滝野さんⅡー3
「え? なんで?」
浩司が驚くのも無理はない。
明らかに滝野さんではなかった。
全身、紺色のスーツに身を包んだ男性だった。
営業かなにかでこの辺りを回っているのか、片手に傘を持ち、もう片方の手には透明なファイルを携えていた。
「お願いします!」
駿介は、浩司に頼み込む。
妙案があるわけではなかった。
ただ、必死だった。
「別にいいけど……?」
戸惑いながらも、浩司は路肩に車を止めてくれる。
停車を待ち、
「すぐ、戻ります!」
駿介は傘も持たずに助手席から飛び出した。
「おい!?」
背後から浩司の声が聞こえたが、無視した。
停車するまでの間にも、男性と距離が離れてしまっている。
少しでも目を離したら、見失ってしまうかもしれない。
「――っ!」
外に出た瞬間、顔面に雨粒が降り注ぐ。
これでは、ろくに前も見えない。
手と腕を使い、なんとか目に入るのだけは阻止するが、それが精一杯だ。
――なんでこんな日に……っ!
実際に外に出てみて、改めて思う。
滝野さんは、どうして外に出たのだろうか。
晴れた日ならまだ分かる。外に出て散歩でもしたくなるだろう。
でも、こんな大雨の日に外に出て、一体なにをするというのか。
――いや、そんなことはどうでもいい!
思考を止め、前を見据える。
どうしてとかなんでとか、そんなことはあとからいくらでも考えられる。
そんなことより、探し出す方が優先だ。
「すみません!」
駿介は顔面を拭い、目的の人物へと近づく。
ほんの十数秒で、全身びしょ濡れだった。
「あの! すみません!」
大声を張り上げるが、雨音で声がかき消される。
さらにもう一歩、距離を詰めて「すみません!」と声をかけ、ようやく、気付いてもらうことができた。
「はい? え、大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
「いやでも――」
「大丈夫です!!」
駿介は歯を食いしばり、大丈夫だと言い張る。
「あの! 突然申し訳ないのですが、真っ黒な髪で、背筋の伸びた、小柄なおばあちゃんを見かけませんでしたか?」
「え? おばあちゃん?」
「そうです!」
「ええと……?」
男性は面食らった様子だった。
駿介の出で立ちを見て、訝し気な表情になる。
――そりゃ、そうだろうな。
逆の立場だったら、駿介だって困惑するだろう。
大雨の中、傘もささずに、びしょ濡れの男が「おばあちゃんを見かけませんでしたか?」と声をかけてくるのだ。
間違いなく、警戒する。
不審者だと勘違いされてもおかしくない。
「いえ、見ていませんが……」
それでも、男性は答えてくれた。
必死さが伝わったのか、なにかあったのではないかと察してくれたのか。
どちらでも良かった。
今は、どんなに些細な情報でも欲しいのだ。
この男性が歩いているこの近辺にはいないということが分かっただけでも十分だ。
「ありがとうございます!」
駿介は勢いよく頭を下げ、踵を返す。
浩司が待つ車へ、駆け足で戻る。
「あ、あのっ!?」
男性はなにか喋ろうとしていたようだったが、振り返らなかった。
こうしている間にも、滝野さんがどこかで転倒したり、事故に巻き込まれたりしているかもしれないのだ。
一分一秒が惜しかった。
「すみません、急にとめてしまって」
「いや、それは良いけど……」
車に戻り、駿介は「あの人は知らないみたいでした」と報告する。
運転席で待っていた浩司は、呆気にとられた顔で「そうか」と頷く。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。……行くか」
「はい、お願いします!」
車が発進すると、頭から水が垂れて来た。
それは雫となり、ユニフォームへと落ちる。
「……」
改めて確認すると、シャツもパンツも、水をたっぷり吸いこみ、色が変わっていた。
肌にべったりと張り付き、気持ち悪い。
今すぐにでも着替えたかった。
「――あっ、止めてください!」
でも。そんなことはどうでも良かった。
何度濡れることになってもかまわない。
駿介は人を見つけるたび、車から飛び出し、尋ねて回った。




