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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第一章:滝野さん
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滝野さんー2

     ◆



 ふれあい西家の間取りを大雑把に説明するなら、正方形と、ひっくり返した『L』がくっついているような形をしている。上空からは、数字の『9』に見えるらしい。

 正方形部分が大広間――所謂、『フロア』と呼ばれる場所になっている。

 フロアの左下部分には八畳程の畳スペースがあり、他の部分はフローリングとなっている。右側のフローリングスペースには長方形型のテーブルが二つ置いてある。

 各々、畳でもテーブルでも、好きな場所で過ごせる設計となっている。

 その、フローリング側、テーブル席にて。

「凄いな」

 浩司は感嘆の息を漏らす。

 書類整理をする傍ら、畳場へ視線を送っていた。

 駿介は畳場で、御利用者の一人である、木澤きざわえい子さんとコミュニケーションを取っていた。

 木澤さんは真っ白な髪の毛をヘアピンで止め、駿介との会話に花を咲かせていた。

「お前さん、どこに住んでいるんだね?」

 と、木澤さん。

 駿介はテンポよく「市内ですよ」と答える。

 木澤さんは続けて、いくつか質問を投げかける。

「ほー、そうか、じゃあここまで来るのに結構かかるでしょ?」

「車で三十分くらいですね」

「朝早い日なんか大変でしょ?」

「はい。今日も六時過ぎには起きましたね」

「ほー、そっかそっか。ご苦労様だね」

「いえいえ。仕事ですからね」

「あー、そりゃそうだね」

 ははは、と笑い合って、会話が一段落する。

 数秒後、木澤さんは首を傾げ、


「お前さん、どこに住んでるんだね?」


 また、尋ねる。

 駿介はやはり、「市内ですよ」と答える。

 そしてやはり、木澤さんは続けて質問する。

「そうか、ここまで来るのに結構かかるでしょ?」

「ええ、三十分くらいですね」

「ほー、大変だね。じゃあ――」

 以下略、である。

 木澤さんは大のお話し好きで、とても気さくな方なのだが、重度の認知症を患っている。

 同じ言葉、質問を繰り返すのはもちろんのこと、とにかく自分の聞きたいこと喋り続けるのだ。

「お前さん、どこに住んでるんだね?」

「市内です」

「ほー、毎日、ここまで来るのに結構かかるでしょ?」

「そうですね、三十分くらいはかかりますよ」

 無限に繰り返されるこのやり取りは、プロの介護士であっても、相当なストレスとなる。

 精神という柱をひたすら、やすりで削られていくかのような不快感があるのだ。

 介護士五年目となる浩司も、特別な理由でもなければ、絶対にやろうと思わない。

 だというのに――。

「お前さん、家はどこだね?」

「私は今、市内に住んでますよ」

「ほー、ここへ来るまで、何分くらいかかるのかね?」

「だいたい三十分くらいです」

 いつまで経っても、駿介の言葉に不純物は入らない。

 明朗快活に答え続けていた。

 浩司はその姿を見て感心する。

 お年寄りの助けになりたい、と口で言うのは簡単だ。

 しかし、そうやって熱く夢を語っていた者の大半は、早々に介護業界から身を引き、全く別の職に就く。

 そして、一様にこう言うのだ。

「こんなに大変だと思わなかった」、と。

 自分自身も転職を考えている今、非難する気持ちは毛頭ないが、浩司にとって、「お年寄りの助けになりたい」と言う人間は、いまいち信用ならなかった。


 だから、その言葉を発した彼に、難しいことを指示した。


 介護の基本にして最も難易度が高く、プロの介護士ですら音を上げることもある、忍耐力の必要な技術――コミュニケーション。

 これを見れば、少なくとも、今現在の駿介のやる気と、なにより、『覚悟』を測れると踏んだのだ。


 ――今のところは、満点をあげても良いくらいだけど。


 浩司は自身の仕事を進めつつ、さらに注意深く彼を観察する。

「……お? 移動するのか?」

 駿介は木澤さんに頭を下げてから、ゆっくりと立ち上がる。

 どうやら、木澤さん以外の御利用者にも声をかけようという算段らしい。

 駿介はきょろきょろと辺りを見回す。

 現在、フロア内には十数人の御利用者がいる。

 木澤さんと同じく、畳場に座っておられる方や、浩司の近くでテーブル席に座っておられる方、トイレへ立たれている方、職員の手伝いで洗濯物干しを行ってくださっている方……いろんな御利用者がいる。

「……」

 駿介は畳場から離れ、フロア左奥のキッチン付近で、全体を見回す。暇を持て余している人はいないか、コミュニケーションを取るのに最適な人は誰か、吟味しているようだった。

 そうこうしている内に、


「あの、すみません」


 佇む駿介が暇そうに映ったのだろう。

 逆に、御利用者から声をかけられていた。

 駿介に声をかけた御利用者は、滝野たきのセツさん、八十五歳。

 背筋がピンと伸び、足取りもしっかりしている。真っ黒に染めた髪の毛と、真っ白な自前の歯が特徴的なおばあちゃんだ。

 おそらく周囲からは七十代だと思われているだろう。

 凛とした空気を身に纏っている。

「はい、どうされましたか?」

 先ほどまでと同じように、駿介は変わらぬ笑顔を振りまき、そのまま「立ち話もなんですので」とテーブル席へ誘導してくる。

 滝野さんは、歩行動作に心配はない――のだが、駿介は念には念を入れる。滝野さんが不快に思わないよう、指先だけで軽く手を握り、エスコートする。

 さらに、テーブル席近くへ来ると、

「あら、すみませんね」

「いえいえ」

 滝野さんが座りやすいよう、椅子を引き、配慮することも忘れない。

 新人職員とは思えぬ丁寧な対応だった。

 浩司は近くにやって来た二人の会話に耳を傾ける。

 床に膝を付き、目線を合わせて「どうされましたか?」と駿介。

 滝野さんはこう言った。


「うちの旦那の姿が見えないのですが、どこに行ったか知っていますか?」


 浩司は、きたぞ、と思った。

 思わず口角が上がってしまい、さりげなく口元を隠す。

 介護職員にとって、難問とも言える問いかけだった。

 なにせ、


 滝野さんの旦那さんは、既に亡くなっている。


 浩司も、この手の質問には随分手を焼かされたものだ。

 これまで、駿介は新人職員とは思えぬ素晴らしい対応を見せて来た。ひょっとしたら、アドバイスを必要とせず、切り抜けるかもしれない。

 浩司は期待した。

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