第10話 クロスボウ開発
誤字のご指摘及び感想ありがとうございます。
秋も深まる頃、越後屋が取引に家へやって来た。越後屋には残金の1貫文で10俵の米を頼んだ。竹次が上手く椎茸を育てたので8貫文もの銭になった。竹次には椎茸が幾らになるかは、まだ話していない。煮干しの売り上げが3貫文だったので11貫文の銭になった。
新しい家に引っ越しして、今住んでいる家の片付けが終われば椎茸の栽培で10貫文超えるんじゃないかな。
「越後屋。折り入って相談がある。俺も来年で16になる。そうなるといつ戦に駆り出されるか分からない。俺が戦に出る事があれば弟の竹次が代わりに商いをする。宜しく頼むぞ」
「ふーむ、もうそんな年になりましたか、早いものですなあ。その時は武器などが必要になりますな。声を掛けて頂けらば、なんぼでも用意しますよ」
「その前にな頼みたい事が有る。この図にある寸法の釘をそれぞれ10本、このドングリみたいなものもそれぞれ20個、それぞれ鉛で作ったものが欲しい」
「ふーん、なるほど。寸法はこの図が実寸で材料は鉛ですか?なら問題ありませんな。変わった形の釘が3種で30本、彫り物があるドングリも3種で60個全部で1貫文でどうですか?」
「それで頼む」
越後屋の方はこれで良し。
さてと、この前、粘土を探していた時に見つけた洞窟と言うか、浅い横穴を見つけたんだ。ここは崖下で普通じゃあ気が付かない。武器開発に使うには都合が良い。ただ、降りるのに大変なんだよな。
簡単な道を作っても良いけど、それじゃあ、この下に何かありますよと言っているようなものだ。
歩きにくいけど仕方がない。
俺は今、田植えと稲刈りの時以外は木刀、木槍による鍛錬を早朝暗い内から2時間と、夕方から暗くなるまで2時間行った。勿論、走り込みもだ。
だってさあ、負け戦の時に走れない奴や足が遅い奴、体力が切れた奴から、追いつかれて殺されるんだぜ。父ちゃんが言っていたもんな。
それ以外は午後の2時間程度、竹次達に勉強を教えている。竹次の勉強がかなり捗って来たから、もうそろそろ竹次先生に交代だな。竹次には、人へ教える事の難しさを勉強するいい機会だ。
残りの時間は全て武器開発に当てるつもりだ。
まずは小型のクロスボウだ。今の世がどの時代か分からないが、火縄銃が実用化されて普通に使われていれば余り効果は無いだろう。火縄銃が実用化されてからは、防具である鎧もかなり鉄が多用された当世具足が一般的になっているはずだ。
当世具足は、簡単に言うと西洋鎧の優れている部分、例えば関節部分などの構造を取り入れた日本式の鎧だな。鉄の部分が多く、小型の手製のクロスボウでは貫通させることが出来ないと思う。
室町時代の後期は、名のある貴人同士の騎馬による戦いより、徒歩の武士、いわゆる足軽による集団戦が中心になって来て鎧も変化するんだ。徒歩での戦いに改良された胴丸や主に胴の部分を守るリーズナブルな腹巻という鎧も合ったよな。
でも名のある貴人は未だに大鎧を着ている奴もいるかもしれない。まだまだ、木や布で出来た部分も多く、使用されている鉄板も薄いはずだ。
これなら小型のクロスボウでもチャンスはある。
武士の子は恵まれている。流石は支配者階級だ。小さい頃から弓、刀、槍の使い方を教えて貰えるんだからさ。俺は刀や槍は自己流でも何と無く出来そうだけど、弓というのは指導者がいなければどうしようもない。
弓は鎌倉時代までの上級武士のメインウエポンだったんだぜ。馬に乗り大鎧を着て弓で攻撃する。農民を指揮する足軽などの下級武士は徒だから徒での戦いに適した鎧、つまり大鎧を改造したのが胴丸だったよな?
