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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第五章:ドアを開ける男
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ドアを開ける男ー2

 ――くそ。面倒だな……。


 浩司は胸の内で毒づく。

 介護のジレンマと言っても良かった。

 『繰り返し同じことをする』、『他の人の迷惑になっていても危険性はない』、『物品が壊される恐れも、誰かが傷つく可能性もない』――。

 こういった場合、職員が対応するしかないのだ。


 が、今の介護現場では、その職員が足りていない。


 現在、冴香が付き添う形になっているが、その分、フロアが手薄になっている。

 フロアには、浩司と駿介の二人きりだ。

 もしここで、二人介助を必要とする車イスの御利用者が「横になりたい」と希望すると、


 フロアを見ている職員がいなくなる。


 冴香を呼び戻さざるを得ない。

 結果として、西坂さんを放って置くしかなくなる。

 駿介が「ずっと付き添っているわけにもいかない」と口にしたのは、そういう理由だ。


「あ。マズイ」


 浩司は腰を浮かせる。

 西坂さんが浴室脇のトイレへ向かっていた。

 そこを開けられるのは、非常によろしくない。

「西坂さん、そこは今、人が入っていますので!」

 冴香も気付いているらしく、すぐ止めに入るが、西坂さんは構わず手を伸ばそうとする。


 そこは、つい先ほど木澤さんが入室したばかりのトイレだ。


 自分が嫌なこととなれば、手が出るのは木澤さんも変わらない。

 他の御利用者ならまだしも、木澤さんが入っているトイレを開けさせるわけにはいかない。


 木澤さんと西坂さんがぶつかったらどうなるか……?


 考えたくもなかった。

 浩司は開けられる前にダッシュで駆け付け、西坂さんを制止する。

「西坂さん! そこはトイレですよ。さっき、女性の方が入ったばかりですので、今は開けないでください!」

「……」

 強めの口調で注意するが、西坂さんに言葉はない。

 ぎろりと細い目を向けてくる。

 なんか文句あるのか若造――。そんな言葉が聞こえてきそうだった。

「西坂さん、私たち職員もきちんと見て回っていますので、心配しないでください!」

 冴香も続けて声をかけるが、


「……」


 無言。

 西坂さんは冴香の方にもちらりと視線をやるが、それ以上の反応はない。

 一瞬でドアの方へと視線を戻してしまう。

 八十代とは思えぬ太い指に力を入れ、そのまま――


「ストップ!!」


 開きかけたドアを、浩司は横から、強制的に閉じた。

 バン、と大きな音が鳴ってしまったが、不可抗力だ。

 用を足しているところを、見知らぬ男性に覗かれるなんて、男からしても強烈な不快感がある。女性なら尚更だろう。

 認知症があるとか、そんな理由で許していたら、全てのことが『仕方ない』で済まされることになる。

 浩司は西坂さんとドアの隙間に、体をねじ込み、ドアから指を引きはがす。

 絶対に開けさせないぞ、と強い意思を示した。


 しかし――


「なんのつもりだ!! どけっ!!」 


 西坂さんは怒り声をあげ、一歩も引かぬ姿勢を見せて来る。

 予測できた反応ではあったが、迫力の方は予想以上だった。

 西坂さんは、背筋が曲がってなお、浩司と同程度の身長がある。

 憤怒の表情で睨みつけられ、怒鳴られると、想像していた以上の圧力がある。


 端的に言って、怖い。


「どけません」

 浩司は静かに答える。

 怖い、が、そんなことで引き下がっていては、介護職員など務まらない。

 浩司も強い視線で応じる。

 眉に力を込め、真正面から向かい合う。

「西坂さん、もう一度言いますが、今、このトイレは女性の方が入っていますので、開けないでください」

 言い聞かせるように、一つ一つ、言葉を区切ってはっきりと伝える。

 職員が注意すると、「知らなかった」とか、「聞こえなかった」とか、年寄りであることを盾にして、テキトーなことを言い出す御利用者は多くいる。

 そんな言い訳はさせない。

 浩司は重ねて声をかける。

「西坂さんは、自分がトイレをしている時、他の人に覗かれたら、どうですか? 嫌じゃないですか?」

「……」

「ドアを開けるなとは言いませんが、ここは今、女性の方が入っているので――」



「うるさい!! そんなこと関係ねえだろ!!」



 怒鳴り声がフロア全体に響き渡る。

 女性とは違う、野太く低い声だ。

 周囲を威圧するこういう声は、他の御利用者にも大きな影響を与えてしまう。できることなら口を塞いで強制連行したいが、そうするわけにもいかない。

 浩司は根気よく、説明を続けた。


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