表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第三章:虐待の定義
24/105

虐待の定義ー9

 川瀬主任は滝野さんを促し、二人で畳場へと足を踏み入れる。

「木澤さ――」


「風呂なんか入らんて!」


 滝野さん同様、こちらも相変わらずだった。

 滝野さんとの会話が聞こえていたのか、それとも川瀬主任が入浴着を着用していたからか。

 木澤さんは川瀬主任に声をかけられた瞬間、いつも通りの拒否を始めた。

「木澤さん、そう仰らずに……」

「他の人を誘えばいいねっか!」

「誘いましたよ。他の方は皆さん入られましたよ」

「嘘つくなて!」

 川瀬主任は言葉を重ねるが、取り付く島もない。

 大声を出し、表情がどんどん険しくなっていく。周囲から注目を浴びてもお構いなしだ。

 川瀬主任は苦い表情をしつつ、木澤さんの隣にしゃがみ込む。

「木澤さん、今日は滝野さんと一緒に入りませんか? 滝野さんも、木澤さんと一緒に入りたいそうですよ」

「……滝野さん?」

 木澤さんはそこでようやく、川瀬主任のそばに立つ滝野さんに気付いたようだった。

 滝野さんはぺこりと綺麗にお辞儀をして、「一緒に入ってきませんか?」と優しく言葉をかける。

「お前さんもお風呂なの?」

「ええ、そうよ」

「……」

 滝野さんの登場でなにを思ったのか、木澤さんは視線を宙に動かし、しばし黙り込んだ。

 これまで、誰がどのように誘っても、木澤さんの入浴拒否が穏やかになった試しはない。赤の他人である職員ではなく、仲の良い人が近くにいることで、かなり反応が変わるようだった。

「一緒にどうかしら? 入りましょうよ」

 滝野さんも、川瀬主任にならって腰を下ろし、木澤さんを誘う。

 意識して行ったわけではないだろうが、ファインプレーだ。

 川瀬主任も滝野さんの言葉に乗っかり、さらに声をかける。

「木澤さん、滝野さんもこう言っておられることですし、いかがですか? 熱いお湯を用意していますよ」

「そうよ。さっぱりするわよ」

「……」

 黙ったままの木澤さんを、職員一同、固唾をのんで見守る。

 これですんなり入ってもらえるなら、木澤さんの入浴対応が劇的に改善される。

 毎回毎回、唾を飛ばされたり、爪を立てられたりする心配もなくなる。

 木澤さん本人にとっても、職員にとっても、とても楽になる。

 果たして、木澤さんの反応は――。



「……お前さんたちで入って来いて」



 木澤さんはたっぷり十数秒間、迷った末、それでも首を縦に振らなかった。

 川瀬主任は重ねて声をかけるが、「具合が悪い」、「今日は勘弁してくんなせ」と、木澤さんの態度は変わらなかった。

 滝野さんがそばにいることが気にかかるのか、普段より拒否の姿勢は柔らかくなっているものの、最終的な結論に変化はなかった。

「……」

「……」

 川瀬主任から浩司へ、そして冴香へ、視線が回る。



 ――やっぱり駄目か。



 三人はほぼ同じタイミングでため息を吐く。

 期待していなかったわけではない。

 今まで、声かけの方法ばかりを重点的に考えていて、『誘う方法』を変えたことはなかった。別の御利用者と一緒にお風呂に入らないか、と誘ったことなど一度もなかった。

 ひょっとしたら……とは思っていた。


 反面。無理だろう、とも思っていた。


 あれほど強硬に拒否する木澤さんが、そんな簡単に「分かった」と言うわけがない。

 浩司は、『新人である駿介の意見を尊重するために』、今回の提案が受け入れられ、やってみようという流れになったとすら思っていた。

 この程度のことで木澤さんが変わるなら苦労はない。

 無理なものは無理だ。



 と、諦めかけたその時だった。



「おばあちゃん、どうしてそんなにお風呂が嫌いなの?」



 そんな声が耳に届いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