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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第一章:時間
66/105

時間ー1

 強い日差しが照り付け、田畑の作物は青々と育っている。

 蒸し暑い梅雨の時期を越え、いよいよ、夏本番である。

 ふれあい西家でも、御利用者へ提供される飲み物が熱いほうじ茶から、冷たい麦茶へと変更された。



「おはようございます!!」



 そんな、うだるような暑さの中で、ひときわ大きな声が響く。

 今年からふれあい西家の職員として活躍している、護人駿介である。

 三ヶ月の指導期間を終え、本日から、本格的に介護職員の戦力として数えられることとなる。

「相変わらず元気だな……。おはよう」

 呆れ顔で挨拶を返すのは、六月末まで勤務を共にし、駿介の指導に当たった、彩峰浩司。

 馴染みの顔を見つけて、駿介は「おはようございます!」と再度、大きな声を出す。

「いや、二回も言わなくていいよ」

「はい! すみません!」

「……」

「すみません!!」

「いや、だから二回言わなくていいから」

 浩司は手をパタパタと振り、あっちへ行け、とジェスチャーして来る。

 見れば、浩司は書類をまとめているらしかった。

 そばにいても邪魔になるだけだろう。

 駿介は一礼し、さて、なにをしようかと考える。

 本日、駿介は十時半出勤の遅番勤務である。

 遅番業務は、ほとんど場合、その日のフロアリーダーである早番職員の補助に入る。

 主に、排泄業務や、送迎訪問業務が中心となる。

 まずはなにをするべきか――


「あ、おはようございます」


 と、背後から声をかけられる。

 振り向くと、にこやかな笑顔がある。

 ポニーテールが可愛らしく揺れていた。

「おはようございます!」

 背筋を伸ばし、挨拶を返す。

 彼女は、硯冴香。

 直接的な関わりこそないが、この三ヶ月間で何度もお世話になっている先輩職員だ。

 後頭部から垂れ下がるポニーテールと、丸っこい目が、どことなく犬を連想させる。

「今日は、硯さんがフロアリーダーですか?」

「そうだよ。よろしくね」

 冴香はそう言ってほほ笑む。

 駿介は改めて、「お願いします」と頭を下げる。

 それから、質問する。

「硯さん、なにから始めましょうか?」

 出勤したばかりで、どの業務がどこまで進んでいるのか、駿介には分からない。

 その日の業務をまとめて、指示を出しているフロアリーダーに確認するのが一番早い。

 浩司と二人で業務に当たっていた時も、出勤した直後はフロアリーダーに指示を仰いでいた。



「あー。それなんだけどね……」


 しかし、尋ねられた冴香は、うーんと首を捻った。

「本当は、訪問に出て欲しいんだけど……」

「訪問ですか?」

「そう。ほら、ここなんだけど」

 見せられたのは、送迎表と呼ばれる一枚の紙。

 その日、何時に誰の送迎に行き、誰の訪問に行くのか、全て記載されている。

 冴香が指し示したのは、駿介が訪問に出る予定になっていた、一つ前の送迎業務――九時半頃には終わる予定になっているものだ。

 その送迎業務には、田島萌子たじまもえこ職員が当たることになっている。

 田島は、ふれあい西家が開設した当初から勤務している、大ベテランだ。

 介護士としての勤務年数は、ふれあい西家の中で最も長い。

 送迎業務くらい、お手の物だろう。

「なにかあったんですか?」

「それがね、まだ、帰って来ないんだよ」

 冴香は壁にかけてある大きな時計を眺める。

 十時半を過ぎている。

 一時間以上、予定とずれていることになる。

「だから、車がなくて困っているんだけど……」

 冴香は、困っている、というより、どこか呆れているような表情で、嘆息する。

 ふれあい西家には業務で使用できる車が二台しかない。

 今日は、和田管理者が会議に出席するため、一台使用しており、残りはもう一台。

 つまり、未だ帰って来ないというその一台しかない。

 車がないのでは、外に出ようにも出られない。


 ……いや、それよりも。


「大丈夫なんですか? 一時間以上ずれ込むなんて、なにかあったんじゃ――」

「あ、それは大丈夫だよ」

「へ?」

「それより、次に行くはずだった人たちに、遅くなることを連絡しておいた方がいいかな? ……護人さんは、ちょっと待っててね」

 冴香はそう言い残して、浩司のもとへと向かう。

 これからの予定について、二人で相談を始めてしまう。

 浩司も、「あー……」と面倒くさそうにしながらも、慣れた様子で対応を始める。

「……?」

 置いて行かれた駿介は、眉をひそめる。

 通常、送迎業務がここまでずれ込むことはほとんどない。

 御利用者の自宅へ迎えに行き、車に乗せて戻って来るだけだからだ。

 ふれあい西家を利用している御利用者は、自分で歩ける方が多い。車への乗り降りもそう時間がかからない。

 二十分、三十分程度であれば、御利用者が行きたくないと拒否し、その説得に時間がかかった等、遅れる理由は考えられる。


だが、一時間である。


 それほどずれているとなれば、イレギュラーな事態が起こっていると考える方が自然だ。

 就職して間もない頃、駿介も送迎先でトラブルに見舞われたが、その時は、事業所に残っていた職員も、かなり慌てて対応していたと聞いている。

「じゃあ私が連絡しますので、彩峰さんはフロアを見ていてください」

「分かった。よろしく頼む」

 ところが、どういうことなのか。

 今回に関しては、浩司も冴香も、まるで動じる様子がない。

 二人揃って、テキパキと対応に当たっている。

 まるで『よくあること』とでもいうような様子だった。

「駿介は、とりあえず待機で」

「え? あ、はい」

 浩司に声をかけられ、頷く。

 車がないのだから、駿介は外に出られない。

 事業所に待機しつつ、別の業務を行うしかない。


 ――それは良いけど……大丈夫なのか?


 疑問は尽きなかったが、先輩たちは素知らぬ顔で業務に戻ってしまい、聞くに聞けなかった。

「……考えても仕方ないか」

 これ以上、新人の自分が首を突っ込んでも仕方ないだろう。

 駿介は、壁際に放置してあった洗濯物を取り、干し始めたのだった。

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