介護という仕事ー1
浩司と冴香が駆けつける十分ほど前――。
護人駿介は苛立ちを洗濯物にぶつけていた。
バン、バン、と必要以上に大きな音を立て、しわを伸ばしてからハンガーにかけていく。
「間違ってないだろ……」
周囲に先輩方がいないことを確認してから、ぽつり、呟く。
移動式の物干し竿をお風呂場前へ設置し、先輩たちから隠れるように洗濯物を干していた。
駿介は就職して以降、初めて、先輩たちの言い分に納得できなかった。
木澤さんの入浴介助の様子を間近で見て、『虐待だ』と確信した。
浩司や冴香は、それっぽいことを言って、自分たちの行いを正当化しようとしていたけれど、到底、納得できるものではなかった。
様々なことを試したと言っているが、聞いている限り、改善の余地はまだまだあると思えた。
駿介が「温泉に行く」と提案したことで、『誰かと一緒に誘ってみる』という案が出たように、もっと話し合いを重ねれば、別の解決策がある気がした。
――美智子さんもなに考えてんだ……。
怒りの矛先は職員だけにとどまらない。
木澤さんの娘である、美智子さんへも向けられる。
自分の親じゃないのか、と思ってしまう。
あれほど嫌がっていることを、何故、許してあげられないのか。
自分を生み、育ててくれた大切な親を、自分たちの都合で無理やりお風呂に入れて、それで満足なのだろうか。
「……くそ」
鬱屈とした、気持ちの悪い空気が胸の中に溜まっていく。
いくら深呼吸をしても、晴れそうになかった。
「すみません、ちょっと通してください」
と、駿介のすぐ隣に滝野さんがやって来た。
考え事をしていて、気づくのが遅れてしまった。
「トイレですか?」
「はい」
滝野さんの返答を受け、駿介は物干し竿を移動する。
フロア右手側奥にお風呂場があるのに対し、その対角線上に、トイレがある。
物干し竿のキャスター部分を強めに蹴り、強引に移動させた。
少々行儀が悪い行いだったが、迅速に行うべきタイミングだ。
このくらいは許して欲しかった。
「ありがとうございます」
滝野さんは、竿をどかしてくれた駿介へお礼を言う。
律儀にも、背中を丸めてしっかりとお辞儀をしてくださった。
帰宅へのスイッチが入らなければ、本当に良いおばあちゃんだ。
滝野さんは、引き戸となっているトイレのドアを開け、足取り良くトイレへ入って行った。
「……集中、しないと」
滝野さんを見送り、駿介は気合いを入れ直す。
いつまでも、うじうじと考え事をしているわけにもいかない。
自分個人として納得がいかなくても、事業所として、決定が下されたのだ。従う以外に選択肢はない。
どうしても納得できなければ、唯一、話を聞いてくれそうだった川瀬主任にでも相談すれば良いのだ。
今は、それよりも目の前の業務に集中するべきだ。
特定の御利用者のことばかりを考えて、他の介護が疎かになるなんて、あってはならない。
自分の精神状態もコントロールし、きちんと対処できてこそ、一流の介護士だろう。
駿介が目指す『プロの介護士』とは、そういうものだ。
「移動させるか……」
モヤモヤとした気持ちは残っているが、わざわざ先輩たちから隠れるように業務を行うのも失礼だ。
なにより、他の御利用者がよく見えない。
駿介は物干し竿の上部分を持ち、移動を開始――
「おっ? 早いな」
と、先ほどトイレへ入ったばかりの滝野さんが、ガラガラとドアを開け、引き返して来た。もう用足しを終えたのだろうか。
微妙に物干し竿を動かしてしまっていたが、人ひとりが通るくらいは問題ない。わざわざまた動かして、避けるほどではない。
「どうぞ」
駿介は滝野さんを促し、フロアの方へ戻ってもらうようジェスチャーする。
「何度もすみませんね」
滝野さんはまた、丁寧にお辞儀をして歩いていく。
「いえいえ」
駿介も軽くお辞儀をして返す。
その直後だった。
「あっ」
「え?」
目で、その事態を認識するよりも早く、ガツンと物干し竿に衝撃が伝わって来た。
一瞬、なにが起きたから分からず、思考が固まってしまった。
そのコンマ何秒かが、全てだった。
「――!」
咄嗟に出した手は、何もつかめず空を切る。
頭で状況を理解したその時には、もう手遅れだった。
ドン! と大きな音を立て、滝野さんは床に倒れ込んだ。




