虐待の定義-4
「大丈夫ですか?」
苦い顔をしていると、駿介が話しかけてきた。
気を遣わせてしまっただろうか。
「ああ、大丈夫だよ。いつものことだしな」
「そうですか……」
なんてことはない、と肩をすくめて見せるが、駿介の表情は晴れない。
ひょっとして、『先輩たちに任せてしまい、何もできなかった』とでも思っているのだろうか。
「どうした?」
気になって尋ねてみると、駿介は「えっと」と言い淀む。
視線をあちこちへ飛ばし、挙動不審になる。
一体、なにを気にしているのか。
「なにかあるなら、はっきり言ってくれ」
いつもの煩いくらいの元気はどこへいったのか。
少し面倒だな、と思ってしまう。
こういう時、スパッと割り切れないのが彼の悪いところだ。
「えっと……。すみません」
「いや、すみませんじゃなくて。……なに?」
さらに促す。
駿介はなおも、「いや、その」とか口の中でごちゃごちゃ喋っていたが、数秒後、観念したように、口を開く。
「今のやり方、虐待じゃないんですか?」
恐る恐る、といった風に、駿介は言葉を吐き出した。
合点がいく。
言い淀んでいた理由は、『先輩たちのやり方を否定することになるから』だ。
疑問を持ったものの、それを言ってしまうと失礼になるのではないか、と考えたのだろう。
浩司も何度か経験したことがあった。
さて置き。
浩司は思案する。
駿介の疑問――虐待ではないのか、という問いに対し、どう説明したものか。
駿介の言い分は、つまりこういうことだろう。
木澤さんは、犬の毛を沢山つけていて、衛生面を考えればお風呂に入った方が良いことは分かる。家族からの希望でもあるから、介護士としてその希望を叶えなければならないことも、分かる。
けれど、本人が強硬に入りたくないと拒否しているのに、無理やり立たせ、力づくでお風呂場へ連れて行き、強制的にお風呂に入れるのはいかがなものか。
本人の希望に沿ったことを行うのが、『介護』ではないのか。
要は、こういうことだ。
全くもって、その通りである。
『御利用者のことを第一に考え、介護を行うこと』。
これを、介護分野では『御利用者本位』と言う。
福祉系の大学を卒業した者ならば、誰もが知っている基本的な考え方だ。
駿介の疑問は、これに沿ったものだろう。
浩司はまず、それを肯定する。
「その疑問はもっともだな。俺と硯さんが今、木澤さんにしたコトを、第三者が見た場合、ほとんどの人が虐待じゃないか、と思うだろうな」
大袈裟なくらい、うんうんと頷いて見せる。
もし事業所内にカメラを持ち込まれて、今の様子を撮影されていたとしたら……どんな判断が下されるか、かなり微妙なラインだと思う。
そんなことは言われるまでもなく、浩司だって承知している。
その上で。
否定させてもらう。
「駿介の言いたいことは分かったけど……。俺からも、質問させてもらっていいか?」
「え? あ、はい」
駿介が頷くのを待って、浩司は問いかける。
「もし、犬の毛だらけで何週間もお風呂に入らず、不衛生なままごはんを食べたとして――それが原因で食中毒になったり、感染症なんかを引き起こしたりした場合、それは、誰の責任になるんだ?」
我ながら、意地悪な聞き方だとは思う。
明らかに、答えを誘導している。
だけど、事実だ。
浩司はそのまま、言葉を紡ぐ。
「例えば、お腹が空かないと言って、食事を拒否する御利用者がいたとして、『その人の希望通り』、食べなくても仕方がないと放って置いたとするよな? その結果、衰弱して亡くなってしまったら、どう思う? それは、御利用者本位か?」
「それは…………違います」
駿介は、少しむっとした表情になったけれど、反論の言葉は出てこなかった。
浩司があげた例は、かなり極端なものだが、こうした事例は介護においてはいくらでもある。
介護士にしてみれば、結果が分かりきっており、『しなければならないこと』であっても、される側である御利用者本人にとっては、さして重要なことではない、という事例だ。




