ドアを開ける男ー3
「関係ありますよ。西坂さんは自分が用を足している時に、全く知らない人に見られても、何も気にしないんですか?」
「うるさい! どけ!!」
「どきません。何度でも言いますが、ここは今、女性の方が使っているんです。他の場所ならいくらでも開けてくださって構いませんが、ここだけはやめてください」
声をかけている間にも、西坂さんの表情はどんどん険しくなっていく。
隣で冴香も「あっちならいくらでも良いですよ」、「一緒に行きませんか?」と優しく声をかけるが、西坂さんの眉毛は吊り上がったままだ。
「西坂さん! こちらへどうぞ!」
フロアに残っていた駿介も気を利かせて、遠くから呼びかけてくれる。
意外と、全く別の人間が呼ぶと反応して離れてくれる御利用者も多いのだが――
「……」
西坂さんは、動かない。
駿介の声には一ミリも反応を示さず、浩司の肩越しに、ドアを見つめ続けている。
これでは、拉致があかない。
トイレの中にいる木澤さんも、事態には気付いているはずだ。
気が気じゃないだろう。
――少し強引にでも、引き離すしかないか?
ドアを開けて中を見せるわけにもいかず、だからと言って、このまま声をかけ続けても動く気配がない。
木澤さんをお風呂に入れる時のように、多少強引にでも、ドアの前から引きはがすしかなさそうだった。
「西坂さん、見回りなら、向こうに行きましょう?」
冴香も同じ結論に至ったらしい。
声をかけながら、西坂さんの手を握る。
そして、軽く後ろへ引っ張った。
直後――
「どいてろ! 邪魔だ!!」
「――っ!」
「ちょっ!」
叫ぶ間も、止める間もなかった。
西坂さんは、冴香の手を振り払い、その上、冴香の胸部を殴打して転倒させた。
文字通り、殴り飛ばされた冴香は、床に倒れ込んでゲホゲホとむせ込む。
振り上げられた西坂さんの拳は、太い指と筋肉に覆われ、女性である冴香が対抗できる大きさではなかった。
「硯さ――」
「大丈夫です!」
思わず駆け寄ろうとして、冴香本人に制止される。
殴打された胸部を片手でさすりつつ、気丈にも、笑顔を見せてくる。
「……ふん」
殴った張本人は、鼻を鳴らすのみで、謝罪の言葉もない。
だから言っただろう? と言わんばかりの不遜な態度だった。
――コイツっ!
頭に血が上る。
介護士生活も五年目となれば、殴られる、蹴られる、爪を立てられる、唾を飛ばされる、暴言を吐かれる――。
そんなことが往々にして起こりうるのだと、重々理解している。
だが、状況次第だ。
介護士側が、嫌がることを無理強いして殴られるのであれば、仕方ないと思える。
こういうこともあるのだと感情を抑えることができる。
では、今はどうだっただろうか。
西坂さんの意思に沿うことはできていなかっただろうし、怒らせるような声かけだったかもしれない。手を引いて、移動させようとしたのも悪かったかもしれない。
それでも、殴られるほどのことだっただろうか。
『殴られて当たり前』というような、そんな態度を取られるようなことだろうか。
介護士だって、人間だ。




