お盆と家族ー6
◆
「え!? 昨日ですか!?」
八月二十二日。
フロアに駿介の大声が響き渡った。
「声が大きい!」
「あっ、すみません……」
駿介は謝りつつ――怒りを覚える。
八月十九日から三日間、お盆休みをもらい、本日、久しぶりに出勤したら……衝撃の事実を聞かされた。
桐谷さんの家族が、昨日になってようやく、オムツ類を持参したというのだ。
累計、何日かかっただろうか。
あまりにも、遅すぎる。
「確か、十七日に和田さんが連絡していましたよね?」
「それでも、準備するのに時間がかかったってことだろ」
「ただオムツを買って来るだけですよ? どうしてそんなに時間がかかるんですか?」
「俺に聞くな。知らん」
ぶっきらぼうに答える浩司も、どこか苛立たし気な様子だった。
――なんなんだ……。
もはや、目眩すら覚えるレベルだった。
先日――八月十七日、お盆休み明けの和田管理者と大原へ、桐谷さんの家族がオムツを持って来ないと相談したのだ。
介護職員が言ってもダメなら、ケアマネや管理者から働きかけてもらうしかない。現場職員で話し合い、そう判断してのことだった。
和田管理者と大原は「またですか」と呆れつつ、対応すると答えてくれた。
現場職員が見ている目の前で、「家族が対応するべきことです」「私たちが勝手にやるわけにはいきません」「早く持参してください」と、強く、はっきりと、要望してくれていた。
さすがに、管理者からそこまで言われれば持ってくるだろうと安心し、駿介はお盆休みに入ったのだが――
結果は、四日経ってから、ようやく届いたらしい。
「それで済めば良いんだけどな」
「え? まだなにかあるんですか?」
浩司は怒り調子のまま、こう言った。
「夏祭りの出欠、オムツを持ってきた時に聞いたんだけどな」
「はい」
「『今、初めて聞いた。突然言われても困る。分からん』と、言われたよ」
「………………は?」
一瞬、思考が止まってしまった。
「え? どういうことですか? 案内状を出していますし、この前、コージさんが電話した時にも、確認していますよね?」
「してるよ。でも、初めて聞いたらしい」
「なんですかそれ……」
浩司の怒りに、納得する。
本当に、意味が分からない。
オムツを持ってくるのが異様に遅かったことも問題だが、夏祭りの件も、看過できない。
「オムツを持ってきたの、息子さんですか?」
「そうだよ。桐谷さんの家は、息子さんが主介護者になっているから、息子さん以外、誰も関わってない。俺が電話した時も、息子さんが出たから、確実に、夏祭りの話はしたはずなんだよ」
「だったら、なんで『聞いてない』なんて言うんですか」
「だから、俺に聞くな。知らん。…………まあ、夏祭りのことを忘れていて、咄嗟にそう言って誤魔化したとか、そんなところじゃないか?」
「……」
非難の言葉すら出てこない。
忘れていたとしても、それならそれで、その場で予定を確認するなり、答えようはあるはずだ。
もしくは、来られない事情があるのなら「行けません」とはっきり言えば良いだけだ。
心底、理解不能だった。
「とりあえず、夏祭りに関しては、ご家族は来ないという想定で動きましょう」
会話が止まったタイミングで、今まで黙っていた冴香が方針を決める。
冴香の声色も、普段より低かった。
「そうだな。もうこれ以上は待てないし」
「分かりました」
浩司と駿介も、同意する。
夏祭りは、もう二週間後に迫っている。
何度も確認をしているというのに、それでも「分からん」と言うのだから、どうせ来ないだろう。
これ以上、無駄な時間を浪費するわけにはいかなかった。
「桐谷さん本人は泊まっている予定ですし、人数に入れるとして……あと、決まってない人はいませんよね?」
「いないはずだよ。桐谷さんの家族が分からなくて、作業が止まっていたからな」
