第1話 ここは戦国時代?
西暦XXXX年XX月(和暦XX年)某所
ここは何処だ?俺は確か研究中に防護服に傷を付けウィルスに感染して病院で治療を受けていたはずだ。
あれ程苦しかった呼吸が普通に出来る。どうやら、治療が成功したらしい。
体が軽い。しかし何だよ、ここ。小屋に6畳ほどの板の間。そこに布団も無く寝かされている。
「手が小さいって言うか、全体的に縮んでる感じ?ああ、これは夢だ。熱でうなされているんだ。クソッ、ワクチンが利かないのかよ!・・・でも、呼吸は楽だから効果はそれなりだな。寝るか」
寝ようとすると、引き戸がギッシャーと音をたてて開けられ、ボロ衣を纏った若い女性と目が合った。
「あれまあ!?竹!目が覚めたか?熱が出て下がらんものだから心配して・・・良かった、良かった」
あんた、誰だよ。抱き着いて来て。しかし、リアルな夢だよな。抱き着かれて痛いものなあ。
「・・・はあ?痛みがある??・・・一体・・・」
「どうした?竹??何処か痛いのかい???」
有り得ない。俺の着ているものは頭陀袋で作ったボロボロの着物?だし、目の前の女性もボロボロの着物を着ている。周りを見渡せば、木を張り合わせ隙間に泥を固めて埋めているような壁に囲炉裏と簡単な竈が見える。
これはヤバイ、ここはスラムだろ。でも、日本語で話が通じるし見た目も日本人だよな。
リアルな夢だよな。だって、痛みは感じるし、俺はどう見たって子供のサイズだし。まあ、色々聞くしかねえな。
「すみません。ここは何処ですか?あなたは誰でしょう??」
「竹!母ちゃんが分からないのかい?これは大変だ!!婆を呼んで来るから、お前は動くんじゃないよ!!!」
えっ?!目の前の女性が母ちゃん?幾ら何でも若すぎるだろう??どういう事だよ!そうだ、悪い夢を見ている時の俺流覚醒術を試すか。
でもさあ、これは危険な技なんだよな。単に頭をグーで殴るだけなんだけどさ。この前は、自分の頭にゲンコツを喰らわそうとして、思いっ切り壁を殴り手にヒビが入って、治るまで試験管が握れなくなった。
しかーし、今しかない。行くぜ、覚醒だあ!
「・・・普通に頭が痛いな。・・・クソッ!コブが出来やがった!!という事は、これは現実じゃん!!!」
「おやおや、自分の頭を殴りコブを作るなどというアホは、この村には竹しかおらん・・・。さくらや、竹はお前さんを見ても分からんかったんじゃな。うむ、良く高熱が続き、九死に一生を得たものは記憶が無くなる事もあるそうだ。仏様が命をくれたんじゃろ。さくらや、記憶は戻らんかもしれんが大事にな。わしは戻るかのう・・・よっこらっと」
うっ、ヤバイ。自傷行為を見られたぜ。しかし、竹って普段からそんな事をしているって、少し頭のおかしい子だろう。
「良かった・・・良かったなあ、竹。母ちゃん、心配した。父ちゃんがいない間にお前が・・・お前が・・・」
俺は母ちゃんに抱きかかえられた。不思議に俺と言うか竹の目から涙がとめどなく流れ、気が付いたら大声で泣いていた。自分の感情がコントロールできない事に驚いた。
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俺が竹になってから3カ月経ったある日。父ちゃんが帰って来た。帰って来た父ちゃんの恰好を見て驚いた。だって、見た目が時代劇の足軽なんだもの。
家族3人が集まり、父ちゃんから色々な話を聞いたが、父ちゃんの名前は重蔵だ。何かカッコイイよな。俺は竹だぜ。母ちゃんはさくらだ。しっかし、父ちゃんも若いまだ18歳位だろうな。父ちゃんが18歳で母ちゃんが16歳位か。俺は4歳らしいから、母ちゃんは12歳か13歳で俺を生んでいるんだな。毎日、空腹で腹が一杯になったことはない。この環境下だから寿命も短いんだよ。
父ちゃんの話や恰好から今の世が日本的な戦国時代である事が薄々分かった。と言うのも父ちゃんも年号など知らなかったし、父ちゃんを率いた足軽頭も名前が板野様という事だけで聞いた事も無い名前だ。父ちゃんが敵の死体を見つけては使える防具や上等な槍や刀を剥ぎ取り身に着け持ち帰ったものを見ての判断だが、自信は無い。
どうも父ちゃんは戦で死んだ爺さんに繰り返し聞かされていたらしい。戦場では必ず、前に出る事なく他人の後をついて行け。敵の死体を見つけたら辺りに注意し、防具や武器で自分が使っているものより上等なものがあれば、剥ぎ取り身に付けよという事らしい。
父ちゃんはそれに習い、この村を出る時は粗末な槍を一本装備しただけだったが、帰って来た時は足軽フル装備だった。身に付けた防具に命を守られ、新しい武器で助かったりと怪我も無く帰って来た。
俺の爺ちゃんは戦で死んだんだな。婆ちゃんもいないから死んでいるんだ。家族は俺と、父ちゃんと母ちゃんだけなんだな。
戦が終われば、当然、勝った側が死体から武器や防具をはぎ取り、大名?の戦利品とするが、戦の最中に防具や武器を剥ぎ取り身に付けた者は御咎め無いらしい。
驚くなかれ、戦に行っても労役として給料なしで食事も粟や稗に汁物をかけただけ。家と変わらないじゃん。
