時間ー6
「たぶん、考え方が逆なんだよ。……○○までにこれを終わらせなきゃならないとか、○○があるから早くしなくちゃならないとか、そういう、焦る気持ちや心の余裕のなさが、事故に繋がることは理解しているよな?」
「それは、はい。分かっています」
再度、頷く。
だから、時間の優先度は高くない、と結論付けたのだ。
「だから『時間』は、常に意識しなくちゃならないんだよ」
「……?」
「時間に縛られて、○○しなくちゃならないと焦ったり、余裕がなくなったりすると事故に繋がるのなら、そういう時こそ、一息つくべきなんだよ。時間を意識するからこそ、『余裕を持って行動するべき』なんだよな」
分かるか、と聞いてくる。
もちろん分かる。言いたいコトは理解できる。
時間を気にするあまり、余裕がなくなるから事故が起きる。
なればこそ、『時間がない』と思った時こそ、のんびりと、心に余裕を持つべきだ、と。
時間の優先順位を下げて、意識しないようにするのではなく、時間を常に意識しているからこそ、急ぐな、ということか。
「そもそもの話をするとだな」
今度は、浩司が顔を向けて来る。
なにか、挑戦的にさえ見える、不敵な笑みを浮かべていた。
「足腰が悪かったり、認知症で何も分からなくなったり、そういう御利用者相手に、いくら『急げ』と言っても無理があるだろ? 早く歩けない御利用者の周囲を、職員がバタバタと走り回っていたら、その人はどう思う? 恐怖を感じると思わないか?」
「思います」
「だろ? 俺たち介護士は、本来、ゆっくりと仕事をするべきなんだよ」
「…………」
納得半分、不服半分、である。
浩司の言うことは、正しいのだろう。
事故を起こさないため、御利用者のスピードに合わせるため、心に余裕を持ち、のんびりと仕事をする。
時間を意識していなければならないが、意識しているからこそ、常に平常心を保つ必要がある。
それが、介護士だ、と。
――でも……。
でも、だ。
駿介が真に聞きたいのは、そこじゃない。
「じゃあ、田島さんは、正しいんですか?」
時間云々の話は大変勉強になるが、正直な話、田島がそこまで考えているのか、怪しいと感じる。
余裕を持って行動せよ、ということならば、ぎりぎりまで休憩に入っているのはどういうことなのか? それすらも、『心に余裕を持たせるため』と割り切っているのだろうか。
他の職員に負担を強いている状況でも、気にしてはいけないのだろうか。
田島の行動は、『正しい』と言えるのだろうか。
「あー…………半分正しい、かな?」
強い視線を投げると、浩司は目を逸らし、空を見上げた。
本日は、雲一つない快晴だ。夏の空が広がっている。
浩司は、眩しそうに目を細めた。
「田島さんの行動、全てが正しいとは言わないよ。他の御利用者や職員に迷惑をかけているのは事実だ。……実際、目に余る時は、和田さんや川瀬主任から注意されているし、俺や硯さんも、苛々する時はある」
でも、と浩司は言う。
「田島さんは、絶対に事故を起こさないし、時間がかかったとしても、任された仕事は確実にやり遂げている。なにより――」
「――田島さんは、『芯』があるんだよ」
浩司は言いつつ、太陽光から逃れるように、事業所の中――フロアの方へと体を向ける。
「まだ分からないかもしれないけど……。田島さんは、優秀な介護士だよ」
浩司はそこで言葉を切り、最後にこんな言葉を残す。
「ふれあい西家の職員の中で、駿介の『理想』と一番近い職員は、田島さんだと思うぞ。田島さんのことを、よく観察してみると良いよ」
顔だけ駿介の方へ向けてそう言うと、浩司は「暑いから中に入ろう」とフロアへ歩いて行ってしまう。
「……」
駿介は眉を寄せ、浩司の背中を見つめる。
もやもやとした気持ちが晴れないままだった。
煙に巻かれたような感覚だ。
気持ちの悪い不満だけが残ってしまった。
――どういうことだ?
浩司は、田島が正しいとも、間違っているとも結論付けなかった。
御利用者に対してゆっくり動くという正しい部分と、それ故に、他者に迷惑をかけているという、間違っている部分があると言う。
しかし、最終的には『優秀だ』と言った。
よく、分からない。
正直な感想はそれだった。
浩司は、こうも言っていた。
駿介の理想に近い存在だ、と。
リスク管理が上手い浩司自身でもなく、周囲に気を遣える冴香でもなく、安定感のある川瀬主任でもなく――マイペースで、のんびりと動いている田島が、駿介の理想に近い、と。
駿介には、既に憧れの介護士がいる。
その人は、ハキハキとした人で、どちらかと言えば、素早く行動していたように感じる。
田島とは、似ても似つかない。
「駿介、早く戻ってこい!」
と、物思いにふけっていると、フロアの方から声が飛んでくる。
ハッとする。
今は、勤務中だ。
考え事はあとでもできる。
「今、戻ります!」
駿介は、釈然としない気持ちを抱えたまま、勤務に戻ったのだった。




