夜勤ー2
「あ、そろそろ日付変わりますね」
肩をぐるぐると回しながら、駿介が時計を指さす。
つられて視線を向けると、ちょうど零時になるところだった。
「巡回しつつ、排泄だな」
「分かりました」
浩司はすぐに指示を出す。
ここからは、体を動かす業務だ。
「とりあえず、ざっと見て回ろうか」
「了解です」
ひそひそと話し合い、各居室を回ることとする。
巡回――ラウンドとも呼ばれる業務だ。
御利用者は、言うまでもなく全員が高齢で、病気を持っている方々ばかりだ。
昨日まで元気だった人が突然意識を失い、そのまま亡くなる、なんてこともままあるのだが――
夜間帯は、そのリスクが一層高くなる。
『発見されにくい』のだ。
昼間であれば、複数人の目があり、ほとんどの御利用者がフロアに集まっている。
意識がなくなったとか、倒れたなんてことになれば、誰かが気づくし、気付くことができれば、救急車を呼べる。
ところが、夜間帯になると、状況が変わる。
ぐっすり眠っていると思っていた御利用者が、いつの間にか意識を失っていて、そのまま亡くなった――なんてこともあり得るのだ。
居室にいることや、職員が一人しかいないこと、そして職員にも、夜間帯にやらなければならない仕事があることなどが理由にあげられる。
そのための、巡回である。
「静かにな」
「はい」
ふれあい西家の居室は、玄関からフロアへ向かう廊下の左右に設置されている。
泊り御利用者、九名分の個室――全部で九部屋である。
最もフロアに近い居室へ向かい、音が鳴らないよう慎重にドアを開ける。
六畳ほどの居室内は、洋服を入れるためのタンスと、ベッドがあるだけで、他は何もない。
特養など、そこが生活の拠点となる場合ならば、家で使っていたモノや、思い出の品などが置いてあるのだろうが、小規模事業所は違う。
家で過ごすことが基本であり、ご家族の都合に合わせて『たまに泊まりに来る程度』の御利用者がほとんどであるため、御利用者当人の荷物は数えるほどしかないのだ。
「息、しているか?」
「……大丈夫です」
豆電球だけがついている、薄暗い部屋の中、ベッドのすぐ脇まで行き、確認する。
布団の膨らみが上下しているかどうか、一人一人、見て回った。
「よし、このまま、排泄介助に入るぞ」
「分かりました」
ある御利用者の居室へ来たところで、浩司が指示を出す。
排泄介助――オムツ交換である。
排泄介助は、巡回業務と一緒に行うことが多い。
寝ている御利用者の居室に、何度も出入りすることを防ぐためだ。
「椎川さん、寝ているところ、申し訳ありません」
浩司は、寝息を立てていた御利用者に声をかける。
椎川ミエさん、八十四歳、女性である。
「はーい」
椎川さんは、浩司に呼びかけにすぐに反応する。
「あら、今日は二人なんだね~」
目を覚まし、浩司たちの姿を確認すると、椎川さんは微笑んでくださる。
寝ているところを起こされたというのに、不機嫌そうな様子は全くない。
寝ぐせがつき、ぼさぼさになったグレーの髪の毛が、愛嬌にも見える。
「すみません、お休みのところ」
浩司は重ねて謝罪するが、椎川さんは「いいのよ」と笑い、
「いつもごめんなさいね。面倒をかけてしまってね~」
逆に、謝ってくる。
椎川さんは足腰に力が入らず、自分の足で立って歩くことができない。
車イス上での生活を余儀なくされ、自分の力ではトイレに行くこともできない。
いつも職員に『ごめんなさないね』『ありがとうね』と口癖のように話され、申し訳なさそうにしている。
「いえいえ、これも仕事ですから。大丈夫ですよ」
「そう? こんな年寄りの『下の世話』なんてしたくないでしょうに……。もっと若い子なら良いのにね~?」
椎川さんは冗談でそんなことを言う。
申し訳なさそうにしつつも、屈託のない笑みを浮かべていた。
浩司も、「またそんなこと言って」と応じ、笑い合う。
椎川さんは、職員から慕われている。
一人で歩くことができない、というハンデを抱えながらも、職員のことを気遣い、いつもにこにこしているのだ。
認知症も、発症している。
今のやり取りも、二度や三度ではない。
お決まりに近い会話だ。
それでも、嫌味な感じがないのだ。
きっと、認知症を発症する前から、気の良い、素敵な方だったのだろうと、誰もが思っている。
病気を持ち、ハンデを抱えながらも、椎川さんは力強く生きている。
職員の誰もが、椎川さんの笑顔に元気づけられていた。




