愛人持ちの第二王子から婚約破棄されたので、私を愛してくれる平民の男性と幸せになろうと思います!
「ミモザ・フェリンクス!君との婚約を破棄する!」
そう私に向かって高らかに宣言するのは、この国の第二王子、アレク・ディザイア様。
私が入ってくるなりそんな風に宣言するものだから、会場は水を打ったように静まり返っている。
今日は第二王子の婚約者お披露目パーティー。
3年間の学院生活をつい先日終えて、今日正式に私は第二王子の婚約者となるはずだった、のだが。
「なぜです?その理由だけでもお聞かせ下さいませ。私に至らぬ点があったのでしょうか?」
「とぼけるな!お前の本性は既に暴かれている!私の愛人……いや、学院の生徒を虐めていたと、そういう噂を耳にしたんだ!」
必死でそう主張する第二王子。確証もない噂だけで婚約破棄を願い出るなんておかしな話だ。だが、今それは私にとって良い結果でしかない。
なぜなら、噂を流した張本人は私だから。
「……愛人と聞こえましたが?」
「それは言い間違いだ!そうやって論点をずらし、私のことを貶めようとしても無駄だぞ!とにかく、お前との婚約は破棄する!今すぐ出て行ってくれ、顔も見たくない!」
ふんと顔を背け、愛人……もとい学院の生徒を抱きしめる。因みに言っておくと、今第二王子の周りにいる愛人は一人ではない。第二王子が片腕で抱きしめているのが一人、もう片方の腕で手を繋いでいるのが一人、王子の腕に絡みついているのが一人の合計三人。今まで正式な婚約者であった私からすれば、愛人が第二王子に絡みつくこの光景は地獄絵図である。
それにしても顔が見たくないとは。その言葉、何百倍にして返したいところだ。
会場は呆れ返っている。第二王子の女癖の悪さ、素行の悪さ、ついでに頭の悪さは今に始まった事ではない。
「言っておくが、お前はもう公爵家の人間ではない。学院の生徒を虐めるような奴は貴族社会には相応しくない。お前はこれから平民としてみすぼらしい生活を送るんだ!どうだ、後悔したか――」
「いえ、全然」
「……は?」
ポカンと口を開けた第二王子。せっかく顔だけはいいのに間抜け面でせっかくの取り柄が台無しである。
本当、相変わらず頭がお花畑なのだ。この男の元に戻る?死んでも嫌である。
「第二王子の婚約者、という不名誉な地位を剥奪してくださり、本当に感謝していますわ。ではさようなら」
ひらっと手を振り、私は騒つく会場を後にした。見上げれば、スカッとするような青空が広がっている。まるで私の門出を祝福してくれているかのようだ。
この時を待っていた。
あの男から、そしてこのドロドロとした貴族社会から解放されるのを!
☆☆☆☆☆
「どう?それで婚約破棄は上手くいったの?」
「もちろんよ!その為にルイにこうして報告に来たんだから!」
「ふふ、良かった」
そう言ってワインを片手に微笑むのは、ルイ・アンダーソンという平民の男性。私が学院にいた時からこっそり通っていた王都の近くのバーで知り合った。それ以来、私の愚痴を聞いたり相談に乗ってくれている。
「でも、貴族じゃなくなっちゃったんでしょ?どうするの?これからの生活とか……」
「それの事なら大丈夫よ。この日の為に身の回りのことを全てできるようにしたんだから」
「うわぁ、凄く心配……」
「何よ、信用できないっていうの?私の家事を!」
「ミモザは根っからのお嬢様だからね」
ルイはその深い藍色の瞳を細め、ゆるく微笑んだ。薄暗い照明に当てられて、彼の金色の髪がキラキラと輝く。
ふと周りを見渡せば、バーに居る女性陣がルイのことを見て頬を染めながら囁き合っている様子が目に入った。
そう、ルイはとにかく顔が良い。ルイの顔をじっと見ると、顔だけは良い、思い出したくもない第二王子の憎たらしげな顔が浮かぶが、それを必死で打ち消す。
「住むところは?」
「……決めてなかったわ」
