滝野さんー3
「えっと……」
しかし、これまでハキハキと答えてきた駿介が、初めて詰まった。
目線を宙へ向け、応える言葉を悩んでいるようだった。
――分かるけど。減点、だな。
認知症を持つ人に対して、はっきりしない態度を取ることは、大きなマイナスとなる。
事実、返答に詰まる駿介を見て、滝野さんの表情が変わる。
滝野さんにしてみれば、旦那がどこにいるのか尋ねただけだ。
分からないなら分からないでいい。知っているなら居場所を教えてくれれば良いだけだ。
だというのに、目の前にいる男は返答に詰まり、目線を外した。
これでは、『知っているのに、なにか理由があって隠している』ように見える。
このあと、どんな言葉を紡いでも不信感が残ってしまう。
「あの……?」
滝野さんは眉をひそめ、駿介に回答を促す。
一方の駿介はというと、早く答えなければならないのは理解しているらしく、なにか答えなければと焦っているようだった。
右手を首の後ろにやり、首を捻った。
――さらに減点だ。
駿介には悪いが、厳しく採点させてもらう。
駿介のように体が大きく、頼りになりそうな男性職員がおどおどしていては、滝野さんだけでなく、その様子を見ている周囲の御利用者にとってもよろしくない。「なにかあったのか?」と注目が集まってしまう。
認知症の人はただでさえ、できていたことができなくなり、不安を抱えながら生活しているのだ。支える側の人間がそんな態度では、お手伝いをするどころか、不安を増長させるだけだ。
「滝野さ――」
ちょっとマズイかな、と浩司は腰を浮かせかける。が、その瞬間、浩司よりもひと際大きな声で、駿介が口を開いた。
「滝野さん、旦那さんは亡くなりましたよ!」
「……」
「……」
時が、止まった。
滝野さんはポカンとした表情で静止し、浩司は腰を浮かせた姿勢のまま、硬直した。
当の駿介も、良い解答ではないと悟っているようで、引きつった笑顔を浮かべたまま、停止した。
「は?」
真っ先に反応したのは滝野さんだ。
「あなた、ふざけているんですか?」
眉間にしわが寄る。
滝野さんは、小柄だが痩せているわけではない。睨まれ、体を寄せられると圧迫感がある。
駿介に対し、明らかな敵意を向けていた。
「あなたね、冗談でもそんなこと言って良いと思ってるの? 人の旦那が死んだなんて、よくそんなこと言えるわね」
滝野さんは荒々しい口調でまくしたてる。
駿介は「そんなつもりでは」と手を左右に振り、なんとか弁解の機会を伺うが、滝野さんの圧力はそれ以上だ。
「そんなつもりじゃないって、じゃあどういうつもりなんですか? 人の旦那が死んだなんて、そんなこと、どんなつもりで言ったんですか? 聞かせてください」
「あ、いえ、その……」
結局、しどろもどろになり返答に窮する。
駿介は前のめりになる滝野さんに圧されて、後ろに手をついた。
「限界か」
もともと、割って入るつもりだったのだ。
浩司は今度こそ、腰をあげた。
「護人さん、チェンジ」
駿介の背後へ回り、ポンポンと肩を叩く。
興奮している御利用者の相手は、さすがに荷が重いだろう。
「……すみません」
肩を落とす駿介と場所を入れ替わり、浩司が対応する。
「なんですか、あなたは」
鋭い視線を向けられる。
眉毛が吊り上がり、口はへの字に曲がっている。
誰がどう見ても、怒り心頭、という表情である。
「どうされましたか?」
浩司は動じない。
駿介と同じく、床に膝を付き、視線を合わせる。
睨みつけられ、体を寄せられても、一歩も引かなかった。
この程度のこと、日常茶飯事だ。
怒られたくらいでひるんでいては、介護士は務まらない。
「その男がね、失礼なことを言うんですよ!」
「そうでしたか、申し訳ございません」
素直に頭を下げる。
嘘っぽくならないよう、ゆっくりと、自然に。
滝野さんは止まらない。
唾が飛んできそうな勢いで、浩司の頭に言葉を浴びせる。
「あなたたち、どういう神経をしているの? 平気な顔して、失礼なことを言って。私がなにをしたっていうんですか! こんなことを言うのも失礼かもしれませんがね」
一息ついて。
「あなたたち、頭がおかしいんじゃないの?」
滝野さんは躊躇せず、怒りに任せてそんな言葉を口にした。