「では、私は予定通り、食事関連の発注や調整をしますので、彩峰さんと護人さんは、座席表やタイムスケジュールのチェックをお願いします」
「了解。そっちは頼む」
「分かりました」
三人で話し合い、誰がなにをするのか、確認する。
桐谷さんの家族から返答がなかったために、人数が確定せず、大まかな内容は決められても、微調整ができないでいたのだ。
時間的猶予はない。
起案者である三人以外の職員にも、力を貸してもらうことになるだろう。
一丸となって取り組む必要があった。
――それにしても……酷い、よな。
夏祭りのことを考えつつ、頭の片隅で、そんな想いがかすめる。
オムツの一件や、夏祭りの出欠に関する態度は『非常識』と言って良いくらいで、先輩方が怒るのも無理はない。
駿介だって、むしゃくしゃする気持ちは多分にある。
ただ、それに追加して、駿介には気になることがあった。
夏祭りは、九月四日を予定しているのだが――
桐谷さんの誕生日前日なのだ。
絶対に参加しろ、とは言わない。
家庭の事情や、仕事の都合によってはどうしても難しい場合もあるだろう。
でも、ここまで非協力的な姿勢を見せられると、疑ってしまう。
面倒くさいだけなのではないか、と。
――誕生日くらい、来てもいいだろうに……。
駿介が祖母の介護をしていた頃、護人家では、どれほど忙しくても全員が顔を合わせ、お祝いする習慣があった。
本人は「そんなことしなくて良いのに」と言うかもしれないが、やはり、お祝いされれば嬉しそうにしていたし、家族にとっても大切なひと時だったと思う。
家族全員で予定を合わせて、ケーキを持って、プレゼントも用意して……なんて、そこまでする必要はない。
せめて「おめでとう」の一言を伝えに来るくらい、しても良いのではないだろうか。
桐谷さんの反応が薄くても、会話がままならなくても――それが、家族というものではないのだろうか。
そんなことすら面倒だと感じるほど、桐谷さんは、家族にとって疎ましい存在なのだろうか。
そんな風に感じてしまう。
これではまるで、桐谷さんは、いてもいなくても同じか、下手をすれば『早く死ん――
「――介、おい、駿介!」
「え? あっ、すみません!」
はっとする。
名前を呼ばれていた。
また、考え込んでしまっていた。
「和田さんたちが、集まってくれって。行くぞ」
「え……?」
視線を上げると、和田管理者と大原が、お風呂場前にいるのが見える。
二人が二階から降りてきたことすら気付いていなかった。
――集中っ!
駿介は軽く頭を振る。
少し気を抜くと、すぐ、思考の渦にとらわれてしまう。
それでも周囲が見えていれば良いのだろうが、どうも、駿介はそうではないらしい。
必要以上のことをするのは、一人前になってからだ。
まずは、目の前の業務に集中する必要がある。
「あの、話って……?」
和田管理者と大原のもとへ向かいつつ、浩司に尋ねる。
今日は、特別な会議や研修はないはずだ。
わざわざ職員に召集をかける理由が分からなかった。
「なんだろうな? 俺も知らないよ」
浩司も首を捻っていた。
「……?」
他の職員へと目を向けても、皆、不思議そうな顔をしていた。
「皆さん、業務中に集まっていただき、ありがとうございます」
全員がお風呂場前に集合すると、大原がそう切り出した。
話があるのは、和田管理者ではなく大原のようだった。
どことなく、声がかたかった。
――御利用者関連かな?
その様子から、話しの内容を想像する。
介護職員が知らないところで、御利用者家族や医療関係者と繋がりを持っているのがケアマネージャーという職種だ。
自分たちが知らない間に、物事が進んでいることもよくある。
「職員の皆さんに、お伝えしたいことがあります」
そう前置きをして。
普段より畏まった口調で、大原は言った。
「桐谷スミさんですが……来月、九月一日に解約、特養への入所が決まりました」