父ちゃんは少しの銭と稗や粟、それとズタ袋を大事そうに持って帰って来た。当然、剥ぎ取って来たんだろうなあ。
父ちゃんがズタ袋から草刈り用の鎌や曲がった槍などの金属品を持ち帰って来た。これらのガラクタは少量であれば持ち帰っても御咎めなしらしい。村で金属類は貴重品で村長の家に集められ流れの鍛冶屋に修理されたり、加工されて釘になったり、生活必需品に加工される。
納得がいかなかったのは、父ちゃんが命を掛けて持ち帰った金属なのに袋の中から一品のみ父ちゃんのもので他は村で利用されるんだ。村の掟らしい。
商人も来るが村長が窓口で村人が直接、取引することはない。当然、塩などの生活品必需品も村長から物々交換で手に入れる事になる。
それでも父ちゃんは草刈り用の鎌を手に入れて嬉しそうだった。父ちゃん曰く、家は他と比べて金属製の工具や農具が多いんだと自慢げだった。
俺はふと思ったが、戦場に鎌が落ちてるって事はそれを武器にして戦った人間がいたって事だ。えー、槍に鎌で向かっていくって普通に死ぬよな。
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さてと、1年が経ち俺は5歳になり村での生活にも慣れた。家の裏は少し行くと林だ。家の前の道を挟んだ畑と家の右側が畑で右の畑の先に水くみの小川がある。家の左側は田んぼだ。村には井戸もあるが、家からは少し遠いから小川から水を汲む。
村の名前は上川耳村で俺は上川耳村の竹となった。勿論、戸籍も無く正確な誕生日など分かる訳なく、夏に生まれて、青竹が目に付いたから竹になったと聞かされた。
年齢はどうでもいい。そんなものは村での生活と一切関係が無い。5歳児でも十分、労働力として働いた。田んぼや畑の草むしりから林に入り燃料の小枝を集めたり、近くの小川から水を汲んだりの大活躍だ。
でも、これが普通。俺くらいのガキは皆、普通にやってる。凄い体力だと思う。この竹の体も丈夫で、夕方にはクタクタになった体が、朝には元通りに回復している。
俺が死ぬ前の食事と比べると、考えられないくらい粗食なのに不思議だ。でも粗食の所為か、大人でも背が小さい。栄養障害だと思う。
我が家の食事は、朝と夕だけ。基本は稗や粟のお粥に塩ベースの野菜の汁物。確かに稗や粟にも植物性タンパク質や各種ビタミンが含まれているが量が足りない。俺は、カルシウムや動物性たんぱく質も摂取したいんだよ。
そこで俺は考えた。村から30分くらい行くと川があり、小舟で漁をしている村人がいるので、父ちゃんに川で釣りをしたり仕掛けを使って川エビを取っていいかと聞いたんだよな。
村には凄い面倒な掟が幾つもあり、誰がいつ決めた掟なのかも知れないが、基本的に村の中で面倒が起きないようにするための掟らしい。
父ちゃんから得た村の掟によると、決められた村人以外、大人が勝手に漁はしてはいけないという事だった。魚など欲しければ物々交換するのが掟だ。
でも、子供が釣りなどの川遊びをするのはOKらしい。
こうして、釣りをする為、蔦を叩き繊維として釣り糸として編んで行った。釣り針と竿は竹を加工して作った。当然、エビの仕掛けも竹製だ。
5歳児の工作の出来は酷い。これで、本当に釣ったり、仕掛けにエビが入るのか自信が全くない。
竹は、竹林から取って来たが、村周辺の林の木を勝手に切る事も禁じられていたり、色々な事を身をもって経験し大人にならないと最悪、禁を犯し死刑もあるんだ。竹はドンドン勝手に伸びるから必要な分だけ取るのは問題なかった。
これもご飯の為なんだ。栄養を取って長生きしなきゃあ。折角、若返ったのにさ、人生50年だなんて冗談じゃない。
竹製の釣り針は、何度か鮒の奴に壊されたが改良して、釣り上げられるようになった。エッヘヘヘ。
仕掛けの方も隙間から逃げられたり、流されたりしたので改良して重しを入れ、浮きの目印まで付け何処に仕掛けがあるか分かるようにして、これを長い棒で引掛け回収した。だってさ、5歳児じゃあ、川で流されて死んじゃうよ。
結局、釣りはそこそこだったが、仕掛けの方はエビ以外に鮒などの魚が入り大漁だった。
流石に、小舟で網を使う漁師には負けた。しかし、衣類が貴重なこの村で網はどうやって手に入れたんだろう。
ある日、いつものように釣りをしていると、川辺の淀んでいる場所にタニシが幾つかいるのを見つけた。こいつらを持ち帰り、父ちゃんの許可を得て父ちゃんの田んぼの隅の小さな池の所で増やす事にした。
餌は、林に落ちている葉っぱや雑草だ。池にポイッと投げ込み暫くするとタニシが集まってくる。そんなに大きくはならなかったが、春から秋に掛けて、爆発的に増えたので時々間引き汁物に入れて美味しく頂きました。
しかし、これだけでは俺の腹を満たす事が出来なかった。俺は林に行くと夏はバッタ系、秋はコオロギ系を捕まえて来ては昼に素焼きにして食べた。
半生のプチュも気にせずバリバリ食べた。
父ちゃんと母ちゃんは、そんな俺の昼食にウゲッ見たいな顔をしていたが、5歳で川で漁をしたりタニシを養殖したりと行動が普段から変わっている事から、まただよ、見たいな感じで結局、放置だった。