滝野さんⅡー6
「彩峰さん、お疲れ様です」
と、浩司の方にも出迎えがある。
事業所内へと歩を進めると、見慣れたポニーテールが近づいてくる。
「おい、お前もか」
「あはは~」
「あははじゃねーよ」
突っ込んでしまったのは、冴香も駿介と同じような状態だったからだ。
肌は湿り気を帯び、髪の毛はお風呂あがりかと思うほど濡れていた。
ユニフォームは着替えたようだが、それでも不自然だった。
「……大丈夫か?」
心配になる。
今回の一件、一番の原因は駿介としても、冴香も、フロアを離れる際、川瀬主任へ声をかけていれば……と思う。
勤務年数や当時の状況を考えれば、責任を負わされるのは冴香かもしれないのだ。
「駿介から、だいたいのことは聞いたぞ?」
浩司ははぐらかされないよう、重ねて言う。
長い付き合いだ。
あまり考え込まない彼女が、こんな有様になっている時点で、普段とは違うことくらい分かる。
「えーっと……」
冴香も誤魔化しきれないと悟ったようだった。
軽口を叩いていた顔から、笑みが消える。
そして――
「まー……。まずは、滝野さんを見つけてからにしましょう」
彼女はそう言った。
その目には、駿介と同じ光が宿っている。
なにがなんでも探し出す。
それ以外のことは、今はどうでもいい。
そんな表情をしていた。
「分かった」
浩司は頷き、それ以上追求しなかった。
冴香とは、長い付き合いだ。
だから分かる。
普段の愛らしい立ち振る舞いから、勘違いしてしまうことも多いが、彼女も駿介と同じ側の人間だ。
駿介ほど情熱的ではないし、職員としての立場も弁えている。
空気を読む力に長けているから、いつも浩司の意見を尊重してくれる。
でも、いつだったか、彼女が言っていた言葉を覚えている。
「私、利用者からの『ありがとう』で、結構、頑張れちゃうタイプの人間なんですよ」
冴香は、そう言っていた。
御利用者の『ありがとう』で頑張ることができる。
介護士の資質として、それ以上のものはない。
大丈夫か、なんて問いかけは、愚問だったかもしれない。
「職員、集合!」
フロアの方から声が飛んできた。
川瀬主任の野太い声だ。
浩司と駿介が帰って来たことを察知しての招集だろう。
玄関先で美智子さんと話していた駿介を呼び戻し、フロアへと向かう。
「硯さんだけかと思えば……お前もか。風邪引くなよ」
駿介の姿を見た川瀬主任は、浩司と同じような反応をした。
「そういう反応になるよな」
「ですよね」
冴香と顔を見合わせ、笑ってしまう。
一瞬、和やかな空気が流れるが、
「……っ」
お風呂場前のスペースから、戻ってきた浩司たちを見つめる視線があった。
真っ先に目を奪われたのは、濃紺の制服を着た警官だ。
怒っているわけではないのだろうが、厳しい顔つきでこちらを見ていた。
日常生活において、警官と関わる機会などそうそうない。
『目の前に警官がいる』。
その事実だけで、緊張感が半端ではない。
「えっと……?」
警官意外に、もう一人、目を引かれる人物がいた。
見たことはある、と、思う。
吊り上がった眉毛に、切れ長の目。真っ黒のスーツが良く似合っている。
女性ながら、凛とした佇まいが印象的だ。
――何度か見た記憶はあるんだけど……。
誰だったかな、と頭を悩ませていると、
「滝野さんのお孫さんですよ」
小声で、冴香が教えてくれる。
思い出す。
あの女性は、滝野さんの送迎時、主介護者である息子さんの脇で、いつも職員を出迎えてくださっている方だ。
基本的に、言葉を交わすのは息子さんであるため、すぐに思い出せなかった。
「息子さんは?」
「仕事場からこちらへ向かっているそうですけど、まだ着いていませんね」
そんな会話をしつつ、お風呂場前に集まっていた職員の輪に加わる。
本来休日であった職員も、既にユニフォームへ着替えており、準備は整っているようだった。




