。どうやら俺達が最後の方のようだ。つまり、この館の支配領域が歩いて半日程度の距離であるという事だ。叔父さんがいる谷上村の百姓もいるのかな。
彦三郎より立派な鎧を着た武士が能書きを垂れている。今日はここの広場で一泊して、明日の朝、出発らしい。薪は各村ごとに支給される。そりゃあ、そうだ。まだ、早春で朝晩寒い。外で寝たら凍死する。俺なんかはまだいい。普段着のボロを着ている奴なんて絶対寝られないだろうな。
皆で薪を持ってこようとしたが、二人で行けば十分運べる量しかなかった。竈代わりに使う石を貸してくれた。戦の時にはこれを敵に投げるんだろう。戦国時代には投石隊もあったそうだしな。
こんな薪の量じゃあ、飯の用意が出来て暫くしたら薪が燃えつきてしまう。どうも、彦三郎班と与四郎班に分かれて飯の用意をするらしい。俺は彦三郎班だ。
「なあ、彦三郎。この薪の量じゃあ、凍死する奴も出てくるぞ。なあ、ここを出て薪を買いに行っていいかあ?」
「ああ、構わないが街で喧嘩したり、盗むと死罪だから気を付けろよ。それと暗くなる前に帰ってこないと死罪だ」
街で買い物すれば銭を落とすから良いけど、逃げる奴は殺すという事だね。気を付けないと見せしめなんて事になりかねない。
俺が薪を買いに行こうとしても誰も付いて来ようとしない。
「おい、これから薪を買いに行く。付いて来ない奴には薪をやらねえ。明日の朝には凍え死ぬぞ。どうする?」
少し脅すと、驚いたように死ぬのは嫌だとか抜かして俺の後をついて来た。
門番に街に行くと言うと、必ず暗くなる前に帰参しろと念を押された。
まずは米だ。店がバラバラで看板しかないから何を売っているのか一々店を覗かないとならなかった。
やっと米屋が見つかった。米屋で米を2升買おうとしたら、10文だと言う。越後屋でさえ1俵100文だ。2升なんて高くて5文がいいところだ。
「高いな。高くても5文がいいところだ。5文でいいだろう?」
「なんだ、冷やかしかあ。邪魔だよ。さあ、帰った帰った」
こいつ、村から出て来た田舎者だと思って舐めてやがるな。おっと、喧嘩は拙かったな。
「分かったよ。ほら10文だ。米を2升くれ。おい、誰か米を入れる袋をこの人に渡してくれ」
銭を払うと、袋に米を入れようと一升枡を丁稚が手に持つが、何と無く桝の底が浅いように見えた。隣にもう一つの一升枡があったので俺が手に取ると、枡の底の深さが全然違う。俺がそれを指摘すると丁稚の奴、同じ枡だと主張して譲らない。そこで、お前の言い分は分かった。そこまで言うなら同じ枡なのだから俺の持っている枡で米を計れ、と言うと舌打ちしやがった。渋々、普通の枡で米を袋に入れようとするが、今度は米を枡の口擦り切れ一杯入れない始末だ。
こいつを本気で殺したくなった。彦三郎と門番が心配する理由が分かった気がした。最後には無事、米を2升手に入れた。
後は露店で野菜を適当に買い、薪は手が空いている奴が7人いたから7束買った。合計で3文だ。途中、酒を売っている店があったが、どうせ水で薄めた濁酒だから、不味いに決まってる。味噌作りが終わったら粟から酒を作って飲もう。日本酒は米がダブつくようになってからだ。
門まで来ると太陽が夕日に成りかけていた。米屋で詰まらない時間を過ごしたからだ。
広場まで戻ると、皆、炊事を始めていた。俺達も慌てて炊事を始めた。彦三郎は薪や野菜を見て驚いていたが、米を見ると呆れていた。俺達がガヤガヤしていると物欲しそうに与四郎の班の奴らも寄って来たので、薪と野菜、米を分けてやった。
竈は石で積み上げ2個作った。俺が持って来た鍋と誰が持って来たかは知らない鍋が二つ。これに米と雑穀と野菜と水を入れ塩を入れて煮込むだけだ。雑穀は朝の分もあるので皆から半分づつ集めた。
出来上がった雑炊?を皆旨そうに食べていた。俺はおにぎりを火で温めて食べていた。
「おい、竹がなにか変わったものを食べているぞ!」
変わってないよ。ただのおにぎりだよ。
「あれ?それ米だろう。米の塊だ!」
うわー、いいなあとか言って皆、集まって来た。落ち着いて食べられないよ。
「お前らなあ。静かに飯を食えねえのか、全く」
「竹の言う通りだ。今日は竹のお陰で米や野菜の入った飯を食えたじゃないか。薪だってこんなにある。感謝するのはいい。でも騒ぐのは止めろ。場合によっては迷惑になって罰せられるぞ」
