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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第一章:時間
68/105

時間ー3

 浩司は、泡だらけになった鍋をざーっと水で洗い流し、答える。



「いや? 大丈夫じゃないぞ?」



 泡を流し終え、鍋を水切り場へ。

 次はフライパンだ。

「え、大丈夫じゃないんですか?」

「まあな。きちんと時間を守る人と、なんでもマイペースにやる人と、どっちがありがたいかと言われたら、前者だしな」

「だったら――」

 と、駿介が食いついてきたタイミングで、浩司はガン、とフライパンをシンクに置く。

 びくっと肩を揺らした駿介へ、浩司は言う。



「そのうち、分かるよ」



 そうして、強制的に会話を終わらせた。

 浩司はフライパンについた油を擦り、思う。


 ――説明が難しいんだよな。


 先ほど、田島が送迎業務から事業所へ戻って来なかったことも、今、時間がない中で、のんびり作業をしていることも、全て、田島の性格に起因している。

 駿介に言われるまでもなく、これはよろしくない。

 川瀬主任や和田管理者から、注意されている姿を何度も見たことがある。

 特に、送迎業務に関しては、事業所内でのトラブルにとどまらない。御利用者や家族に、直接迷惑をかけてしまうことになるのだ。


 それでも田島は、『許されている』。


 和田管理者や川瀬主任が注意する時は、『目に余る時だけ』で、必要以上には注意しないし、なんなら、迷惑を被っているはずのご家族からですら、「ああ、田島さんね。いいですよ」と笑って許してもらえることが多いのだ。

 その理由は、理屈よりも感情の部分が大きい。

 言葉で説明するのは困難なのだ。

「終わったかな?」

「みたいですね。出しましょうか」

 それから数分後、亀みたいな速度で作業を行っていた田島が、ようやく手を止める。

 それを見計らって、浩司はお盆を手に取る。

「ほら、駿介も、出すぞ」

「あ、はい!」

 田島の動きを眺めていた駿介にも一声かけ、御利用者のもとへ、昼食を運ぶ。

 お盆の上には、それぞれの名前を記したネームプレートが置かれている。

 間違えないよう、一人一人、名前と顔を確認しながら提供する。


 食事、と一言で言っても、多種多様である。


 御利用者の中には、病気によって、カロリー制限がかかっていたり、アレルギーや、服用している薬の影響で、食べられないものがあったりと、それぞれ内容が違う。

 どれでもいいからテキトーに出す、というわけにはいかないのだ。


 そして――食事の時間は、介護職にとって、重要な任務がある。


「コージさん、食介しょっかい、誰がつきますか?」

 食介――食事介助である。

 小規模事業所において、食事介助が必要な御利用者はほとんどいない。

 小規模事業所は、自宅で過ごせる御利用者を受け入れる場所であり、それ故に、『ある程度のことは一人でできる人』が多いからだ。

 しかし、完全にいないか、と言えばそうでもない。


桐谷きりたにさんの食介は、田島さん、お願いします」


 リーダーである冴香が、田島へ指示を出す。

 声をかけられた田島は「分かりました」と頷き、すぐに対応へ向かう。

 車イスに座った、おばあちゃんである。

 桐谷スミさん、御年九十四歳。

 介護を受ける上で、指標となる『要介護度』は、最も高い五に相当する。

「桐谷さん、お昼ごはんですよ」

「……」

 田島が優しく声をかけ、エプロンをつけるが、桐谷さんからは反応がない。

 桐谷さんは、『寝たきり』の状態に近い。

 食事を摂取することも、トイレへ行くこともできない。

 声をかけても反応は得られず、いつもどこを見ているのか分からない、うつろな目をしている。

 時おり、なにかを訴えるように手を動かしたり、口を動かしたりすることはあるものの、それ以外、明確な意思表情は存在しない。

 田島が持っていったお盆の中身も、他の御利用者へ出すものとは異なる。


 ミキサー食、と呼ばれるものだ。


 ごはん、おかず、汁物、全てがミキサーにかけられており、見た目からは、それがなにか、想像することすら難しい。

 モノを飲み込む機能や、モノを噛む力が弱まっていることが原因である。

「桐谷さん、お味噌汁ですよ」

 田島がスプーンで茶色の液体をすくい、口の中へ入れる。

「……」

 桐谷さんはもごもごと口を動かし、三十秒ほどかけて、ごくりと飲み込む。

 田島は「美味しいですか?」と声かけを続けるが、桐谷さんの表情は一切変わらない。

 モノを食べているという感覚があるのかないのか、それすらも分からない。

 生物としての本能がそうさせているのか、ただ、口の中へ入れられたモノを、機械的に飲み込んでいるように見える。

「桐谷さん、これはお肉ですよ」

 スプーンですくい、口の中へ。

 もごもご、ごくん。

「これはごはんです」

 白い物体を口の中へ。

「お茶もどうぞ」

 田島は根気よく話しかけ、少しずつ、お皿の中身を減らしていく。

 桐谷さんは、終始、無言、無表情だ。


 食事介助の、日常風景だった。


「先、休憩入ってきますね」

 そんな二人を横目に、冴香が声をかけて来る。

 食事の時間は、食介一名と、その後の配薬、歯磨き誘導など、業務は多くあるが、三人もいれば対応できる。

 それに、食事介助は通常、三十分から一時間もあれば終了する。

 人数がそろっている時は、リーダーから優先して休憩に入るのが通例となっている。

「はいよー。お疲れです」

「お疲れ様です!」

 冴香が二階の休憩室へ行ったことを確認し、


「駿介、薬準備して」

「はい!」


 浩司と駿介、師弟コンビでフロアを回す。

 三ヶ月の指導期間を経て、『本来の形』で動けるようになってきた。

 決して、余裕があるわけではないけれど、それでも、人手が増えるのは単純にありがたかった。

 浩司にとっては、少し気が楽になり、駿介にとっても、少し誇らしい気分になれていた。

 その一方で。


「桐谷さん、これは野菜ですよ~」


 田島はマイペースに食介を続けていた。

 あー、これはまた時間がかかるだろうなー、なんて、浩司は予想して――。


 その予想通り、田島の食介が終わったのは、一時間半が経過してからだった。

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