介護という仕事ー2
◆◇◆
「どうした!?」
急いで向かった先で待ち受けていたのは、
「すみません!!」
叫ぶ駿介と。
「いたたた……」
床に倒れた滝野さんだった。
浩司は一瞬で状況を把握する。
滝野さんに『なにかがあり』、転倒したのだ。
滝野さんが勝手に倒れたのか、それとも、別のなにかが要因になったのか――?
素早く周囲に視線を巡らせる。
すぐ近くに、移動式の物干し竿と、それを持つ駿介がいる。
滝野さんの身体能力や病歴などを考えると、突然ふらついて倒れたという可能性は低い。
足がもつれた、という可能性も、ないとは言い切れないが、限りなくゼロに近いだろう。
だとすれば原因は――。
「物干し竿か」
そうとしか考えられない。
改めて位置を確認すると、多少、端に寄せてあるようだが、微妙に通路を塞ぐような場所にある。
おそらく滝野さんは、物干し竿の足の部分に引っ掛かり、転んだのだろう。
「滝野さん、大丈夫ですか?」
「ああ、うん、大丈夫よ」
冴香が声をかけると、滝野さんはなんでもないような顔をする。
一見、大した怪我はしていないように見えるが……。
「駿介、バイタル!」
「え?」
「早く!」
「は、はい!」
近くでおろおろしていた彼に、大声で指示を飛ばす。
お年寄りは、見た目ではなんともなくても、どこに異常が出ているか分からない。
転倒した直後は、体温や血圧など、継続的に計測しておく必要がある。
「どこをぶつけましたか?」
そして、冴香とともに、素早く本人に状況確認を行う。
認知症を持つ御利用者は、自身が転んだことですらすぐに忘れてしまう場合がある。本人が覚えているうちに、確認できることは確認しなければならない。
「この辺りをぶつけました」
「膝ですか?」
「ええ」
滝野さんの言葉に従い、ズボンをまくりあげる。
少し赤くなっているようだが、大した傷は見受けられなかった。
「動かせますか?」
「はい。大丈夫ですよ」
滝野さんはしりもちをついた姿勢になり、足をぷらぷらと振ってくださる。
痛がるような様子もなく、普段通り動かせているように見える。
もし、骨折など大怪我をしているのなら、こんな動きはできないはずだ。
「他にぶつけたところはないですか? 手をついたり、頭をぶつけたりしてないですか?」
「手はつきましたけどね」
「痛くないですか?」
「ええ、大丈夫よ」
ぷらぷらと、今度は手を振ってくださる。
これも、問題なしだ。
「大丈夫そうですね」
「ああ」
冴香と言葉を交わし、一息つく。
大事には至っていないようだった。
「持ってきました!」
と、駿介が体温計と血圧計を持ってきた。
彼は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
取り返しのつかないことをしてしまったという自覚はあるのだろう。
詳しく状況を聞かないとなんとも言えないが、駿介が最も近くで対応していたことは明らかだ。どんな状況だったとしても、責任は取ってもらわないといけない。
そのことに関しては、同情しなくもないが……。
「じゃあ計って」
浩司はそっけなく指示を出す。
直前まで、冴香と愚痴をこぼしていたこともあり、気遣おうという気持ちが表面まで上がって来なかった。
「は、はい!」
駿介は震える手をどうにか動かし、体温計を操作、滝野さんの脇の下に挟む。
「痛くないですか?」
駿介の声は震えていた。
「痛くないわよ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
滝野さんはにこにこと、優し気な笑顔で答えてくださる。
本来、気を遣うべき職員が、逆に、気を遣われていた。
焦る気持ちも分からないでもないが、いくらなんでも混乱し過ぎだった。
「硯さん、川瀬主任を呼んできて」
浩司は次の行動へと移る。
御本人に、これといった異常がないのであれば、次に行うべきは『原因の究明』だ。
滝野さんが、何故、転んだのか。
これに関しては、自分たちだけで解決するよりも、上司をまじえて、きちんと行った方が良い。
「和田さんと大原さんも呼んで来ましょうか?」
「そうだな。頼む」
「分かりました」
冴香と手短にやり取りを行う。
「……」
冴香はこの場を離れる前に、駿介へと視線を向けたが、声をかけることはなかった。
ひょっとしたら、浩司と同じ気持ちなのかもしれない。
彼女の後頭部に生えている尻尾が、かなり逆立っているように見えた。
それを見送って、
「駿介」
小動物のように怯えている後輩へ、声をかける。
「は、は、はい!」
駿介はびくっと、大きな体を揺らした。
縮こまっているハムスターかなにかのようにすら見えてくる。
「……」
浩司は、自身に『落ち着け』と言い聞かせてから、言葉を発した。
「なんで事故が起こったのか、頭の中でまとめておいてくれ」




