時間ー5
「……」
駿介は黙って田島の帰還を受け入れるが、やはり、腑に落ちない。
「今、行きますね」
そう言いながら、田島はこれまたのんびりと、髪の毛を縛り直す。
紺色のゴムでくるくると髪の毛を結い、「よし」と手を叩く。
「じゃあ、行ってきますね」
行ってきますね、ではない。
他になにか言うことがあるのではないだろうか。
駿介は「お願いします」と、言葉だけで返事をした。
田島は順番に御利用者を車に乗せ、五分ほどで出発する。
「さようなら~」
車中から手を振って来る御利用者へ、手を振り返しつつ、思う。
――これ、いいのかな……?
途中から、駿介とともに準備に参加していた浩司も、「気を付けて~」と何食わぬ顔で見送っているが、駿介の中にはもやっとした気持ちが溜まる一方だ。
駿介はこの三ヶ月間『なにかあったらすぐに先輩職員を呼べ』と、浩司から何度も注意されてきた。
浩司の介護に対する姿勢に、疑問を抱いたことこそあれど、その言葉自体に疑問を抱いたことはない。
会社という場所に属している以上、当然の義務だと思うし、なにより、他の職員、御利用者に迷惑がかかる。
『なにかあったらすぐに呼べ』という言葉通りに考えるなら、大幅に時間が遅れている状況で、何故、他の職員へ何も報告がないのか。
何故、田島だけが許されているのか。
自分に指導されている内容と、田島への対応が矛盾している。
意味が分からなかった。
「コージさん」
「なんだ?」
「田島さんは…………えーっと、その……」
口を開いて、駿介は詰まった。
なんと聞いて良いか分からなかった。
はっきり言ってしまえば、
社会人として、時間感覚がおかしいのではないか?
他の職員をなんだと思っているのか?
どういう神経をしているのか?
と、そんな感じになるが、さすがにそのまま質問することはできない。
介護に関する質問ならともかく、目上の先輩に対して、偉そうに『社会人のなんたるか』なんて、質問できるはずがなかった。
「あー……そうだな」
駿介が言い淀んでいると、浩司は質問内容を察したらしく、「一つだけ」と言う。
「全て言葉で説明するのは難しいから、一つだけ、言うぞ」
「はい」
「田島さんは、絶対に、事故を起こさないんだよ」
浩司は逆に問いかけて来る。
「これまで、駿介に『なにかあったら呼べ』とは言ってきたけど、『時間を守れ』、と言ったことはないよな?」
「……はい」
確かに、言われたことがない。
送迎などで『時間にも注意するように』と指導されたことはあったが、必ず守れ、という指導は受けていない。
駿介が頷いたことを確認してから、浩司はさらに問いかける。
「駿介は介護をする上で、『時間』はどのくらい大切だと思う?」
「……」
考えてみる。
例えば、一般企業であれば、時間の重要度はかなり高いだろう。
ニュースなどでも、時間外勤務に対する問題等、時間に関する話題はよく耳にする。
時間を有効に使うため、仕事の効率化など、積極的になされているだろう。
では、介護においてはどうか。
仕事が遅ければ、他の御利用者や家族に迷惑がかかる。
他の職員にも負担を強いることになる。
反面――。
イレギュラーな事態が多いことは、駿介も理解している。
急に具合が悪くなったり、認知症の影響で、職員の思うように御利用者が動いてくれなかったり、そんなことは日常茶飯事だ。
そういう時に、職員が焦って行動しては、余計に被害を拡大させる。
ほんの少しの油断や、ちょっとしたミスが事故に繋がるのだと、駿介はもう知っている。
ということは――。
「それほど、『時間』の優先順位は高くない、ということですか?」
他の職員への負担、他の御利用者、家族への迷惑を差し引いても、それほど重要度は高くない、ということだろうか。
駿介は、浩司へと視線を向ける。
「いいや? すごく高いよ」
浩司は得意気に笑う。