流石は、彦三郎。年上だけあって頼りになる。俺より一つ上だけどな。
薪が十分あったので暖を取れるはずだったが、薄着の連中が焚火の周りに集まって寝たせいで、薪を買った俺が何故か焚火から遠い所で寝ている。解せぬ。
次の朝、火を起こし朝飯を食い、広場の隅にある厠で用を足して暫くすると、鎧姿の武士達が現れた。俺達も彦三郎や与四郎を先頭に整列を始めた。大方整った所で、総大将が現れた。
「皆!よく聞け!!又もやにっくき原が我が大殿が守る庁南城を攻め込もうとしている。我らが負ければここにいる全員が死ぬだろう。当然、お前達の父や母など家族も全てを奪われる。だが、我らには正しき神の加護がついている。命を惜しむな!故郷を惜しめ!!皆の命、この真里谷八郎五郎が預かった。原を打ち取るぞ!えいえい(おう!)えいえい(おう!)」
はあ?なんで武田菱なのに真里谷って??確かに同族でも分家が地方に移り住むと、その地名を名乗ったりする事もあるが、真里谷って言う地名は知らないよな。
おお!馬に乗って颯爽と。馬?小さくないか。ポニーなのかな。日本にはポニーはいないはずだ。
馬に乗っている八郎五郎さんも父ちゃんより小さい、155cmくらいかな。だから、見た目は丁度いい。俺だと仔馬に乗っているような状態だな。
鎧着てポニーに乗ってどの程度スピードが出るんだろう。一度、全力で走ってくれないかな。先頭に馬に乗った武士が2頭先導して徒の武士や百姓が続き、真ん中くらいに八郎五郎さんと近習衆、その後に徒の武士や百姓となる。俺達は後方に位置して、何故か兵糧や予備の武器を担がされていた。
荷車なんてない。確かに道は石がゴロゴロしていて、人が通り轍が出来ている。そこを木で出来たベアリングも無い車輪と、木の荷台で兵糧を載せて運べる訳は無いんだけどさ。
他の奴らはボロボロの着物に竹槍の軽装だから良いけどさあ。俺はフル装備だから、きつい。
全員で200人くらい。その内百姓が150人。武士は50人だよ。更に馬に乗っているのは20人だ。確か戦国時代は石高の10%くらいは動員したという事だけど、百姓も入れて2000石?応援だから半分の5%の徴兵として4000石。
武士だけで数えるのなら砦にいる武士も合わせて100人だとすると、1000石しかない。でも、肥料も使わず二期作も行わないとすると、1反で年間2俵の米しか採れないからこの程度なのか。砦に使われていた木材もまだ真新しいから、この地域の本格的な支配が始まったばかりなんだろう。
百姓には誰が領主になろうと関係ない。定期的に米が取られて、自分達と関係のない戦に連れて行かれる。八郎五郎さん、支配領域が増えれば集められる米も増えるんだろうから、武士も大勢雇えるぞ。精々頑張ってくれ。
******************************************
歩きに歩いて足も馬糞だらけになった。当然、昼飯なしで歩いたが、甲斐にしては何だかおかしい。前世では山梨にぶどう狩りに行った事もあるが、こんなに平地や田んぼが無かった。確かに山あり谷ありだったが、それにしても深くない。ちょっとした低い山とちょっとした谷だ。
日も暮れようとした時、丘の上から夕陽に照らされた庁南城が見えて来た。小田喜城も川に囲まれていたが、ここは一部近くに川が流れているな。小田喜城も庁南城も小高い丘の上にあるんだけど平城だ。山と言っても険しい山が無く、どちらかと言うと平地が多い。これでは小田喜城も庁南城も防御という面では弱い。
庁南城は小田喜城よりも城らしく多少立派で曲輪や柵、堀も多いが、基本塀が板張りで門も木製を一部金属で補強している状態だ。これがこの時代の城なんだろう。城と言うより砦と言う方がピッタリしている。城の運営の仕方に戦国時代との違いがあるのかも知れない。
大きく立派な城で威厳を見せ、攻め難いのを相手に分からせて、抑止力とするのが結局はリーズナブルだ。戦争は銭が沢山掛かり、百姓が大勢死ぬ。米の生産にも影響が出る。米が無ければ雇っている武士の給料=米が払えない。これが続けば裏切りや謀反を起こされて、他の領主に攻め滅ぼされてしまう。
銭が掛かっても立派な城を建設する。抑止力になれば長期的には対費用効果が大きい。これも大砲が実用化されるまでだけど。
とすると、この時代の城は支配領域を明確にし、物資を集めるだけの集積所であり、戦う時に有利になる程度で、いつでも壊して移設できるものを城と呼んでいるんだろうか。
