滝野さんⅡー4
◆◇◆
応急処置として、助手席には大判のタオルを敷いたが、それでも間に合わなかった。
「これ、どうすんだよ……」
雨水をたっぷりと吸収した助手席を見つめ、浩司は嘆息する。
事業所に帰ったら怒られるだろうな、なんて思う。
「……」
ガラス越しに、後輩が必死に頭を下げている姿を眺める。
道すがら、どういう状況で離園したのか、駿介から説明を受けた。
和田管理者には「考えるな」と言われたが、聞かずにはいられなかった。
――アイツが悪いのは確かだけどな。
ハンドルに置いた手に力がこもる。
離園時の状況を聞く限り、最も責任を負うべきは駿介だ。
浩司は幾度となく「なにかあったらすぐに先輩を呼べ」、「声をかけろ」と教えてきた。
川瀬主任か冴香に、一言、声をかけていればそれで済んだ話なのだ。
それをしなかったから、こんな大事になった。
庇う気はないし、腹も立った。
ただ、
――……よくあれだけ動けるものだよな。
それを踏まえた上で、駿介のことを見直していた。
駿介自身、反省も後悔もしているだろう。
人の命がかかっているのだ。必死にもなる。
それは理解しているけれど――
「戻りました!」
大きな声を出し、駿介は助手席に腰を下ろす。
シートベルトをつけた次の瞬間から、既に前を向いている。
周囲へと視線を巡らせ、誰であろうと見逃すまいと、注意深く観察している。
事業所を出てから、雨に打たれ、声を張り上げ、動き続けているというのに、疲れた様子は微塵も見せない。
脅威的な体力、精神力と言って良かった。
「コージさん、車、出してください!」
「おう」
促され、車を発進させる。
雨の勢いは相変わらずだ。
少しスピードを出すと、およそ雨が当たっているとは思えない、激しい音が車内に響き渡る。
「……はあ」
駿介は、手に息を吹きかけていた。
雨に打たれ、体温を奪われているのだろう。
体中から水滴が滴り落ちている。
最初の一度以外は、外に出る前に引きとめ、傘を持たせていたが、ほとんど意味をなしていなかった。
――俺には、無理だ。
心の底から、そう思う。
例え、駿介と同じ立場になったとしても、こんな風に行動できる自信はなかった。
探すとしても、車の中から外を見て回る程度だ。
道行く知らない人に声をかけ、自分の体調を顧みず、ひたすら行動し続けるなど、できる気がしなかった。
思えば、ずっとそうだった。
出会った時から、駿介は『介護』への意識が異様に高かった。
情熱的でモチベーションが高く、認知症の御利用者に対しても、常に笑顔で接していた。
誰よりも熱心に御利用者と向き合い、どんな時でも全力だった。
それが全てとは言わない。
全力であれば、なにをしても許されるわけではない。
リスク管理ができていないから、今回のようなことが起こる。
新人として、社会人として、学ぶべきところは学んでもらわなければ困る。
ただ、それはそれとして。
駿介の、介護への強い想いは認めるべきだった。
「……」
「……」
沈黙が流れる。
なんとなく居心地が悪くなり、浩司は口を開いた。
「見つからないな」
「そうですね……」
捜索を開始してから、三十分ほどが経過している。
ふれあい西家の近辺は、ほぼ捜索を終えていた。
細い道も、大通りも、くまなく探している。
「見落としている可能性はありますかね?」
「なくはないと思うけど……」
浩司は想像を巡らせる。
雨のせいで、視界が悪いのだ。
誰も立ち寄らないような場所で雨宿りでもされていたら、探し出すのは困難を極める。
――だとしても、目撃情報すらないっているのは……?
首を捻る。
駿介がこれほどずぶ濡れになって、道行く人に尋ねて回っているのに、手掛かりがないのだ。
さすがに不自然ではないだろうか。
まあもっとも、雨のせいで人通り自体が減っているため、なんとも言えない部分はあるのだが――
「ん?」
ピピと、スマホの着信音が鳴った。
車を停車させ、ハザードランプを点ける。
ポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
川瀬主任からだった。
「もしもし、彩峰です」
〈コージか? 滝野さん、見つかったか?〉
「いえ、駿介があちこち聞いて回ってくれていますが、目撃情報すらありません」
〈そうか。他も同じような状況らしい。手がかりが全くない〉
「そうですか……」
十五分ほど前にも、川瀬主任から連絡が来ていた。
その時、休みの職員にも緊急召集をかけたことや、自治体や警察にも連絡を入れたことを伝えられた。
捜索範囲も、捜索人数も大幅に増えているはずだった。
それでも、見つけられないということらしい。
一体、どこに行ったというのか。
「ふれあい西家近辺は、ほぼ回り切りましたけど……もう少し範囲を広げましょうか?」
〈いや、一度、事業所に戻ってきてもらって良いか? 現在の情報をまとめたい〉
「分かりました。すぐ戻ります」
〈よろしく頼む〉
ブツっと、通話が途切れる。
川瀬主任にしては珍しく、通話越しでも、焦っていることが伝わって来た。
――そりゃそうだよな……。
それほど、切羽詰まった状況なのだ。
離園が発覚してから三十分以上――。もし、ずっと外にいるのなら、雨に打たれ続けていることになる。
元気な若者ですら体温を奪われ、体が冷えているのに、それがお年寄りならどうなるか。
転倒とか事故とか、それ以上に、危険な状態と言って良い。
「……」
浩司はスマホをポケットにしまう。
離園時、現場にいなかった浩司は、時間が経つにつれて、他人事のように感じ出していた。滝野さんの命がかかっていると、頭では理解していても、どこか緊張感に欠ける。
「あの、川瀬主任はなんと?」
「ん、ああ」
隣に座る駿介は、頬が紅潮している。
大きな体には、まだまだエネルギーが滾っているようだった。
「川瀬主任から、一度、事業所に戻れっていう指示がきた」
「分かりました! では一刻も早く、戻りましょう!」
事業所へ戻れという指示が出ただけだというのに、駿介は変わらず、大きな声で返事をしてくる。
浩司は「そうだな」と曖昧に答えて、車を発進させた。




