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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第三章:虐待の定義
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虐待の定義ー8

「さて、と」

 砂糖が入ったコーヒーを口に含み、気合いを入れる。

 普段ならこの時間は逆に、気を抜くタイミングだ。

 午前中の送迎業務がひと段落し、御利用者も比較的落ち着いていることが多い。

 やらなければならない業務はあるものの、一服しながら行えるのだ。現場職員にとっては唯一、のんびりできる時間と言って良い。


 だが、今日は違う。


 木澤さんの入浴対応をめぐり、先週行われたカンファレンスで、『気分を変えて温泉に行く』という提案があり――それ自体は却下されたが――木澤さんの入浴対応が変わった。

 本日は、その初日である。

 浩司は手に持っていたカップをテーブル席に置く。

「駿介、やるよ」

「はい!」

 気合十分、大きな声を出す駿介を引きつれ、行動を開始する。

 自身の提案で事態が動いたことが嬉しいのか、駿介は昨日からご機嫌な様子だった。

 ステップするような、軽やかな足取りで後ろから着いてくる。

「硯さん、他の職員も呼んできてもらっていい?」

「分かりました」

 冴香にも声をかけ、万が一に備えて万全な体制を敷く。

「木澤さん、落ち着いていますね」

「ああ」

 畳場奥へと視線を向けると、のんびりとくつろいでいる木澤さんが目に止まる。

 窓から降り注ぐ日の光に照らされ、真っ白の髪の毛が輝いていた。

「滝野さんは?」

「主任と話しています」

「よし」

 駿介の回答に、頷く。

 今日のもう一人の主役――滝野さんは、少し前から川瀬主任と談笑していた。

 先週、駿介の提案を受け、皆で協議した結果、


『複数人でお風呂に入ることを誘ってみてはどうか?』


 ということになった。

 駿介が提案した『温泉』から着想を得た。

 数十年前の生活様式を考えた際、たった一人でお風呂に入る回数はどのくらいあったのか、という疑問が出たのだ。

 今でこそ、各家庭にお風呂があることは当たり前になっているが、昔はどうだったのか。

 温泉ではなくても、銭湯へ行き、皆で一緒にお風呂に入ることも多かったのではないか、と話し合ったのだ。

「彩峰さん、準備できましたよ」

 冴香から声がかかる。

 本日、出勤している全職員がフロアに集まった。

 不自然にならないよう、それぞれ場所は散らばっているが、全員が木澤さんの行動を把握できる位置についた。

 本日の入浴担当――川瀬主任にも、ジェスチャーで準備完了を伝える。

 いざ、戦闘開始である。


「滝野さん、お風呂に入ってきましょう」


 まず、川瀬主任が滝野さんを誘う。

 滝野さんは『帰宅へのスイッチ』が入らない限り、基本的には穏やかで、入浴への拒否もない。川瀬主任の言葉に「ええ、いいですよ」とにこやかに応じてくださる。

 滝野さんは流れるような動作で椅子から立ち上がる。

 相変わらず、年齢に反した素早い立ち上がりと、素晴らしい姿勢だった。

 川瀬主任は次の段階へと移る。


「滝野さん、今日は木澤さんと一緒にいかがですか? 他の方と一緒に入るのも楽しいと思いますよ」


 滝野さんはこの声かけに対しても、「ええ、構いませんよ」と二つ返事でオーケーしてくださった。

 滝野さんと木澤さんは、もともと同じ地域に住んでおり、ふれあい西家へ来る前から長年の付き合いがある。今でも、二人でのんびりお話されていることがあるのだ。

 滝野さんであれば、『木澤さんと一緒に』と誘っても、断ることはないだろうと踏んでいた。


 ここまでは、想定通りだ。


 問題は、ここからである。

 木澤さんをお風呂に誘わなければならない。

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