足軽と言うと馬鹿にする人もいるかも知れないが、名字を名乗って武士と認められるのは足軽からなんだ。父ちゃんの話によると、戦場では足軽の下に5,6人の農民の雑兵がいて、その足軽の上に足軽頭がいて何人かの足軽を指揮するらしい。
俺の頭の中の足軽は統一された腹巻に槍や弓、鉄砲を持った足軽だもんな。ろくな武器も持たない農民兵を指揮する足軽ってどうなんだ?メインの兵士が農民だぜ。
さてと、次に上手く行けば火薬を製造し、小型の火縄銃を作ろうと思う。弾は越後屋に頼んだドングリ型にライフリングを刻んだ鉛玉だ。銃身は勿論、竹だ。竹節を取り竹筒とし重ねて麻縄で縛り補強するつもりだ。ほぼ使い捨てだが、今ある材料ではこれしかない。
暴発しないである程度の威力が出るまで、試行錯誤だ。
俺の家の土から精製した硝石が足りなくなったら、村の空き家から土を持って来よう。
見つけた横穴の近くに掘っ立て小屋を建てた。取って来た麻を乾燥させないと弦として使えないからな。
麻は探すと結構あった。もう少し伸びるのを待つ。先に土台と弓の部分を完成させる。弓の部分は竹だ。
武士が使ったような大弓だって竹製だろう。小型のクロスボウの弓の部分が50cm程度だからそれなりに威力を持たせるとなると、竹を何重にも重ねないと威力が出ないかな。
標的は俵に砂を入れたものだ。5m離れた所から射て、矢の長さの7割が刺されば合格だ。馬に乗った武士の槍の範囲外から射って、落馬させれば十分だ。後は首を目掛けて槍で刺せばよい。
鎧兜は20kg以上もして重いから落馬すれば打ち所が悪ければ死ぬし、いずれにしろ落馬の衝撃で骨折したりして真面ではいられないからね。
竹製の火縄銃も同じだ。弾を受けて致命傷になればそれでよし、臆病な馬が音に驚いて暴れて落馬すればそれでも良い。
徒歩の武士はもっと簡単だ。人間、敵を見て情報を得る為には必ず、目で見なければならない。だから、顔目掛けて撃てばよい。
顔に鎧は無いからね。
顔の面は戦国時代以前からあったが、火縄銃が実戦で使用されるようになってから鉄製の面も多く使われるようになったじゃなかったか?
槍と刀は越後屋から買おう。鎧は竹で自作だ。メインウエポンは槍だから、武士と刀の有効範囲で戦うなんてないからな。雑兵の槍や時々飛んで来る矢が貫通しなければ大丈夫だ。
クロスボウだがバネも無いし、ゴムも無い。弓以外は全て樫木と釘を加工して作るんだけど、耐久性が心配だよな。まあ、数回使えればいいか。
よし、試作品をどんどん作ろう。
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年が明けて、俺が16歳、竹次9歳、竹三7歳、吉三10歳になった。俺は益々背が伸びて170cm程度あるんじゃないかと思う。竹次や竹三も同年代と比較して背が大きい。吉三は少し伸びた位か。
父ちゃんは村では大きい方だが多分160cm程、母ちゃんなんかは150cmしかない。大体、村の親父どもも155cm程度だろう。
年明け早々に大工衆が来た。大工衆には村長から借りた2軒の空き家に寝泊まりして貰う事にした。
次の日から作業に掛かると、乾いた建材の歪みを削ったりしていたが、親方曰く、思ったより歪みや縮は少なかったそうだ。
家の大黒柱を建てる時に親方が父ちゃんを呼んだので家族で集まったら、親方が父ちゃんにノミを渡し、大黒柱の当たりの部分にノミを入れた。その後、大工衆に支えられながら大黒柱を建てた。
どんな風習か分からないが、一家の大黒柱と言うと父ちゃんだ。その父ちゃんが自ら大黒柱を建てる事に意味があるのだろうな。
その後、柱が次々建てられ、何と無く家という実感が湧いて来た。
俺は家が組み立てられていく様を見て、改善すべき事に気が付いた。俺達家族は寝る時は板の間に着物のまま寝る。そこには布団も畳も無い。冬はボロ家の隙間風がきついので着物を重ね着するが、寒いので皆でくっつく様にして寝るんだ。当然、寒くて眠れない時もある。
俺だけ蔵で寝ているけど。
畳が欲しいよな。よし!越後屋が来たら畳の話をしよう。
家の2反の田んぼの1回目の田植えが終わった頃、越後屋がやって来た。椎茸で8貫文、煮干しで3貫文、雌の鶏4匹で8貫文、去年の暮れに海産物を差し引き8貫文と200文残っていたから27貫文と200文の銭になった。蔵に米の備蓄が少しづつ増えてきているし、銭も溜まってきたがまだまだだ。
そうだ、畳だったな。
「越後屋。家の部屋、全てに畳を敷きたいんだが幾ら掛かるのだろう?」
「あのお屋敷にですか?うーん、想像がつかないですね」
「材料をこちらで用意したいが、米を止めて井草を栽培する事も出来ないしな。材料も頼むとして、畳職人衆には村の空き家に滞在して畳を作れないか?」
「そうですな。それなら畳が58枚必要ですから10貫文、こちらに来る事を考えると、更に2貫文、合計12貫文ですな」
「ふーん、仕方がない。それで頼む」
畳が高い。畳なんて敷いているのは、お公家さんくらいで、それも部屋の一部分だけなのかな。これで座っても足が余り痛くない。よし!