「ほら、絶対そういうと思って、用意しておいたよ。といってもミモザが今まで住んでたところに比べれば簡素だけど」
「え!本当!?さすがルイね!」
「ありがとう。素直に褒められるとなんか照れる」
頰を少し染め、ふにゃりと笑うルイを見て、ドキドキと胸が高鳴るのが分かった。赤くなった頰を誤魔化そうと、グラスに入ったオレンジジュースに口をつける。
「ルイ、聞いてくれる?あの男ったら、本当に酷いのよ!婚約が決まった時に、少しでも仲良くなれたらと思って、クッキーを焼いて持って行ったの。そしたら嫌そうな顔をして受け取った後、それを愛人と一緒に食べてたのよ!信じられない!」
「うわ……本当に酷いね。俺ならミモザの作ったクッキーを人にあげたりしないけどね」
「そう?」
「うん。だって、料理が苦手なミモザが作ったクッキーでしょ?どんな味がするのか食べてみたいし」
「酷い!ちゃんと美味しいわよ」
「ふ、冗談」
ふはっとルイは吹き出す。私も釣られて笑った。
二人で笑い合う、この時間が幸せだ。
今までの学院生活は辛かった。始めこそ第二王子との婚約が決まった時は、婚約者としてちゃんとしよう、そう思っていたけれど、そんな期待を裏切られる日々が続いた。
第二王子と婚約したことにより、私に取り入ろうとしてくる令嬢も増えた。三年間の学院生活で、私はすっかり貴族社会が嫌になってしまったのだ。
そんな時、こっそり抜け出してふらりと立ち寄ったバー。
年齢も身分も偽り入ったこのお店で、彼――ルイに出会った。商品の注文の仕方すら分からず戸惑う私に、彼が話しかけてくれたのだ。
「それもこれも全て、ルイのおかげよ。本当に感謝してるわ。ありがとう」
「なんか、素直にお礼言われるの慣れないなぁ。まぁ、最初ミモザがここに来た時なんて酷い顔してたし。あの頃に比べたらよく笑うようになったしね。本当に良かった」
ルイは本当に嬉しそうに微笑んだ。
優しくて、私の事をこれだけ気遣ってくれるルイが居なかったらどうなっていたか分からない。
――ここで、伝えたい。
「ねぇ、ルイ」
「ん、何?」
「私、ルイのこと――」
「待って、俺から言わせて」
机の上に載せた手に、ルイの手が重ねられる。私より一回り大きくて、がっしりした手。その温かさは安心感をもたらすと同時に、私の胸はドキドキと高鳴った。
「俺は、ミモザの事が好き」
「……っ」
「俺の恋人に、なってくれますか……?」
そう言って熱の籠った視線を向けてくるルイの手は、心なしか震えていて。彼の誠実さやひたむきさ、本気度がそこに現れている気がした。
「本当に嬉しい。私も好きよ」
喜びと嬉しさで胸がいっぱいになる。今私はとんでもなく緩んだ顔をしているんだろう。
ルイはぱあっと顔を輝かせた後、蕩ける様な笑顔を見せた。
「どうしよう、ミモザが可愛い……っていうか、アレも馬鹿だよね、こんな可愛い婚約者を手放すなんて」
「アレ?」
「ああ、第二王子のことだよ。本当、よくやるよ。だけど、俺とミモザを引き合わせたのは第二王子だから、なんとも言えないね」
ルイはしみじみと呟く。
昔から、愛のある結婚に憧れていた。私の元に格好いい王子様が現れてくれないかな、なんて甘い想像をして過ごしていた私にとって、第二王子と婚約していた期間は淡い幻想を打ち砕き、絶望させるには十分だった。
本当に今思い出しても散々な態度を取ってくれた第二王子に、ぶつけようのない怒りが込み上げてくる。同時に最初こそ第二王子を慕い信じていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
「確か、初めの頃にミモザが第二王子の為に作ったお菓子は、全部王宮のシェフと比べられてダメ出しされたんだっけ?信じられないな」
「そうよ!シェフの方が美味しい、こんなの不味くて食べられない、って言われたのよ」
「ほんと、怒りを通り越して呆れるね」
ルイはやれやれと首を振った。
