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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第三章:虐待の定義
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虐待の定義ー7

「待て待て。そう結論を急ぐな」



 ところが。

 同じ時間を過ごしてきたはずの川瀬主任の意見は違った。

 川瀬主任はこの場にいる全員へ視線を送る。

「そうやって、やることはやったと思い込んで、諦めてきた結果が今だろ? そしてそれは、新しく入って来た護人君から見ると、虐待に近い状態だった、というわけだ。先輩後輩は関係なく、客観的に見た時に、誰もが納得できる介護を目指すべきだよ」

 違うか、と問いかけられる。

「……いえ」

「……そうですね」

 浩司も冴香も、たった一度の発言で黙らせられた。

 御利用者本位の対義語として、『職員本位』という言葉がある。

 御利用者本位が、御利用者に合わせた介護であるのに対して、職員本位とは、職員がどうしたいのか、という意思のもと、行われてしまう介護だ。

 川瀬主任が指摘しているのは、『いろいろやってみたけどダメだった』という大義名分のもと、職員本位で介護が行われていたのではないか、ということだろう。

 現場職員とは別視点で参加している大原も、川瀬主任の言葉に大きく頷いていた。

「主任、一ついいですか」

 冴香がまた、手をあげる。

「結論を急ぐな、というのは分かりましたが……だとしても、いろいろやってみた結果であることには変わりないですよね。なにか、新しいアイディアがなければ変化はありませんよ?」

「あー。まあ、それはそうなんだがな。それを話し合いたいんだが……」

 そう言って、川瀬主任は黒縁眼鏡を押し上げる。

 川瀬主任らしくない、はっきりとしない物言いだった。

 そもそも、再考を促している川瀬主任本人ですら、上手い方法が見つからないから今の状況になっているのだ。職員本位だと警鐘を鳴らしている川瀬主任当人とて、そう簡単に解決策が見つかるとは思っていないだろう。

 新人の意見を大切にしたいのか、それとも他に理由があるのか、『カンファをしよう』と言い出した川瀬主任の意図がよく分からなかった。

「……」

「……」

 議論が停滞する。

 新しいアイディアを求めた冴香はもちろん、浩司も、今更、言うことなどない。

 川瀬主任も、結論を急ぐなという割には、なんだかはっきりしないまま、黙り込んでしまった。

 お互いがお互いを探り合っているかのような、妙な空気だった。

 さらに数秒が経過して――。

 結局、川瀬主任が口を開く。


「護人君は、なにか意見あるかな?」


 話を振られたのは、駿介だった。

 カンファレンスが始まってから、彼は相づちしか打っていない。

 経緯はどうあれ、事の発端を作っているのは駿介だ。

 意見の一つや二つ出して欲しいところだった。

「先輩たちに遠慮することはないぞ。率直な意見を聞かせてくれ」

 川瀬主任は駿介の立場に配慮し、柔らかい声音で言う。

「えっと――」

 注目が集まる中、駿介は慎重に言葉を選び、言った。



「例えば気分を変えて、温泉に行くとか……どうですかね?」



     ◆◇◆



 午前十時。

 ふれあい西家のフロアにはコーヒーの香りが漂っていた。

 本日、浩司はフロアリーダー、駿介はその補佐という立場だ。

「彩峰さん、護人さん、どうぞ」

「ん、ありがとう」

「ありがとうございます!」

 わざわざ小さなお盆に乗せて、一つ一つ運んでくれるあたり、好感度が高い。

 カップを持ってきてくれた冴香にお礼を言い、早速、口をつける。

「――て、甘いな!」

 口に含んだコーヒーは、たっぷりと砂糖が入れられていた。

 ミルクは入っていないようだが、なんの嫌がらせだろうか。

 浩司が甘い飲み物を好まないことは、冴香なら重々承知しているはずだ。

「……硯さん?」

「えーっと。疲れた時は、甘い飲み物の方が良いんですよ?」

「……」

「すみません。普通に間違えました」

 無言で睨みつけると、彼女は空気を読んでぺこりと謝って来た。

「でも、たまにはブラック以外のコーヒーも飲みましょうよ」

 にこにこと愛嬌のある笑顔を向けられる。

「お前な……」

「あはは」

「あははじゃねーよ」

 突っ込みつつも、怒る気持ちはどこかへ行ってしまった。

 冴香は笑顔のままキッチンへと引っ込み、他の職員にもコーヒーを配り始める。

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