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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第三章:虐待の定義
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虐待の定義ー2

 木澤さんは、入浴を目的に利用している。


 木澤家にハナ子という犬がいることは周知の事実だが、この犬がよろしくないのだ。

 木澤えい子さんは大の犬好きで、自宅にいる間はほとんど犬と一緒に過ごしている。家族からすれば、衛生面が気になるのは当然のことだろう。

 特にハナ子は、抜け毛が多いとされる犬種、コーギーだ。

 そんな犬と四六時中ずっと一緒にいたら、部屋や衣類がどのような状態になるか、想像に難くない。

「行くか」

「はい」

 冴香とともに、畳場へと足を向ける。

 木澤さんは駿介でなくても、一人で誘うのは無理がある。

 二人、三人がかりで挑まなければならない。


 ……正直に言えば。


 強硬に拒否する御利用者を、無理やり誘いたくはない。

 放って置いて良いのなら放って置く。本人にとっても、介護士にとっても、そちらの方が楽だ。

 しかし、家族から『どうしても』とお願いされているのだ。


 一週間に一度でもいいから、お風呂に入って欲しい――。


 犬と共に生活している家族にとって、それは切実な願いだろう。

 家族では手に負えないことを、介護の専門家として叶えることも、介護士の仕事の一つだ。

「木澤さん、失礼します」

「お隣失礼します」

 冴香と並び、浩司は木澤さんの隣に腰を下ろす。

 駿介には席を外してもらうよう、目線で合図を送る。

 彼は、同じく目線で「すみません」と言って、離れていく。


「なんですかあなたたちは! 誰が来ても入りませんよ!」


 木澤さんは浩司たちが用件を言う前に、既に拒絶体勢に入っていた。

 これは、骨が折れそうだった。

「まだ何も言っていませんよ」

 浩司は正面に、冴香は木澤さんの左隣に陣取る。

 木澤さんは真っ白な髪の毛をヘアピンで留め、淡い緑色のストールを身にまとっている。手首を見れば、薄紫色のブレスレットをしており、一見、お洒落なおばあちゃんに見える。

 けれど、そのストールには犬の毛が数えきれないほど付いており、着用している衣類からは、獣臭が漂っている。

 近寄りたくない、とすら思ってしまう。

 家族から『どうしても』と言われるのも納得だった。

「今日は風邪気味だから、入りません!」

 木澤さんは風邪をひいていると訴えてくる。

 これまで幾度となく行われた、壮絶な『入浴合戦』を覚えているのだろう。重度の認知症を患っているというのに、職員が来ると、お風呂に誘いに来た、と察するようになっている。

 いったいなにがそうさせるのか……。


「木澤さん、どこの具合が悪いのですか?」


 とりあえず、嘘だと分かっていても、尋ねてみる。

「朝から鼻水が出るんだて」

 と木澤さん。

 そんな様子は全く見られていない。

「それに、喉も痛い気がして……」

 続けて、わざとらしく咳払いをする。

 これも、嘘だろう。

 もし、本当に喉が痛いとか、咳が出るとか、そういう症状があるのなら、先ほどから大声で怒鳴り散らしているのはどういうことなのか。

 具合が悪いのなら、それ相応の態度を取れという話だ。

「木澤さん、でも、朝来た時に、熱も血圧も計っていますけど、どちらも問題ありませんよ。湯舟にゆっくり浸かって、体を冷やさないようにすれば大丈夫だと思いますよ」

 浩司は木澤さんの大声に合わせず、ゆっくりと落ち着いた声音で話しかける。

 『鼻水なんて出ていない』、『喉がいたいなら大きな声なんて出ない』と否定すれば逆効果だ。

 木澤さんの言葉を否定するのではなく、少し角度を変えて、説得を試みる。


「そうですよ。それに、服にハナ子ちゃんの毛が沢山ついていますし、変えてきませんか?」


 冴香からも、援護が入る。

 体調面に気が向いている木澤さんの意識を、少しでも別の方向に逸らそうということだろう。

 ナイス機転だ。

 浩司もその話に乗る。

「木澤さん、いつもお洒落にしてるじゃないですか。たまにはお風呂に入って、新しい服に着替えるのも良いんじゃないですか?」

「それが良いですよ! 私も犬を飼っているので分かりますけど、やっぱり、夏場に向かうこの時期って、抜け毛が増えてきますからね。着替えてきましょう?」

 二方向から、畳みかけるように説得を続ける。

 それぞれが、それぞれに言葉を尽くす。

 笑顔を絶やさず、相手を褒めて持ち上げて、その上で、『お願い』する。

 気難しい御利用者への対処方法の一つだ。

 対し、木澤さんはというと。


「いいて! 洗濯は毎日しているし、今日も家に帰ったらするから! お風呂も家で入ります。別にお前さんたちに迷惑はかけてないんだから、放って置いてよ。……かまわないでください!」


 納得するどころか、語気がさらに強くなる。

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