夜勤ー6
何年も前の話だ。
祖母が弱り、駿介の両親も、駿介自身も、精神的に辛くなっていた頃、一人の介護士が現れた。
その人はいつも明るく、笑顔を絶やさず、なにより介護という仕事に誇りを持っていた。
「柚希さん、今、なにしてるのかな……?」
想いをはせる。
祖母が亡くなってから、一度も会っていないのだ。
介護士と御利用者家族という関係は、実は、物凄く薄い繋がりしかない。
御利用者本人とずっと接しているのは介護士でも、家族と接することが多いのはケアマネだからだ。
当時、駿介はそんなことも知らなかった。
一方的に憧れて、お礼すら言えていない。
駿介が知っていることと言えば、その人が『柚希』という名前だったという、それだけだ。
いつかまた会うことができたら、お礼を言おうと、心に決めていた。
――……よし。
気合いを入れる。
憧れの人を思い出したら、少しだけ元気が出た。
こんなところで躓いているわけにはいかない。
まだ、一度目の夜勤なのだ。
初めてのことをして、戸惑うのは誰だって同じだろう。
何度もやって、それでもできなかったら、また悩めば良い。
御利用者を助けるとか、病気を治すとか、そんな大それたことはする必要はない。
ただ、そばで寄り添うこと。
それが、介護士の仕事だ。
そのためになにができるのか。
どんな仕事をすれば良いのか。
全力で考えて、挑戦していけば良い。
いつか、結果が着いてくるだろう。
「……休もう」
駿介は再度、畳に腰を落とす。
せっかく休憩をもらったのだ。
きちんと休んで、後半戦に備えなければならない。
夜明けまでは、まだまだ時間がある。
休むべき時には休んで、万全の状態で仕事に当たるべきだ。
「よっ、と」
休憩室にある座布団を重ね、横になる。
休憩時間が終わる五分前には起きられるよう、スマホのアラームをセットする。
――後半戦も、頑張ろう!
そして、熱を滾らせてから、瞼を閉じた。
◆
……。
…………。
………………。
プー、プー、プー……。
「――ん?」
なにか大きな音がして、駿介は目を開ける。
まだ、それほど時間は経っていないはずだ。
スマホのアラームも鳴っていない。
「内線?」
見れば、休憩室内にある、電話機が鳴っていた。
赤いランプが点灯しており、内線がかかってきていることを示していた。
もしや、フロアでなにかあったのだろうか。
駿介は、壁際の電話機まで近づき、
「はい、こちら休憩室です」
内線に出る。
と、
〈おい。いつまで休んでるんだ?〉
なにやら、とても怒っている声が聞こえて来た。
不思議に思い、壁にかけてある時計に目をやり――
「あっ!! すみません!!」
なにかあったのは自分の方だと悟る。
時刻は、午前四時。
二時間近く寝ていた計算になる。
スマホのアラームは、確かにセットした。
それすらも気付かなかったのか。
〈とりあえず、早く降りて来い〉
「はい! すぐ行きます!」
駿介は大慌てで荷物を取り、ダッシュで階下へ向かう。
――なにしてんだっ!
泣きそうになる。
これでは、憧れの人に追いつくどころの話ではない。
お礼を言うなんて、百年早い。
合わせる顔がない。
「すみません! 遅れました!!」
階段を駆け下り、駿介は頭を下げる。
「寝てたのか?」
「……はい」
フロアで待ち受けていた浩司は、怒っていつつも、どこか面白がっている様子で、
「お前、すげーな。大物になるぞ」
そんなことを言われた。
今回ばかりは、言い訳のしようがなかった。
◆
後に、『護人駿介寝坊事件』と名付けられたこの一件。
職員全員から「初めての夜勤で寝るとか、普通できないよ」とか「もうそこまで来たら、朝まで寝てたら面白かったのにね」とか、いろいろいじられたのは言うまでもない。
不名誉な伝説ばかりが増えていくのは、何故だろうか。
これでも、一生懸命やっているつもりなのだが……。