「俺は第二王子と違ってそんな事しないから。だってミモザが一生懸命俺の為に作ってくれるんでしょ?毒が入ってたって食べるよ」
「ちょっと、急に物騒ね。そんな事しないわよ」
私はカラッと笑い飛ばす。ルイは薄く微笑んだ。
「ま、それは置いといて。ミモザはそろそろ時間じゃない?公爵家に戻らないと、お父様が心配するよ」
「あ!そうだったわ!ほんと、ルイと話すと時間が経つのが早いのよね」
私は椅子から立ち上がる。ルイも同じようにして席を立ち、二人で最早顔見知りの域を超えたバーテンダーに軽い挨拶と会計を済ませる。バーテンダーには散々冷やかされた。どうやら一部始終を見られていたらしい。
店を出ると、外は日が沈みかけていて、少し肌寒い。昼間に来た時は賑やかだったが、今は人通りも疎らだ。
私はドレスの裾を摘んで、ルイに向けて丁寧にお辞儀をした。
「それでは、ごきげんよう」
「…ふふ、さすがの挨拶だね」
「曲がりなりにも公爵家の出だからかしら。身体に染み付いてるのよね」
そう言って私は笑う。
すると、突然ルイは私の頰をゆっくりと両手で包んだ。
顔が近い。何度も見ているとは言え、ルイの顔立ちはいつ見てもうっとりするほど綺麗だ。思わずじっと深い藍色の瞳を見つめる。
「……もう、どうしてそんな可愛いの」
「え、何のこと――」
額に、柔らかいものが触れた。それがルイの唇であることに気づくのにそう時間はかからない。かあっと顔が熱くなるのが分かった。
「愛してる」
「……っ」
「これから俺との別れの挨拶は、これね」
「それはちょっと恥ずかしいけれど……頑張ってみるわ」
好きな人との甘い時間、これこそが私が望んでいたもの。愛のない政略結婚なんかより、ずっとずっと幸せだ。
訪れた幸せを噛み締める。不意に涙すら溢れそうになった。
「大好きよ」
そう一言添えるのが今の私にとっては精一杯で。ルイは本当に嬉しそうに微笑む。好きな人が嬉しそうにしていると、自分まで嬉しくなる。
私は名残惜しい気持ちを抱えながらも、その場を後にした。
☆☆☆☆☆
「はぁ……だいぶ片付いた」
運び込んだ自分の荷物を大方部屋に配置し終わり、私は腕で汗を拭い一息つき、床にぺたんと座り込んだ。
ぐっと伸びをし、自由を噛み締める。やっと、貴族社会から解放されたのだ!
あの後家に帰り、お父様に事のあらましを全て説明した。
婚約が破棄されたことも、貴族籍を取り上げられたことも、平民として新しく生活を始めることも。
お父様は特に何か咎める事はなく、「ミモザのやりたいようにしなさい」と言って送り出してくれた。
丁度玄関のベルが鳴った。扉を開けると、立っていたのはルイだった。
「引越し作業お疲れ様。ほら、ミモザの好きなフルーツタルト、買ってきたよ」
「わ!本当!?すっごく嬉しい!ちょうど一息つこうと思ってたのよ。一緒に食べましょ」
私はルイを手を引き、家に招き入れる。
ルイが提供してくれたこの家は、一人で住むには広すぎるくらいに快適だった。公爵家と比べたら小さいのは当たり前だけど、私は学院にいた間、平民の生活について調べていたのだ。このレベルの家に住むのは平民の中でも上流階級の人だと言うことも知っている。
ちゃんと後で相応の代金を払ったとはいえ、そこをポンと提供してくれるルイは、きっとお金持ちなのだろう。でも、歳は私とそう変わらないように思える。
飲み物をテーブルの上のグラスに注ぎながら私は聞いた。
「そういえば、ルイの事あまり聞いた事なかったけれど…お仕事とかは何をしてるの?」
「ん〜実は俺、まだ見習いなんだ。だからちゃんとした仕事には就いていないかな」
「そうなのね。つまり、師匠に教わる弟子みたいな感じかしら」
「そう、そんな感じ」
ルイは買ってきたフルーツタルトをお皿に載せ、テーブルに並べる。こうして一緒に食事の用意をすると、新婚の夫婦みたいでドキドキする。
「あ、これ王都の端にある超人気店のタルトじゃない!
