目標ー1
澄み切った青空を見上げ、コーヒーを一口。
微かな甘みと、コーヒー独特の苦みが喉を通っていった。
「……勝手に入れるなって何度言えば分かるんだ」
茶色く濁ったコーヒーを見つめ、ぼやく。
冴香がまた、浩司のコーヒーに細工をした。
今回は、ミルクを入れられたところで阻止できたから良かったが、放って置いたら砂糖も入れられていただろう。
彼女は決まり文句のように
「疲れているようだったので、甘いものが良いかなと思いまして」
なんて言ってきたが、どこまでが本音か分からない。
今度、仕返しにめちゃくちゃ苦いコーヒーを出してやろうと心に決める。
――良い天気だな……。
空を見上げ、目を細める。
浩司は今、ふれあい西家二階にある屋上で、一休みしていた。
ちょうど、一階のホール部分が屋上になっている造りであるため、かなりの広さがある。
温かい季節には、御利用者とお茶会なんかもする場所だ。
落下防止用のフェンスにもたれかかり、もう一口、コーヒーを口に含む。
「不味くはない、か」
ミルクだけだから、それほど甘味はない。
一番好きなのはブラックだが、特別、不味いとも思わなかった。
滝野さん脱走事件から、今日でちょうど一週間が経過する。
それぞれが反省し、それぞれが事後処理に追われ、ようやく、気持ちの整理がついて来た。
浩司にとっても『介護』との関わりを考える、良い機会になった。
周囲との温度差や、自分の未熟だった部分を痛感させられた。
一歩間違えば人死にが出ている案件で、『良かった』などとは口が裂けても言えないが、いろんな意味で『勉強になった』ことは間違いなかった。
その中で二つ、消化し切れていないことがある。
一つは、川瀬主任に関してだ。
気になることがあった。
川瀬主任の視野の広さは、言うまでもなく一流だ。
浩司や冴香でも気付かない、微細な変化を誰よりも早く察知している。
そんな川瀬主任が、
駿介の動向に気付かなかったのか?
ということだ。
滝野さんが出て行ってしまったことは、想定外だっただろう。
御利用者の笑顔を第一とする川瀬主任が、そんなことを許すはずがない。
ただ『駿介が西坂さんに付きっ切りになっていること』は気付いていたのではないだろうか。
事件当日はバタバタしていて、そんな考えには至らなかった。浩司だけが駿介の変化に気付いており、注意を払わらなかったから脱走事件が起きてしまった、とも考えた。
しかし、思えば、浩司が謝った時の反応も変だった。
事件集束後、浩司は『申し訳ございませんでした』と謝っただけだった。
なにが、とは言っていない。
だというのに、川瀬主任は瞬時に理解した様子で『次は、期待しているぞ』と返答してきた。
もしも――
もしも、全て理解していた上で、あえて放って置いたのだとしたら……。
理由は一つしかない。
浩司と駿介の『仲違い』だ。
浩司はリスク管理を重要視し、駿介は御利用者本位を重要視していた。
どちらも正解で、どちらも間違いではない。
川瀬主任も把握していただろう。
そこで、どうするか?
滝野の脱走などという、重大事故までは予測できていなかったとしても、二人を中心に、『なにかが起これば』お互いを見直す良いきっかけになるのではないか、と考えたのだとしたら……。
――さすがに、考え過ぎか。
いやいやと首を振る。
いくら川瀬主任でも、そんなリスクのあることはしないだろう。
なにかが起これば、なんて、そんなことを考えるとは思えない。
そういう『見極め』に関しては、それこそ川瀬主任の得意分野のはずだ。
川瀬主任にとっても、予想外の事態が重なったと考えた方が、まだ現実味がある。
そんなことより、もう一つの疑問点の方が、余程、気になる。