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畳の話が終わると越後屋が持参して来たボルトと弾の出来を確認した。やっと、試作したクロスボウの試射をする事が出来る。
ここまでたどり着くのは大変だった。
クロスボウの弓は竹で作った。竹の強度を上げるのに火炙りを行う。竹の中の水分をある程度抜く事により、竹の繊維質の密度が上がり強度が増す。曲げの部分は、それとは別に火に炙って曲げクセを付ける。
それは良いんだが、強度を上げようと加熱すると弓が歪んでしまうんだ。また、火炙りを行った後、曲げをやると、竹が硬くなっていて、曲げる時の火加減が凄く難しい。
炙り過ぎるとボキッと折れる。微妙な火加減で少しづつ曲げるんだ。
弦の麻は水に濡れると切れやすいから、松脂と油の混合液に浸すんだが、油が無い。そこで、蛙で膠を作る時の副産物である油を使う事にした。
膠自体も異臭だったが、この油も負けていない。でも、大丈夫。鍋に松脂と一緒に煮るので松脂で油がコーティングされる?ので臭くないはずだ。
麻の弦はこの溶液にドブ付けした。
クロスボウのベースは樫で作り、グリップや簡単な照準を付けた。一番、苦労したのは引き金の梃子の部分だ。樫と釘で制作したが弦の力を受けて、この力を梃子を利用して引き金で引く。当たり前だが、この引く力に耐える強度が無ければポキッと折れてしまう。
出来上がったクロスボウは、とても小型とは言えない代物で重たい。樫は硬いけど重たいんだ。
取り敢えず、これを試作一号として、弾道試験や威力試験を行う。その上で小型化だ。
ボルトは両側に鉛の小さな羽がある。初めボルトを鉄製を考えていたが、鉄の値段が高いので安く加工も容易な鉛のボルトとした。鉛は重いからボルトに十分なエネルギーを与える事が出来れば目標に対して貫通力が期待できる。
戦車の砲弾がタングステン製となっているのと同じ理由だ。
鉛自体は金属として鉄より柔らかいので鉄に対する貫通力という意味では劣る。でも5m程度の至近距離から顔を狙うなら十分な威力だな。
試作第一号のクロスボウは弾道に関しては問題なく、目標を射る事が出来た。威力の方は今一だ。目標だって動いている。ボルトの狙いが外れてが鎧に当たった場合、貫通力が弱いと思う。
弓の強化と金属を使って引き金部分の改良によるクロスボウの小型化だ。
引き金関係は越後屋から釘を買って、それを加工して必要に応じて焼き入れして使う事にした。
釘が来るまでに火薬を保管する為の箱を作った。箱の内側を竹炭を貼り付けた。箱の中に竹紙を引きその上に火薬を保管するつもりだ。黒色火薬は湿気により最悪、使い物にならなくなるからだ。
また、竹で防具を作る為の図面を描いた。あっ、忘れていた。ヘルメットが必要だよな。小さな鍋を頭に被れるように少し加工して貰い、ヘルメットの内側のインナーは藁縄で作るか、顎の所とか痛そうだから、布を当てれば良いだろう。
竹を紐にした竹紐と竹を重ね合わせたプロテクターで充分かもしれないな。今あるクロスボウで10m程度の距離からプロテクターを撃って問題無ければ大丈夫だろう。
よし、世紀末的なプロテクターを竹で作ってやる。
火で炙って強度を増した竹を曲げたり、重ねたり、竹紐で繋ぎ隙間が無いように作成した。なんかフットボールで使うプロテクタに詰襟付けた様な微妙な出来だ。腕や脚を保護するプロテクタは竹だと分厚くなって、全体として何とかウォーズで出て来る白いやられ役の兵士っぽいな。
関節部が少し難しかったが、自分の記憶にあるプロテクターの構造を思い出し、作り上げた。
手にも竹製のグローブを付ける。父ちゃんの話だと戦場で意外と指を落とす人が多いらしい。指で武器を握るからな。武器同士を振り回せば確かに当たるかもしれな。
完成したプロテクタは竹の素材そのものの色だ。竹林だと保護色になって発見し辛いかもしれない、とか言っている場合じゃない。
ハッキリ言ってカッコ悪い。そう、俺の中の血が騒ぐんだ。そこで、墨で黒く塗り、その上から松脂を塗って固めた。
おおっ!これだよ。如何にも強い。カッコイイ。ヘルメットは黒錆を付けて黒くして貰おう。
でも、何か足りない。ああああ!面だよ。目から下を覆うような面だ。樫を削り裏に竹を張り表面には墨を塗り松脂でコーティングすれば完成だ。クソッ、鏡が無い。だが、絶対、カッコイイはずだ。
プロテクタを試作1号で10mの距離で各部を撃って見たが、貫通しなかった。ほぼ合格だが、竹が割れたりする事もあり、耐久性に劣る。
竹も全身に付けると少し重いが、鉄などで出来ている具足と比較するとかなり軽いんじゃないかな。
何と言ってもコストが安い。
そんな中二病が全開中のある日、毎月の御用で越後屋が来たので竹紙に描いたヘルメットを作るように頼んだ。鍋を叩き、穴を開けて黒錆を付けるだけだから来月、持って来られるらしい。300文した。
頼んだ釘も色々な太さや長さの物がある。これらを組み合わせて改良した試作2号機が完成したが、手で弦を引くのがきつい。当然、弓自体の長さを短くして大きな張力を得ようとすれば弦を強く張るしかないから手で引き辛くなるのは当たり前か。
この試作2号は、弾道試験及び威力試験とも十分な結果を残し、3種の内の1つのボルトと共に俺の正式の装備とした。
次は火縄銃の開発だ。