買ってくるのに時間かかったでしょう?」
「ううん、取り寄せたから大丈夫」
「あのお店、確かめったに取り寄せ出来ないって有名よ。まさかルイ、実家がお金持ちだったり…?」
「……まぁ、そんなところかな」
そう言って笑ったルイの言葉に納得する。ルイの立ち居振る舞いや着ている服はとても一介の庶民には見えないからだ。
簡単な準備を終え、二人で椅子に座り、フルーツタルトを一口頬張る。フルーツの優しい甘味とタルトのサクサクした生地は相性抜群だ。
「ん〜…美味しいわ!いつ食べても絶品ね!」
「俺、甘いものは少し苦手なんだ。だけど、これは甘すぎないから美味しい」
「でしょ?」
好きな時間に好きなものを食べられる幸せを噛み締める。
改めて、幸せだなと思った。
公爵令嬢だった時には、自由な時間はほとんどなかった。学院から帰っても待っているのは王室にお嫁に行くためのスパルタ教育。大嫌いな第二王子のためにこんな事をしなくちゃならないのかと思うと、虚しさでいっぱいだったのを覚えている。
でも、今はこんなにも楽しい。
「ミモザ、仕事とかはどうするの?自分でお金を稼がないと生活できないでしょ」
「それの事なんだけどね。仕事、見つかったのよ!」
嬉々として話せば、ルイは一瞬驚いたように目を見開き、綺麗に微笑んだ。
「へぇ、どんなお店?」
「ここから近いカフェよ」
「そのカフェって、具体的にどこにあるの?」
「通っていたバーの丁度向かいね」
「そっか、分かった。……あ、俺、そろそろ時間だから行くね」
そう言ってルイは立ち上がった。いつの間にか、ルイの分のフルーツタルトは綺麗に無くなっていた。
ルイは椅子に座る私の元へ近づき、しゃがんで机に頭と腕を置いた。私を透き通った藍色の瞳で上目遣いに見上げるルイは、成人男性だというのに見苦しくなく、むしろ可愛い。
バーでグラスを傾ける時は大人の雰囲気を醸し出し、相談事をすれば頼もしく、爽やかな笑顔を見せれば格好いい。
こんな全てを兼ね備えた人が、どこにいるだろうか?
