見つめる先ー11
「――なので」
「ストップ。ちょっと待って。先に注文させて」
浩司は、冴香の言葉に被せて会話をストップさせた。
意識したわけではなかったが、少しだけ、語気が強くなってしまった。
「え? あっ! すみません……」
冴香は慌てた様子で謝ってくる。
話しを止めた浩司の口調が強かったせいだろう。
「……」
「……」
なんだか、微妙な空気が流れてしまう。
注文を取りに来たウェイトレスさんも、二人の様子を見て、訝し気な表情を浮かべていた。
「……それで、夏祭りの話だっけ?」
「あ、はい」
浩司は自分から話題を振り、会話を進める。
駿介のことは、一度、頭から忘れることにした。
冴香に変な気を遣わせたくなかったし、気にしていても仕方がない。
そもそも、どうして気に食わないと感じたのか、浩司にもよく分からなかった。
「とりあえず、素案を作って、川瀬主任に出さないとだよな」
「そうですね。細かい調整はあとでするとして、大枠だけでも決めておかないと、先に進みませんよね」
運ばれてきたブラックコーヒーを片手に、二人で夏祭りについて話し合う。
駿介のことも気になるが、目下、一番大切な議題はこっちだ。
業務時間外に話し合うことはあまりしたくなかったが、そうも言っていられない。
とにかく、時間が限られているのだ。
シフト勤務の辛いところである。
行事の起案を任された際、共に動くべき職員と会う機会がなく、なかなか話が進まないことはよくあるのだ。
事実、八月の勤務表を確認すると、出勤予定の二十日間のうち、冴香と会うことができるのは、半分の十日間しかない。
まだ一ヶ月ある、などと考えていると、痛い目に合うのだ。
「――じゃあ、今日はそんなところか」
「そうですね」
快適な空間で、邪魔も入らないとなれば、スムーズに話し合うことができる。
浩司がコーヒーを飲み終わる頃には、ある程度まとまっていた。
それぞれ話し合ったことを忘れないよう、メモを取り、その後、解散の流れとなる。
「駿介には、俺から伝えておくよ」
「お願いします」
もう一人の起案者である駿介には、浩司から伝えることとする。
今日、二人で決めたのは、大枠の日程や段取りまでだ。
ここからさらに、当日の詳しい流れ――タイムスケジュール――や職員配置、来賓と御利用者の席順、その他、食事の内容や排泄介助のタイミング、送迎業務の段取りなど、様々なことを決めていかなければならない。
新人である駿介にも、加わってもらうことになる。
本格的な準備は、ここからが本番である。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
会計を済ませ、二人は店を出る。
「暑いな」
「ですね~」
ドアを開けた瞬間、熱風に出迎えられる。
相変わらずの灼熱地獄だった。
ほんの数十分程度では、お天道様の機嫌は変わらないようだ。
「それじゃ、お疲れ様でした」
浩司はそう言って、自身の車へ向かうべく、歩き出す。
一刻も早く車に乗り込み、冷房を付けたかった。
「あの!」
と、普段なら、「お疲れ様でした」と声が聞こえる場面で、別の声が飛んで来た。
足を止めて振り返ると、なにやら、冴香が深刻そうな顔をしている。
まだ話し合うべきことがあっただろうかと首を傾げると、彼女はこんなことを言った。
「護人さんに、彩峰さんが今年度で辞めること、伝えましたか?」
「あー……」
「まだ、伝えてないんですね?」
「……」
無言で肯定する。
これまでも何度か、同じことを聞かれていた。
冴香からすれば、心配なのだろう。
就職一年目の新人にとって、指導担当の存在は大きい。
良いにしろ、悪いにしろ、その後の人生に大きな影響を与えると言っても良い。
社会人としてのマナーや、職場での振る舞い方、業務に関わる技術面の指導はもちろんのこと、仕事に対する考え方にも影響があるだろう。
それほどの相手が、一年目の終わりに姿を消すとなれば……ある程度の配慮が必要となって来る。
冴香が気にかけるのも、理解できる。
「今すぐに伝えろとは言いませんけど、頭には入れておいてくださいね」
「……分かってるよ」
言いつつ、思わず視線を逸らしてしまう。
正直、まだ駿介に話すつもりがないからだ。
――きちんと決まったら、話すよ。
心の内で、そう言っておく。
介護職から離れると心に決めたものの、未だ、再就職先が確定していないのだ。
だからと言って話さない理由にはならないのだが――なんとなく、先輩という立場上、就職先がきちんと決まってから話したかった。
なんて、考えているのが顔に出てしまったのか。
「私は、直前になるより、早めの方が良いと思いますよ」
冴香に念を押される。
浩司は、投げやりになりつつも、素直に「分かった」と頷く。
いつか、伝えなければならないことは事実なのだ。
後輩からのありがたいアドバイスを無下にするほど、浩司もテキトーに生きているわけではない。
「……っ」
それでもなお、冴香はなにか言いたげな視線を向けて来たが、やがて諦めたのか、「お疲れ様でした」と言い残し、自分の車へと歩いていく。
――珍しい、よな……?
そんな彼女の後ろ姿を見て、思う。
冴香は普段から、人のことをよく観察している。
なにを言えば不快に思われるのか、どこまでならふざけて良いのか、そういった『空気を読む力』に長けている。
その彼女が、浩司と駿介の間柄に対して、ここまで口を挟んで来たのだ。
かなり、珍しいことだと言えた。
――なんだろうな?
とはいえ。
気付いたところで心が読めるわけではない。
単に心配しているだけなのか、それとも、他に理由があるのか。
考えたところで、分かるはずもない。
「帰るか」
浩司は踵を返し、自分の車へと向かう。
そろそろ、暑さに耐えるのも限界だった。
エンジンを点ける頃には、抱いた疑問は汗とともに流れ落ちていた。




