介護士にできることー5
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甘い匂いが鼻をくすぐる。
「……うま」
午後一時。
なんとなく甘い飲み物が欲しくなり、職員用に置いてあったミルクティーを入れてみた。
普段ならあまり口にしない類のものだが、じんわりとした甘さが疲れた体に染みわたる。
休憩時間である。
この時間にしては珍しく、休憩室には誰もいなかった。
――どうすればいいだろうな……。
駿介はぼんやりと宙を見つめる。
冴香からの厳しい言葉を受け、冷静に考えてみた。
桐谷さんに、なにができるのか。あるいは、なにもしない方が良いのか。
これまで、先輩たちから教えられたことを反芻し、じっくりと思考を巡らせた。
『リスク管理は問題ないのか?』
ないわけがない。
一人の御利用者のためだけに時間を割くことが、どんな結果を及ぼすのか、六月に嫌というほど味わった。
行動を起こすのであれば、自分だけでなく、他の職員の協力も得て、全職員が一丸となる必要がある。そうでなければ、リスク管理が疎かになる。
駿介に、その力があるのか?
『御利用者本位で――御利用者の「ありがとう」のために――頑張ること』
これも、微妙なところだ。
桐谷さん本人の希望が分からないのだ。
行動を起こしたとして、それが桐谷さんのためになるのか、むしろ逆効果なのか? 一刻も早く特養へ入所した方が良いのか、それとも慣れ親しんだ場所で、少しでも楽しんでもらえるよう、努力するべきなのか?
それが、分からない。
『正解を追い求めるのではなく、御利用者に寄り添って、一緒に考えていくこと』
一緒に考えると言っても、桐谷さんは、ほとんど反応がない。
そもそも『桐谷さんに寄り添うこと』とは一体なにを差すのか。
御本人に寄り添って行動を起こすとするなら、どうすれば良いのか、駿介には分からなかった。
『他の御利用者にも同じようにする覚悟を持つこと』
正直、自信がなかった。
口だけならなんとでも言える。
だが、西坂さんがふれあい西家から去る時、駿介は「これでいいのか?」と思いつつも、何もできなかった。『今は』、多少余裕があるからなにかしようと思えるけれど、別のタイミングだったらどうだっただろうか。
分からなかった。
――なにも、しない方が良いのかな。
考えれば考えるほど、否定材料ばかりが増えていく。
突き詰めていくと、桐谷さん本人がどうして欲しいのかも分からないため、結局、『自己満足じゃないか?』と思ってしまうのだ。
通常業務や、夏祭りの準備だってある。
行動できたとしても、できることは限られているだろう。
どう考えても、駿介一人が騒いでどうにかなる問題ではなかった。
「お疲れ様で~す」
休憩室のドアが開く。
間延びした声で、誰が来たのかすぐに分かった。
「お邪魔しますね~」
普段と変わらぬ、柔和な表情を浮かべて、田島が入って来る。
駿介は「お疲れ様です」と返事をして、ミルクティーを口に含む。
――……甘い、な。
口の中に広がる優しい甘さを堪能し、ごくりと飲み込む。
「はあ~」
同時に、思わずため息が漏れた。
「あら。ため息なんかついて、どうしたのかしら?」
「ああ、いえ……」
駿介は曖昧な返事をして、目を逸らす。
なんでもないです、とは言えなかった。
田島は可愛らしいピンク色の弁同箱を手に、駿介の正面に腰を下ろす。
「桐谷さんのこと?」
「……」
問われて、どう答えるべきか、悩む。
桐谷さんの入所を告げられてから、浩司と話し合ったり、桐谷さんの部屋に長時間いたりと、駿介の言動は明らかにおかしかった。
何を気にしているのか、誰だって察しが付くだろう。
違います、と誤魔化すのもおかしい。
――けど、話しても、な……。
自分の中でも、なにをすればいいのか、どうしたいのか、はっきりしていないのだ。
今の心境をそのまま伝えても、『お悩み相談』のようになってしまう。
それは少し、気恥ずかしい――
「もし、桐谷さんのためになにかしたいと思っているのなら、するべきだと思うわよ」
「……」
「違ったかしら?」
「……いえ、合っています」
肯定すると、田島は得意気にふふっと笑う。
田島は弁当箱を開け、「いただきます」と手を合わせる。
相変わらず、田島の弁当は鮮やかな緑色が目立っていた。
「わたしで良ければ、相談に乗るわよ」
ドレッシングのかかったレタスを口に運びながら、田島はそんなことを言う。