嬉しさに頰を緩めていると、ルイは口を開いた。
「ね、ミモザは貴族に戻りたくないんだよね?」
「まぁ、そうね。貴族って華やかなイメージはあるけれど、実際権力争いとかも多いし、結構ドロドロしてるのよね。それが私にはちょっと合わないなって」
「……そっか」
ルイは優しく微笑む。
「貴族でなくなったことは後悔してないわ。だって、ルイがいるもの。ルイとだったら私、どこへでも――ん」
どこへでもいける、そう伝えようとした矢先、唇を塞がれる。一瞬何が起こったか分からなかったが、唇に触れる柔らかい感触で、キスをされているのだと気づく。
ぼっと顔が熱くなった。
恥ずかしいけれど、同じくらい嬉しくて。
唇がゆっくりと離される時、名残惜しさすら感じた。
「……本当に?」
「っ、何…が?」
「俺とだったらどこへでもいける、って話」
「もちろん本当よ。嘘なんかつかないわ」
そう言って微笑めば、ルイはふにゃりと顔を緩め、ギュッと抱きついてくる。
「すっごい嬉しい…!俺、この一言だけで頑張れそう」
「それなら良かったわ。あ、もしかしてこれからの用事って、師匠と修行する、みたいな感じかしら?」
私の言葉にルイは抱きしめていた腕を緩めると、目をパチパチと瞬かせ、くすっと笑った。
「そう……そうだね。そんな感じ」
「頑張ってね!ルイのこと、心から応援してるわ」
「ありがとう。……それに、これはミモザのためだしね」
「私のため?」
「ううん、何でもない」
ルイは私の頰をするりと撫でると、じっと私を見つめてくる。何のことか分からずに首を傾げると、ルイは少し拗ねた表情を見せた。
「俺との別れの挨拶、決めたでしょ?忘れちゃった?」
「あ、それのことね」
「ほら、言ってよ」
「……あ、愛してるわ」
慣れない台詞に声がうわずる。恥ずかし過ぎてルイの顔が見られない。思わず顔を逸らす。
「もう、ほんと可愛い。俺も愛してるよ」
ルイは顔を綻ばせた。藍色の瞳は蕩けるようで、恋人から愛される幸せに心が温かくなった。
3年間第二王子の婚約者だったが、愛された記憶はない。
政略結婚ではあったが、将来結婚することになる人だ。好きになれるように努力したものの、寧ろ嫌になるばかりだった。
手を繋いで庭園を散歩したこともあるが、終始第二王子はつまらなそうな相槌しか打たず、私がその場を離れた時、ずっと潜んでいたであろう愛人と熱烈なキスを交わしていたのを見た時は、心が抉られる思いだった。
だけど、今は違う。
あの頃の辛かった記憶を全て水に流すことは出来ないけど、あの経験があったからこそ、今の幸せが何倍も価値があるように感じられる。
「用事終えたらまた来るよ。戻ってきたら、ミモザのご飯食べてみたいな」
そう一言ルイは言い、部屋を出て行った。
まずはこの荷物を片付けて、そこからご飯を作ろう。ルイをあっと驚かせるくらいとびきり美味しいのを目指して。
私は、これまでにないくらい幸せな気持ちでこれからの生活に想いを馳せた。
☆☆☆☆☆
「ご報告いたします」
「よい、申せ」
「第二王子、アレク様が先日の婚約者お披露目パーティーで、フェリンクス公爵令嬢との婚約破棄、及び令嬢の貴族社会追放を宣言されました。会場にいた貴族によれば、愛人と思わしき女性が3名アレク様の周りに居たらしく、会場も冷め切った空気であったと」
「……あの馬鹿息子が……!」
思わずペンを握る手に力が入る。愚息の問題行動は今に始まった事ではないが、今回は間違いなく過去一番だろう。
フェリンクス公爵家は、国内でも有数の名家だ。あの家を敵に回すのは得策ではない。むしろ不都合なことの方がずっと多い。
それなのに、フェリンクス公爵が溺愛する娘を追放しようとするとは。全く以て、双方に何の生産性もない事をしてくれたものだ。
「どうなさいましょう?このままではアレク様の行動によって貴族の不信感が高まり、王室の権威も揺らいでしまう可能性があります」
少し焦った様子を見せる宰相。当然だろう。勝手に婚約破棄やら貴族の爵位を剥奪やらを宣言すること自体許されない事であるのに、更には婚約者がいながらパーティーで愛人と腕を組むなど言語道断。
