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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
目標
62/105

目標ー2

「あ、お疲れ様です」



 と、屋上のドアが開いた。

 ドアの向こうから、大柄な男が現れる。

「お疲れ様です。休憩か?」

「はい。川瀬主任に、入ってこいと言われたので」

 大柄の男――駿介は、浩司と同じく、片手にマグカップを握っていた。

 彼は飲み物の好き嫌いがほとんどないらしく、大抵、お茶かコーヒーのどちらかを飲んでいる。

 時おり、スポーツドリンクを持参していることもあるようだが、今日はそうではないらしい。


「西坂さん、行きましたよ」


 彼は浩司の隣にやって来ると、ポツリと呟く。

 滝野さん脱走事件の発端を作ったとも言える、『ドアを開ける男』こと、西坂源一さんは、本日、他施設へ移動することになっていた。

 浩司が休憩に入っている間に、ふれあい西家から旅立ったらしかった。

「……挨拶、しなくて良かったんですか?」

「いつものことだからな。特別、関わりの深い方でもなかったし」

「そういうものですか」

「そういうものだよ」

 浩司は、大して関心を示さず、ぶっきらぼうに答える。

 冷たいと思われるかもしれないが、本当に『そういうもの』だ。

 ふれあい西家に限らず、高齢者施設は回転が早い。

 浩司が就職した時からいる御利用者は、既に十名以下にまで減っている。

 他施設へ移動となった方だけでなく、体調を崩して入院し、そのままお別れになった方なんかもいる。

 その度に、いちいち気にしていたら、精神的に持たないのだ。

 特に、西坂さんは職員にとって負担の大きい御利用者だった。

 本音を言えば、早い段階で他施設へ移動となり、良かったとすら思う。

 これが例えば、五年、六年と付き合いが長く、職員にとってもありがたい御利用者だったならば、話が変わって来るのだろうが……それは、その時になってみないと分からない。

「……」

 ちらりと横に視線を向けると、どこか、寂し気な表情をする駿介と目が合う。


 ――……コイツは、そうだよな。


 どこまでも、御利用者の立場で考える駿介は、あの西坂さんですら、大切に思っていたのだろう。

 なにもできなかったという悔しさからなのか、それとも、単に寂しいだけか。

 明らかに元気がなかった。

 その様子を見て、浩司は問いかける。

「なあ、駿介」

「はい?」



「どうして、介護士になったんだ?」



 ずっと、気になっていたことだった。

 就職し、仕事に就いたその日から、駿介は熱意に溢れ、どんな時でも『御利用者本位』の姿勢を崩さなかった。

 学校で教わっただけにしては、あまりにも想いが強すぎる。

 なにか、理由がある気がした。

「あれ? 話していませんでしたか?」

「聞いてないな」

 浩司が答えると、駿介は言った。



「憧れの人がいるんですよ」



 その口調に、ためらいはなかった。

「数年前、祖母が体を悪くした時に、一生懸命尽くしてくださった方がいたんです」

「介護士さん、なのか?」

「はい。どんな時も笑顔で、本当に、カッコイイ人でした。何度も助けられましたし、祖母も、あの人が来ると、いつも楽しそうでした」

 だから、と駿介は続ける。

 その視線は、空へと向かう。

「だから自分も、誰かを助ける仕事に就きたいと思ったんです。……困っている人や、病気で苦しんでいる人がいたら、そばにいてあげたい。僅かな支えにしかならないかもしれないけど、それでも、味方でいたい――」




「――あの人のように、誰かの笑顔を、守りたいんです」




 駿介は、きらきらと目を輝かせて、言い切った。

 浩司は「そうか」とだけ答えて、コーヒーに口をつけた。


 ――憧れ、か。……それは強いな。


 きっと、駿介の祖母を支えたという介護士さんは、とても立派な方だったのだろう。

 少なくとも、浩司のように『給料が低いから』と介護士を辞めようとしている人間よりは、気高く、カッコイイに違いない。

 理想的な介護士さんを実物で見ているからこそ、駿介の気持ちも、余計に大きいのだ。


 ――……荷が重い、な。


 改めて、思う。

 介護士を夢見て、理想的であろうとする駿介を、たった数年、介護をかじっただけの人間が指導して良いのだろうか。

 駿介のような人間こそ、川瀬主任が指導すべきではないのだろうか。

 今回の脱走事件も防ぐことができなかったし、やはり今からでも、指導担当を変わってもらった方が――

「あー、でも」

「ん?」

 と、駿介が言葉を付け足す。

 相変わらず、視線は空へと向けたまま、こんなことを言う。



「今は、基本的なことをきちんと学びたいです。今、あの人と同じことをやろうとしても、絶対にできないと思うので」



「……そうか」

「はい」

 しっかりと頷く彼を見て、浩司は思う。



 ――まあ、もう少しくらいなら、いいか。



 我ながら、単純である。

「じゃあ、俺は先に戻るぞ」

「分かりました」

 駿介に一声かけて、屋上をあとにする。



「意外と暑かったな……」



 七月も間近である。

 日向ぼっこをするには、気温が高かった。

 肌から汗が噴き出している。



「よし、行くか」



 でも、悪い気はしなかった。



 浩司は汗を拭い、階段を駆け下りる。



「休憩、ありがとうございました!」



 そして、大きな声を出して、仕事を再開した。






                          《第一部・完》

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