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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第五章:介護士にできること
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介護士にできることー4

「おーい、護人さん、まだ終わらないかな?」



 がらりと、居室のドアが開いた。

 冴香だった。

「あ、すみません、もう終わっています」

「そう? 彩峰さんが、まだ終わらないのか~って気にしているよ」

 ポニーテールを揺らして、冴香はそんなことを言う。

 排泄介助に入るだけにしては、時間がかかり過ぎていた。

 浩司が気にするのも理解できる。

「すみま――」



「桐谷さん、残念だね」



「……」

 もう一度、謝りかけて、冴香の言葉に遮られる。

 冴香の視線は、駿介の手に注がれていた。

 桐谷さんと、手を握り合ったままだった。

「……」

 なんと返して良いのか分からず、駿介は黙り込む。

 駿介にとって、冴香は話しやすい相手とは言えない。

 一対一で話したことがほとんどない……だけではない。

 もう一つ、理由がある。

 浩司とは、意見が合わないながらも、同性同士ということもあり、なんとなく理解し合えている部分がある。互いの考え方が違うという前提で、話すことができている。


 ――この人、分からないんだよな……。


 しかし、冴香に関しては、正直『分からない』のだ。

 最初は、浩司とともにいることから、浩司に近い考えを持っているのだと想像していたが、会話を聞いていると、そうでもないようなのだ。浩司の機嫌を損ねないよう、上手く立ち回っている――とでも言うべきか、「そうですよね~」と言いつつ、自分の意見は発言しているのだ。

 駿介からすると、怖いくらいに人付き合いが上手く、それでいてきちんと自分の意見は持っている――ある意味、不気味な先輩だった。

 身構えてしまう。


「一つ、質問していいかな?」


 冴香はするりと居室へ入り、駿介の隣に並ぶ。

 その自然な立ち振る舞いも、駿介にとっては不気味に見える。

「はい。なんでしょうか?」

 半歩、横へ動き、応じる。

 距離感も、やたらと近い。

「さっき、彩峰さんと二人で話していたみたいだけど、桐谷さんのことだよね?」

「え? はい。そうですけど……?」



「護人さんは、桐谷さんの入所に関して、どう思っているの?」



「――っ」

 ド直球。

 冴香は、駿介の複雑な心境を知ってか知らずか――いや、おそらくは気付いた上で、踏み込んできた。

「どう思った、というのは……?」

「そのままの意味だよ。桐谷さんのためになにかしたいとか、それとも、入所自体を快く思ってないとか、なんでもいいよ?」

 向けられた丸っこい目には、真剣さに加えて、優しさも垣間見える――気がする。

「……」

 駿介はどう答えたものかと、目いっぱい逡巡し、結局、変に隠しても仕方がないと観念する。

 冴香は、いつも浩司と一緒にいるのだ。

 浩司から、駿介のこともよく聞いているだろう。

 素直に返事をしようと腹をくくる。

 桐谷さんから手を離し、冴香に向き直る。

 そして、言った。


「できることなら、夏祭りに参加していただいてから、お別れできないかと思っています」


 浩司には、無理だと断言された。

 不可能だと。

 冴香には、どう取られるか――


「うん、いいと思うよ」


「――え?」

 聞き間違いかと思うほど、冴香は簡単に駿介の意見を認めた。

「桐谷さんのために、なにかしたいんでしょ? 私は賛成するよ」

「え……と、本当ですか?」

「もちろん。というか、え? 否定されると思ってたの?」

 曖昧に、頷く。

「なんで? あ、もしかして、彩峰さんになにか言われた?」

「……」

 無言で肯定する。

 無理だ、駄目だ、とはっきり言われたせいで、他の先輩方も同様なのではないかと思っていた。

 それに、浩司が言っていたことも、間違っていないと感じている。

 どうしたって、無理を通すことになるのだ。

 否定されても仕方がない。

「あー……あれかな? ケアマネの仕事になるとか、他の御利用者や職員に迷惑がかかるとか、そういう感じ?」

 冴香は苦笑いでそんなことを言う。

 エスパーかと思うくらい、当たっていた。

「彩峰さんはそういうところ、厳しいからね~」

「……はい。でも、それも、事実ですよね」

「まあ、そうなんだけど」

 冴香は、うーんと首を捻る。

 やはり浩司の言っていることは間違っていないのだ。

 冴香も、安易に否定できないといった風だ。

「……」

「……」

 二人して、数秒間黙り込む。

 と、


「じゃあ、私から、一つだけ、いいかな?」


 少しだけ、困ったような笑顔を浮かべて、冴香は言葉を吐き出した。

「私は、桐谷さんのためになにかするなら、応援するよ」

 冴香は一度、桐谷さんへと視線を向ける。

「家族関係のこととか誕生日のこととか、それもあるけど……一緒にいる時間が長かったからね。私も、なにかしたいっていう気持ちはあるよ」

 ぐっと手を伸ばし、桐谷さんの手に触れる。

「……」

 ほんの一、二秒、桐谷さんの手に触れて。

「でもね」

 駿介へと視線を戻す。

 その瞳は、微かに揺れていた。



「でも――それならどうして、他の御利用者の時にも、同じようにしないのか、って言われると……答えられないんだよ」



 悲しそうな、申し訳なさそうな、そんな口調だった。

「護人さんが、桐谷さんのためになにかする、頑張るっていうなら、先輩としてできることはやりたいと思うし、応援もする。ただ、これだけは覚えておいて」



「もし、桐谷さんのためだけに、なにかをするのなら――他の御利用者が入所になった時も、同じようにする覚悟を持っていてね」



「――」

 他の御利用者にも同じように。

 そう言われた瞬間、駿介は一人の男性を思い出していた。


 西坂源一さん。


 少し前に、ふれあい西家から去った御利用者だ。

 西坂さんがふれあい西家から旅立つ時、駿介を含め、職員は『何もしなかった』。

 ただ、その時は、滝野さん脱走事件の事後処理に追われ、忙しかったという事情がある。なにかするにしても、時間的、精神的な余裕がなかった。



 ――……本当に?



 いや、と考え直す。

 あの時、駿介はなにかをしようとすらしなかった。

 何もできなかったという後悔はあったけれど、それは介護的な部分であって、お別れ前になにかをしてあげようとか、そんなことは全く考えていなかった。

 なにか、やろうと思えばできたのではないだろうか。

 脱走事件があったからとか、余裕がなかったからとか、そんなことは、言い訳にしかならないのではないだろうか。



「よく、考えてね」



 冴香はそう言い残して、居室から出て行く。

「……」

 取り残された駿介は、唇を噛みしめ、天井を仰ぐ、

 熱くなった頭が冷えていくのを感じる。

 駿介の気持ちを理解し、なにかするなら協力するとまで言ってくれた先輩からの、厳しい忠告が、胸の内に響いた。



 覚悟を、持て――。


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