怒りを通り越し、呆れまでも通り越して最早何の感情も湧かない。
しかし、この事態は予測済みだ。既に手は打ってある。
「もう一人の方の息子が上手くやっているはずだ」
「と、言いますと……」
「そろそろ時間のはずだが」
そう私が呟くと同時に、執務室の扉が軽くノックされた。まるで見計らったようなタイミングに、宰相は少しだけ肩を跳ねさせる。この会話を恐らく外で聞いていたのだろう。食えない息子だ。
「入れ」
「失礼致します」
礼儀を弁えながらも、堂々とした面持ちで入ってきたもう一人の息子の姿を見て、どうしてこうも違うのだろう、とこっそりため息をついた。
部屋に入って来たのは、王位継承第一位でこの国の王太子、ルイス・ディザイア。
アレクと似た顔立ちではあるが、性格はほぼ真逆だ。容姿端麗なのはもちろんのこと、頭脳明晰で、武術にも長けている。出来すぎると言っても過言ではないほどの自慢の息子だが、その優秀さ故に扱いづらく、息子ながら厄介な相手ではある。
宰相が驚いたように目を丸め、ルイスに聞いた。
「留学されていたのでは…?」
「いや、留学はしておりません。実は父上に頼まれて、内々に動いておりました」
ルイスはゆっくりと微笑んだ。私譲りの藍色の瞳は一切揺らぐことがなく、隙がない。
「ルイス、どうだ。順調か」
「ええ、もちろんでございます。ミモザ――いや、フェリンクス公爵令嬢は私が保護しております」
「よし、よくやった。褒めて遣わす」
「ありがとうございます」
ルイスは恭しく頭を下げた。
アレクがとんでもない事を言い出す予感はしていた。時々私の元に挨拶にくるアレクの婚約者の様子がどうもおかしかった為に調べさせた所、婚約者を横目に愛人と遊び倒している事が発覚した。
このままでは双方何をしでかすか分からない。フェリンクス公爵令嬢も憔悴しきっているようだし、アレクは何かとんでもない事を言い出し婚約者を追い出すかもしれない。
それ故に、ルイスに監視を頼んでいた。
「フェリンクス公爵令嬢が住む場所を提供し、密かに護衛をつけさせています。仕事も始めるそうですが、どこの店か先ほど聞いてきましたので、私から直接そこの店主と話をして事情を説明しに行こうと考えています」
我ながら完璧な息子に誇らしげな気持ちと共に、優秀すぎる故に自分の立場を揺るがされている心地になる。その点、アレクはおだてれば上手くいくので扱いやすいのだが。
今後王位を継ぐのは間違いなくルイスだろう。
「それで、いつ戻させるんだ」
「彼女の気持ちがある程度落ち着き次第、といった所でしょうか。弟が勝手な事を言っただけで、実際に彼女は貴族社会から追放されたわけではありません。事前にフェリンクス公爵様にも話をつけてあるので、今のところは問題ないでしょう」
「うむ、良い。これだけ動いてくれれば公爵家を敵に回さずに済むだろう。何か褒美を与えようと思うが…」
ルイスの事だから、褒美は諸外国の有名な著書か、はたまた正式な王位継承を約束させるか、その辺りだろう。
だが、答えは予想の斜め上を行くものだった。
「では、是非ミモザ――いえ、フェリンクス公爵令嬢との婚約及び結婚の許可を頂きたく存じます」
はっきりと言い放ったルイスの表情は、部屋に入ってきた時よりも真剣で、強い意志が込められている様に思える。
しかし、今までルイスに縁談の話を持ちかけても「まだ身を固める気にはなれませんので」と素っ気なく答えるだけだった。
息子の変わりようを信じられず、つい聞き返す。
「それは、本心か?ルイス、お前にはフェリンクス公爵令嬢とアレクの監視だけを頼んだはずだ。まさか、情でも湧いたか?それなら――」
「そんなはずはありません」
そう言い放ったルイスの表情は柔和な笑みを湛えたまま。しかし、どうも寒気がする表情だ。チラリと隣に立つ宰相を見やれば、若干だが気圧されていた。
「私は、彼女のことを心から愛しています。せっかくのこの機会、絶対に逃したくありません。――それに、彼女の事は父上から監視を頼まれる前から、少なからず気になっていましたので」
「……失礼ながら王太子殿下。前から、ですか?」
