滝野さんⅡー8
「行ってきます!」
冴香は誰よりも早く準備を整え、外へ飛び出していった。
ペアとなった職員は、慌てて冴香のあとを追う。
一応、「気をつけろよ!」と声をかけたが、耳に届いていたかは分からない。
一切振り返らず、前へと突き進んでいった。
そして、もう一人。
「コージさん」
冴香と同じか、それ以上の熱量を持つ男は、浩司よりも数倍早く、準備を終えていた。
防寒具を着込む浩司へ、声をかけてくる。
「コージさん、少し、待っていていただけますか?」
「ん? 別にいいけど?」
「すみません。すぐに戻ります」
それだけ言うと、駿介は浩司のもとを離れる。
「……?」
一刻も早く捜索に出たいはずなのに、一体なんの用事があるのだろうか。
手は休めず、目だけで彼の背を追うと、行先が分かる。
彼は、お孫さんのもとへと向かっていった。
――なんの用だ……?
話しかけるな、とは言わない。
騒動を起こしてしまった当事者として、言いたいことがあるのだろう。
けれど、今、このタイミングで話しかけるのはリスクもある。
お孫さんは、話し合いの最中から、徹頭徹尾、硬い表情を崩していなかった。眉間にしわを寄せ、真剣な眼差しで職員や警察の話を聞いていた。
はっきり言って、ふれあい西家への信頼は地に落ちたと言っても良い。
ご家族からすれば、ふれあい西家は『お金を払ってでも、自分たちの代わりを務めて欲しい』と、信頼して預けた場所なのだ。
そんな場所で、行方が分からなくなったとなれば、怒って当たり前――どころか、裁判沙汰にもなりかねない。
それほどデリケートな状況だと、駿介は分かっているのだろうか。
浩司は固唾をのむ。
お孫さんは、お風呂場前のスペースで、大原と話していた。
その顔は険しく、やはり怒っているように見える。
ご家族と直接関わる立場である大原に対し、どんなことを話しているのか。
想像しただけでも胃が痛くなる。
「あの、すみません」
そこへ、駿介は割って入る。
全く、躊躇がなかった。
「え?」
「どうしましたか?」
突然話しかけられた二人は、戸惑った様子を見せたが、駿介のただならぬ気配を察したのか、居ずまいを正す。
さらに数度、言葉を交わし、お孫さんが「なんでしょうか?」と駿介へ問いかける。
すると、彼は一歩下がり、大きく息を吸い込んで、
「この度は、本当に申し訳ございませんでした!!」
深々と、頭を下げた。
ただでさえ声の大きい駿介が、限界まで声を振り絞った。
フロアどころか玄関まで声が届き、御利用者、職員、他、集まっていた全ての者が目を向けた。
「……っ!」
駿介は、それ以上なにも言わなかった。
上司や先輩、地域の方々や警察までもが視線を送る中、駿介は頭を下げ続けた。
言い訳しようと思えば、いくらでもできただろう。
滝野さんがいなくなった時、駿介は、気が緩んでいたわけでも、やらなくて良いことをしていたわけでもない。他の御利用者の対応をしていたのだ。
言い訳できる余地はある。
それも、入社三ヶ月の新人だ。お世辞にも、一人前とは言えないだろう。
他の職員もいたのだ。
コミュニケーションの悪さで駿介が原因となっているが……例えば、川瀬主任が料理をしながらでも、フロアに気を配っていれば変わっていたかもしれないし、冴香が、排泄介助をもっと早く終わらせて、フロアに戻っていれば、違っていたかもしれない――。
○○ならば――。
××だったら――。
自分はまだ○○だから――。
自分は××をしていたから――。
そんな風に考えれば、いくらでも言い訳はできたはずだった。
けれど駿介は、そんな言葉を口にしなかった。
謝罪の言葉を口にし、ただただ頭を下げ続けた。




