滝野さんⅡー9
「……頭を、あげてください」
暫しの沈黙を経て、お孫さんの唇が動いた。
切れ長の目は、真っ直ぐに駿介を射抜いていた。
「どんなに頭を下げられても、祖母が見つかる保証はありません」
ゆっくりと顔をあげた駿介に、厳しい言葉が投げられる。
「お年寄りの相手をするプロとして、お金をもらい、働いておられるわけですから、今回の件は、どんな理由があろうと許されないことだと思います」
お孫さんの言葉は、全職員に対するものだ。
浩司も、耳を傾けた。
「もし、このまま祖母が見つからず、亡くなるようなことがあったら、私は一生、あなた方を恨むと思います」
「……はい」
「祖母は、あなた方にとっては、ここに来るお年寄りの一人かもしれませんが、私たち家族にとっては、かけがえのない存在なのです。それは理解されていますか?」
「はい」
駿介は、しっかりと頷く。
お孫さんの想いを、言葉だけでなく、全身で受け止めようとしているような、そんな空気があった。
鋭い視線を真っ向から受け止め、一言一句聞き逃すまいと耳だけでなく、体で音を聴いていた。
「本当に、理解されていますか?」
「はい!」
重ねられた質問に、駿介は即答する。
濡れた髪の毛から雨水が滴るが、視線はぶれない。
瞬きすらせずに、お孫さんの目を見つめ返していた。
「…………」
お孫さんはさらに十数秒、駿介の顔を見据える。
駿介の言葉が上っ面だけのものではないか、見定めているようだった。
その胸中に浮かぶのは、怒りか悲しみか、それとも別のなにかか。
「だったら――てください」
ぼそり。
お孫さんの口が動く。
「え?」
聞き直した駿介に、お孫さんの表情が揺れた。
「だったら! 早く探しに行ってください!!」
これまでとは打って変わって、感情に任せた大声が放たれた。
「本当に理解できているのなら、今、すべきことは、私に頭を下げることですか? 違うでしょう!」
お孫さんの瞳には、涙の気配があった。
滝野さんが見つかっていないこの状況下では、謝られたところで、答えようがない。こんなやり取りをしているくらいなら、一分、一秒でも早く、探しに出て欲しい――。
そういうことだろう。
「あの! 本当に申し訳――」
「謝るのは! 祖母を見つけてからにしてください!!」
再度、頭を下げかけた駿介へ、お孫さんは突き放すように言う。
もう、駿介を見てもいなかった。
隣で成り行きを見守っていた大原が、浩司へ目線で合図してくる。
早く駿介を連れて行け、と。
――……こうなるよな。
予想できた展開だった。
話しかけるなとは言わないし、謝るなとも言わない。
お孫さんに本気で謝罪するのは、それだけ、駿介が真剣に向き合っていることの証左だ。事業所職員として、誠意を見せたかったのだろう。
ただ、タイミングが悪い。
冴香はそれが分かっていたから、すぐに飛び出していったのだ。
今、ご家族へかけられる言葉などない。
全ては、滝野さんを見つけてからだ。
「……」
大原の視線を受け、浩司は一歩、踏み出す。
駿介には悪いが、これ以上、なにも言えることはないし、この場に残ってやれることもない。
お孫さんの言う通り、一秒でも早く探しに行くべきだった。
「駿介、行くぞ」
駿介の隣まで行き、軽く肩を掴む。
「…………」
「おい」
それでも動かない彼を、浩司は軽く引っ張る。
もうなにもできることはないのだと、言い聞かせるように「駿介」と名前を呼ぶ。
その、直後だった。
「必ず! 見つけ出します!!」
駿介はまた、がばっと頭を下げた。
無駄だと分かっていながら、早く出て行けと突き放されていながら、それでも駿介は、折れなかった。
全力で、全身全霊で、頭を下げた。
そして、
「では、行ってまいります!」
駿介は顔を上げると、そのまま玄関へ向かう。
早歩き、というより、もはや走っているような速度だった。
「おい!」
浩司は慌てて、彼を追いかけようとして。
そこで、気付く。
「……よろしく、お願いしますっ」
視界の端に映ったお孫さんが、目頭をぬぐっていた。
でも確かに、自分たちへ『お願いします』と口にしていた。
――……っ!
浩司は踵を返し、駿介を追いかける。
『一生恨みます』という言葉も、嘘偽りない、心からの言葉だろう。
恨まれて当然の失態を犯しているのだ。
病気でも、事故でもない、単なる『職員の連携ミス』が原因なのだから。
もし、そんなことで自分の大切な家族が失われたとしたら――。
考えるだけでも、胸が痛くなる。
そんな中で出た、『お願いします』の一言。
その重みを、感じないわけにはいかなかった。
「……くそっ!」
浩司は、その重みから逃げるように、事業所を飛び出した。