宰相がそう聞けば、ルイスはゆっくりと頷いた。
つまり、彼女に情が湧いたのではなく、元々気になる存在ではあったという事だ。思い返せば、ルイスは監視の任務を自ら願い出ていた気がする。
まさか、全て仕組んでいたというのか。思わず額に手を当てた。
「もちろん、彼女も合意の上です。それに彼女は王室に嫁入りする為の教育も受けていますし、家柄も申し分ない。気がかりなのは、貴族社会を嫌ってしまった彼女がまた戻ってきてくれるかどうかですが…」
ルイスは少し苦い顔をしながら考え込む。
ここまで息子が婚約や結婚に対して真剣になるとは思わなかった。だが、これは別段悪い話でもない。
感情抜きで利益不利益で考えても問題ない話だろう。それに、よく出来た息子だ。少しくらい我儘を通してやろう。
「気持ちが固い事はよく分かった。フェリンクス公爵令嬢との婚約、そして結婚を許可しよう」
「っ、本当ですか!」
ルイスは本当に嬉しそうに微笑んだ。先程までの笑顔は外交用の仮面だったのだと分かる。隙がない息子で若干心配になるが、こうして年相応の表情を見せてくれると親としても安心するというものだ。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに表情を整えた。親でありながらも私は一国の王だ。それをよく分かっていて、自分の立場を考え弁えようとしている。
「ありがとうございます。これからも父上の期待に応えられるよう、精進して参ります」
「ルイス、何もそこまで畏まらなくて良いぞ。アレクは敬語の使い方すら分かっておらぬ故、私と話す時と使用人と話す時で何も変わっておらぬしな」
「はぁ、弟は相変わらずですね。弟の行為は目に余るものがあります。3年間の学院生活でも婚約者に対し暴言に近い言葉を吐いていますし……許せませんね。私から、きっちりと言っておきます」
「……ほどほどにな」
一応、そう付け加えておいた。ルイスがアレクに「きっちりと言う」と宣言した後は必ず、少しの間アレクが見違えるように礼儀正しく、そして大人しくなるのだから不思議だ。
「それに、私と父上は単に親子関係だけではなく、師匠と弟子でもあるらしいですから」
「師匠と弟子……?ああ、こうして任務を課したり、王になる為の心得を教えているという点で、か」
「そうです。では父上、そろそろ失礼いたします。可愛い恋人が、家でご飯を作って待ってくれていますので」
恭しくお辞儀をし、ルイスは部屋を出て行こうとする。
私はその背中に一言声をかけた。
「待て、フェリンクス公爵令嬢はお前が王太子であるということを知っているのか?」
ルイスはこちらを振り返り、ゆっくりと首を横に振った。それに合わせて金色の髪がさらりと揺れる。
「いえ。警戒されないようにただの平民の男、「ルイ」として接していますので、彼女は知らないでしょう。明るく振る舞っていても、彼女の心の傷はまだ癒えていません。いつ打ち明けるかは慎重に行かないといけませんね。でも、まだ暫くはこの設定で行こうかと思っております。では」
私が制止を言う暇もなく、バタン、とドアは無情にも閉まる。宰相がぽつりと呟いた。
「え、知らないんですか?」
「……そうらしいな。しかし、あの息子があれだけ一人の女性を愛する日が来るとは」
「そうですね。王太子殿下は隙がなく完璧でいらっしゃるので、私ども貴族は殿下に対して冷たいイメージがあったといいますか……てっきり色恋沙汰には興味がないのかと思っておりました」
「フェリンクス公爵令嬢の前ではどんな態度なのか、見てみたいものだな。きっと我々の想像もつかないものなのだろうな」
「ですね」
宰相は素早く同意をした。
フェリンクス公爵令嬢には、しっかりとあの息子の手綱を握ってもらわなければ。アレクも中々に厄介だが、ルイスが暴れる方がより脅威的だ。
私は書類に向き直り、元のようにペンを走らせた。
――私と貴族の前にルイスがフェリンクス公爵令嬢を連れてきて、そのあまりの溺愛ぶりに一同が驚愕するのは、また別のお話である。
ここまで読んで下さりありがとうございました(^^)