俺なら城の周りを堀で覆い、石垣で高い城壁にて星型に配置する。天守閣はどうでもいいや。物見は物見櫓を建てればいい。
本当にこんな未完成の城で戦うのだろうか?そうだ、彦三郎に聞いてみよう。
「なあ、彦三郎。大殿は戦の時もここで戦うのか?」
「大殿かあ。そう言えば父上が戦に出ていた当時は、真里谷城で戦っていたと言っていた。確か普段はこちらにいて、戦になると真里谷城で戦われるんだ」
なるほどな。という事は戦国時代初期なんだろう。室町時代までの武士の居城は堅牢な山城が殆どだ。平時は麓の館に住んでいて、いざ戦になると山城に籠って戦うスタイルだったはず。
荘園という農業を行う領地を守るには、これで良かったんだ。だって支配者を放置して米の生産者たる百姓を攻撃する馬鹿はいないから。
ところが、街が発展して商人が多くの物を流通させるようになると、米とは別に銭が入ってくる。戦の度に街を焼かれては銭も入らなくなる。
街を防衛するには平地に城を作るしかない。そういう意味では、庁南城や小田喜城が中途半端な気がしたのは城を改装中だったと考えれば納得が行くか。
****************************************
俺達は庁南城には入城しなかった。どうも野戦を仕掛けるようだ。いいのかなあ。確かに城を攻め立てている敵の側面や後方を突くのは効果的だが、敵だって馬鹿じゃないと思う。伝わってきた話だと明日の朝に敵が到着するらしい。
そのまま戦になるか、一休みして昼頃から仕掛けるのか分からないらしいが、俺達はこの丘の降りた所で夕飯を食い、その後、奇襲場所付近の寺院に移動し、敵の側面か後方を奇襲するらしい。
えー、また野宿だよ。お達しで炊事の時以外は火を使う事は禁止だ。つまり、移動先の寺の近くで暖も取れない状態で野宿して、朝か昼に敵と戦う事になる。
これじゃあ戦う前に凍死する奴が出てくるに違いない。戦どころじゃないぞ。
俺達は辺りから燃料の枝や竈に使う石を集めて、炊事を始めた。水は少し歩いた所に川があった。配給して貰った雑穀と塩、小田喜城で買った残りの米を入れて煮た。今回は街に行けないので野菜は無しだった。しょうがないから干物を焼き始めると、また周りの連中が集まって来た。しょうがないので焼いた干物を解して鍋に入れてやり、皆で食べた。
干物を初めて食べた奴もいて、小さい欠片を美味しい、美味しいと最後には涙を流して食べていた。
そりゃあ、そうだ。これが最後のきちんとした飯だからな。明日は火が使えないから乾いた雑穀をそのまま食べるか、何も食べずに戦うんだから。
夕飯が終わり十分に温まった頃、目的の寺へ向けて出発した。寺は小高い丘の上にあり、周りは林になっていて確かに兵を潜ませるには適した場所だ。乱波がいれば簡単に見つかると思うけど、自軍にも乱波らしき者は見てない。武士に報告する姿も見ていないから、まだ、忍的な人はいないんだろう。
俺にとっては越後屋だって、色々な情報を知らせてくれるという意味で忍だ。将来は情報を収集する連中も雇い、育てたい。別に凄腕とか隠密に優れる必要はない。目的の情報を普通の状態で手に入れる事が必要だ。
寺の近くに着くと柔らかい場所を探し、デイパックから鍋を出して蛸壺を掘り始めた。暫くすると俺の周りにまた皆、集まって来た。
「おい、竹よう。お前、自分の墓穴を掘ってるのか?」
「縁起の悪い事言うな。お前らな、今は歩いて来たから体が暖かいが、暫くすると凍えるぞ。朝は寒さでお前ら凍え死ぬかも知れんぞ」
「なるほど。それで墓穴を掘っているのか」
「阿呆。全くどいつもこいつも馬鹿ばかりだ。蛸壺を掘っているのは防寒の為だ。丸くなって寝れるほどの深くない穴を掘って、穴に枯葉を敷き詰めて寝る。その上から蓋をすれば寒さをしのげるんだよ」
俺が丁寧に説明してやると皆、慌てて穴を掘り始めた。手で掘っている奴もいたので俺の鍋を貸してやった。皆、俺の真似をしていたが、一人だけ穴に入って寒そうにしている奴がいた。仕方が無いので上から葉っぱを掛けて俺の鍋で蓋をしてやった。少し小さいけど。
俺はこれ見よがしに竹で出来た手製の盾を蓋にして寝た。
因みに武士の連中は全員、寺に泊っていた。確かに200人も寺に入らないけどさ。
明日の朝からとうとう実戦だ。凄く緊張するが、いつしか疲れの為に寝てしまった。




