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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第五章:ドアを開ける男
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ドアを開ける男ー10

     ◆◇◆



「あっ」

 ボールペンが手から滑り落ちる。

 カシャンと小さな音が鳴った。


 ――面倒くさい……。


 地に落ちたそれを、浩司はじっと見つめる。

 誰か自分の代わりに拾ってくれないかな、なんて思う。

「……」

 当然、拾ってくれる人など現れるわけもなく。

「……はあ」

 結局、自分で拾うことになる。


 三日前、駿介と言い争いをしてから、どうにも調子が悪かった。


 モチベーションが上がらない、と言い換えても良い。

 ため息と愚痴ばかりが口をつく。

 心の半分以上が灰色に染められ、その色が一向に変わらない。

 それこそ、ボールペンを拾うというなんでもないことですら、面倒だと感じてしまうほど、嫌気がさしていた。



「西坂さん! そろそろご飯になりますよ!」



 駿介は普段通り、元気いっぱいだった。

 浩司とは対照的に、明るい声を張り上げている。


「西坂さん! そろそろ見回りは終わりにしませんか?」


 あの日から、駿介は西坂さんに付きっ切りになっている。

 よくもまあと思うほど、声のかけ方を変えたり、接し方そのものを見直したり、根気よく付き合っている。

 重度の認知症である西坂さんからも顔を覚えられたようで、その精神力には感心する。


 ――でも、今して欲しいことはそれじゃないんだよな。


 浩司はボールペンを拾い、駿介へぼんやりと視線を送る。

 時刻はお昼時。

 忙しくなる時間だ。

 昼食作りや定時のトイレ誘導など、やらなければならない業務は多くある。

 駿介はここ数日間、西坂さんばかりを気にかけ、他の業務が疎かになっていた。


 ――まーいいや。


 駿介に抱いた不満をため息とともに吐き出す。

 あの日、カンファレンスを行った結果、西坂さんが立ち上がった際は、必ず職員が一人、付き添うことが決定された。

 そこには、声のかけ方や、接し方についても、実際に行いつつ検討していくことが含まれている。

 個人的に言いたいことはあったが、駿介のしていることはカンファレンス通りで、間違いではない。

「主任、昼食作り、お願いしてもいいですか?」

「了解。もう作り始めていいか?」

「お願いします」

 本来であれば、川瀬主任にフロアの管理を任せ、駿介にご飯を作ってもらいたいところだったが、わざわざ声をかけるのも面倒だった。

 川瀬主任に昼食作りをお願いし、続いて冴香へと声をかける。

「先に休憩入ってきていいか?」

「いいですよ。フロアは私と護人さんで見ていますね」

「頼む」

 話が早くて助かる。

 本日、浩司はフロアリーダーだ。

 その日の状況にもよるが、フロアリーダーは昼食前後に休憩をもらうことが多い。

 今現在、川瀬主任が昼食を作り、西坂さんは駿介が、他の御利用者は冴香が対応できる状況が整っている。

 浩司が抜けても問題なさそうだった。

「主任、先に休憩入りますね」

「はいよ。お疲れ」

 川瀬主任にも一言、声をかけ、浩司は休憩室へと向かう。

 重たい足を動かし、階段を上り切る。

 と、


「うおっ」


 思わず、声が出てしまう。

 二階廊下の窓越しに、外の景色が見えた。

「凄い雨だな」

 今日は、朝から天気が悪いとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。

 普段なら見通せる山々も、綺麗な田園風景も、何も見えなかった。

 視界が悪くなるほどの土砂降りの雨が降っていた。

「帰るまでに止めば良いけど……」

 願望を口に出してみたものの――空を眺める限り、望みは薄そうだった。

 浩司は余計に沈んだ気分になりつつ、休憩室へ向かう。


 ――メシ食って、寝るか。


 休憩室に入って十秒でそう決意する。

 ストレスが溜まる一方なのだ。

 起きていても、鬱々とした考えしか浮かばなそうだった。

 十分ほどで昼食を食べあげ、浩司は座布団を丸める。

 肉体的にも精神的にも、疲れていた。

「…………」

 丸めた座布団に頭をついた五分後には、夢の国へと旅立っていた。



     ◆



 ……。



 …………。



 プー、プー、プー



 どのくらい時間が経っただろうか。

「……ん?」

 なにか、音が聞こえた。

 休憩室に備え付けてある電話機からだった。

 どこかから、内線がかかってきているようだ。

 時計を見上げると、休憩時間終了まで、まだ時間がある。

「……なんだよ」

 せっかく気持ち良く寝ていたというのに、台無しだった。

 少し苛々しつつ、浩司は受話器を取る。

「はい、休憩室――」


〈コージさん!〉


 びっくりした。

 受話器を取った瞬間、耳元で大きな声が響いた。

 鼓膜が破れるかと思った。

「うるさいな」

 電話の向こうにいるのは駿介だ。

 なんだか焦っているようだったが、フロアには川瀬主任もいるのだ。

 浩司が出る幕などないだろう。

 一応、「どうした?」と聞き返す。

 すると――



〈滝野さんが、いなくなりました!!〉



 そんな、耳を疑うような言葉が聞こえてきて。



 浩司は、休憩室を飛び出した。

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